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2015年9月27日 (日)

「貨幣」==「他者不在」

つい数日前のひらめき記述で素描したように、貨幣は全人間を単一・共通の測度でベタ塗りするのである。だから、貨幣関係においては互いの他者性がimplicitにもexplicitにも不在であり、他者性認識はどこか脳の外の遠くの不可視の宇宙の果てへと忘却されている。忘却は‘思い出す’こともあるから、ここではあまり適切な語ではない。

やはり、不在、「他者不在」がいちばん的確な語だろう。

貨幣関係、交換価値関係が複数の人間間(かん)を完全に支配してしまう、その根因は、人類が遺伝子の中に持っている「沈黙交易」のトラウマではないか。しかし、そのように相互疎外関係にあった原始共同体間にも、かなり頻繁にロメオとジュリエット物語は発生し、それは大きな共同体間コミュニケーションへ発展することはなく、マイナーな悲劇へと封殺されたと思われる。

コミュニケーション不能には、各共同体がいだく強烈な鎧兜(よろいかぶと)、宗教・神も強烈に貢献するが、宗教批判の起源がニーチェの「神は死んだ」だったとするなら、その歴史は浅く、まだ大衆的普及にはほど遠い。よく知らないが、当時ニーチェは、社会から狂人扱いされたのではなかったか。

貨幣という単一・共通の測度のグローバル支配には、したがって人間の遺伝子の中にしぶとく残る旧共同体性(≒オトコの戦争愛好癖)を融解する力はない。むしろその支配は、宗教勢力等によっても都合よく利用されるのだ。

9月28日加筆
「ローカル権力(II)」の後半を、かなり加筆しましたので、おひまな人はぜひお読みください。

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コメント

貨幣==無限自者
西欧宗教勢力==一神教とはどんだけ粗暴粗悪なアタマん中から生み出されたのだろうか≒貨幣単一支配=アホンダラ=他者疎外。

投稿: 下村直樹 | 2015年9月28日 (月) 01時45分

さっき兄と電話していて、貨幣経済に関して話になったら、何も話にならないのである。飛べ、ここがロードス島ってか。

投稿: bad | 2015年10月 3日 (土) 23時02分

多分兄のような人には、他者といういう認識があまり無いんだろう。

投稿: bad | 2015年10月 4日 (日) 14時41分

で思うになんで肝心の関係となると、避けようとするのが、これまた分からないんだ。

投稿: bad | 2015年10月 4日 (日) 16時27分

 bad っていう人自分で食い扶持確保してるの誰かに寄生してないよね

投稿: | 2015年10月 6日 (火) 02時32分

ひどい事いうな。

投稿: bad | 2015年10月 6日 (火) 16時25分

柄谷行人いわく、高校の頃上級生も関係なく周りをゴミのように扱っていたらしいが、暴力団の組長の息子に柄谷だけには手を出すなとと言っていて何もされなかったそうだ。その一言が無ければ今の柄谷さんもなかったろうね。ま宮台に文芸左翼と馬鹿にされているが。しかしうちの兄は普通の男でバカだ。

投稿: bad | 2015年10月10日 (土) 02時25分

ちゃんp。

投稿: | 2015年10月10日 (土) 07時54分

他聞にて恐れ入りますが、多聞するに、多分兄さんはバカではないと思います。

下村さんには、一言問い糺したいですね。
無限実在

投稿: パオ太郎 | 2015年10月10日 (土) 16時45分

でも昨晩skype一で時間以上話したが、自分は最低の層にいる人間だと思わんとダメやなんて言われなあかんねん。なんでやねん。

投稿: bad | 2015年10月10日 (土) 19時51分

最近「カナザワ詐欺」という言葉が生まれたそうだ。金沢に大勢の観光客が来るようになって、それを見こして商品の値段をバカみたいに釣り上げて売りさばくことを言うようだ。極端な例が駅周辺のホテル料金。ビジネスホテルのシングル料金がウン万円というでたらめさ。あー、情けない、恥ずべきことである。こんなに恣意的に変えられる貨幣価値ってナニ?それらに引きずられる我々の生活ってナニ?

それから、観光客観光客って必死になって誘客するのもどうかと思う。そんな外来者のフトコロに頼ってどうするのよ。ブームが去ってしまえば、あとはヌケガラよ。急に祭り上げられた者の悲劇に終わらなければいいけど。

投稿: s、n | 2015年11月 8日 (日) 23時59分

>急に祭り上げられた者の悲劇
やはり予感は的中した。一年経って去年の狂騒はどこへやら、今は目も当てられないくらい悲惨らしい。必要性のないカラ需要にふりまわされ、本来のメインである地元客の足はまったく遠ざかり、これまであった生活用食材の売上は最悪である。やはり浮ついた観光客なんかあてにする方がバカだったのである。  なんまんだぶ、なんまんだぶ。

投稿: s,n | 2016年7月17日 (日) 04時04分

うすっぺらい経済効果なんか、いらねっつーの。
カネの取り合いに終始する、経済政策なんか無意味だっつーの。
いつまでたっても、貧富の問題は終わらない。カネにアタマとカラダを支配されてる限りは。
みんな、カネよりも大事なことがあるのを知ってるんだと思う。けど、それに縛られて優先できない。格差に虐げられてしまう。支配されている。

投稿: s,n | 2016年7月18日 (月) 05時22分

嵐のようにやってきて、嵐のように去っていく観光客なんて、双方にとっていい関係が結べる訳がない。

なんで観光客を産業の基盤に考えるのか分かんない。こんどは福井県の山あいの過疎地で、森林を資源としたレジャー施設が人気らしい。今の時期週末には400~500人の人が遊びに来るらしい。役人の担当者は、これがきっかけで若い人の雇用も生まれて、定住者の増加につながれば嬉しい、とかなんとか言っちゃってるが。
なんかほんとに吹けばふっ飛ぶような弱い観光客目当ての産業ってどうなのよ。なんで観光客に目を向けるのか。簡単だからだと思う。手っとり早く、今あるものになんかをつけ足すことで、産業を起こそうとする。担当者にすればワラをもつかむ思いかもしれないが、うすっぺらく弱々しいのは万人が認めることだと思う。(フラッと遊びに来る奴なんて、一度大事故が起きれば・・・)

なんかねー、大きな民主主義ってほんとに、のろまな制度だなって思ってしまうね。やっぱし身近なことしか真剣に考えられない。小さな自治区に権力を分散して、地元の人が真剣に仲良く考えを出し合って解決できたらいいと想うけどね。
キーワードは、one is all. all is one.

投稿: s,n | 2016年7月26日 (火) 05時28分

オレたちゃ

死に物狂いで 「あまっちょろい世界」を

あるいは

グダグダにやりながら 「理想世界」を

作ってみたい

メッチャオモローそうやん

ヌ・ハ・ハ・ハ・ハ

投稿: s,n | 2016年7月28日 (木) 08時51分

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