戦争と治安努力
戦争と治安努力
イギリス、ジョージ6世による対ナチス開戦の国民への報告の一節を、いくつかの機会翻訳にかけてみた。
[原文]
For the sake of all that we ourselves hold dear, and of the world's order and peace, it is unthinkable that we should refuse to meet the challenge.
[Google]
私たち自身が大切にし、世界の秩序と平和のすべてのために、それは我々が課題に対応することを拒否しなければならないことは考えられません。
[nifty]
世界の私たち自身が大切にするすべて、注文、および平和の目的のために、私たちが、困難を乗り切るのを拒否するのは、思いもよりません。
[Bing]
すべては私たちのために自分自身を親愛なる保持し、世界の秩序と平和、それは我々 が課題に対応を拒否する必要があります考えられない。
[excite]
私達自身が大切に保つすべておよび世界の注文と平和で、私達が、挑戦に遭遇するのを断るべきであることが想像不可能である。
[weblio]
そのようなものすべてのために、我々自身は大切なままでいます、そして、世界の順序と平和の、我々が挑戦に会うことを拒否しなければならないことは考えられないです。
[仮訳]
私たちが慈しむすべてのものと、世界の秩序と平和のためには、この難局に立ち向かうことを拒否することは考えられません。
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“機械”にとっては、相変わらず状況知、ないし文脈知(context)が苦手である、苦手で当然であることは、これらの結果から分かるんだけど※、この短い節のキモは、
平和のためにはこの戦争は拒否すべきでない(拒否したら平和は毀損される)
と言ってることだ。
※: GoogleとBingには、peaceとorderが一緒に出てきたらorderは「秩序」だ、という、とても素朴なレベルの文脈知があるのかもしれない。
私は、西にナチス、東に日本の軍部、というとんでもない連中がのさばろうとしているとき、それはもはや力でしか抑えられないから力に訴えよう、とするこの姿勢は、「戦争」ではなく「治安努力」だったと思う。最後の、??がいっぱい付きそうなソ連参戦も、中国東北部における日本軍部の一掃のためには、あれしかなかったかもしれない。
(なんで今どきこの話を持ち出すかというと、軍部の横暴に嫌気がさした杉原千畝氏(6000人のユダヤ人を救ったとされる人物)には、一般外交官への転身という道があったけど、川島芳子氏には、どんだけ軍部を批判・悪態をついても、自分自身のポジティブな転身の道がなかったこと。これが対照的だなぁ、と思うからだ。)
ついこないだもこのブログに書いたが、原爆すら、日本軍部がもうすこし賢明だったら、落とされずにすんだはず。沖縄戦もひでぇが、今の基地だらけ沖縄は、そのことへの反省やつぐない感が見られないぶん、ひでぇの二乗三乗だ。
そろそろ、なんでもかんでも「戦争」という言葉でひとくくりにするのは、やめにしたい。不毛な議論を避けるためにも。
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コメント
沖縄の人々が怒っているのはそこですものね。
そんなにだいじな施設なら東京につくれ。
投稿: 南a | 2015年10月20日 (火) 08時41分
戦争と治安努力のちがいとは?
戦争とは、どんなことをしても勝てば敗戦国から莫大な賠償金や領土などをブンどれること。治安努力にはそれがない。だからオトコはそんな無駄なことしないのではないでしょうか。
投稿: | 2015年10月23日 (金) 03時20分
治安努力の話とは違うかもしれませんが、純粋に守りたい人のために敵(敵というのもヤダですが)に突っ込んでいったオトコ(おくにのためじゃない!)もいたと思います。許せないのは機体についた爆弾をはずれないように細工をして高みの見物をしていた軍部の輩じゃないかと思うのです。
投稿: musataro | 2015年10月24日 (土) 07時05分