ローカル権力
中東や南アジアのような複雑怪奇なところをあえて避けて、ここではシンプルなギリシャで例示しよう。
資本は、本質的にグローバルな力である。従来のローカル権力の政治家や役人などが、思う存分“腐敗”を維持し続けるためには、大きな強い資本を断固、排除しなければならない。
ギリシャには未だに、産業らしい産業がなく、仕事らしい仕事がない。端的にわかりやすく言えば、フォルクスワーゲンギリシャ工場は、ない。
腐敗をほしいままにし続けるために、ローカル権力が資本を門前払いし続けたからだ。
残念がら、ほとんどの地域で、ローカル権力よりは資本主義〜グローバルな貨幣経済の方が、ずっと善である。「すべての地域で」とは言えないまでも。
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コメント
英会話のイギリス人男性講師から聞いて驚いたのだけれども、キリスト教では人間はsoulを持っているが犬などの動物はsoulを持っていないと教えているそうだ。そして人間は、死後天国にもいけるが動物は決して天国にはいけないそうである。びっくりしてしまった。なんじゃその思い上がりは。あっきれけーるのであるが。
投稿: 下村直樹 | 2015年9月10日 (木) 01時54分
思いますが、人は、献身的な活動によって、soul を獲得すべく創造されている、と考えてはどうでしょうか?
天国、地獄、をいうよりも、人間は動物なのか、否か?が先決でしょう。
動物が人間ではないことだけが、衆知の事実でありましょう。
投稿: パオ太郎 | 2015年9月11日 (金) 14時54分
なんと言いましょうか、なんか人間だけが先験的、アプリオリに優位な立場に置いてあるのがどうにも。献身的というなら、牧羊犬のほうがよほど純心に尽くしていると思うのですがね。どうでしょう。
投稿: 下村直樹 | 2015年9月12日 (土) 07時43分
蓋然的な言い方しかできませんが、仕方がありません。
文明は、人間が発祥させ、開化させたことです。
文化は、人々によって造り上げられ、改新されたり、革命されたりしてきたことです。
文化は”言葉”です。
”献身的” ”純真” な、のは、「ヒト」にあって、「イヌ」にはないことです。
投稿: パオ太郎 | 2015年9月12日 (土) 15時44分
動物の心理も感情も人間には推し測ることはできませんからね。(人間に対しても同様。「そう見える」だけが誤解を含めて真実では)
諸説色々あるようで、動物にもsoul(魂)はあるがspirit(聖霊)はないと書いてあるのもあり、聖霊は人間だけが持ちうるものであるとか。
やはりユダヤ教の天地創造で最初に神が人間に言った言葉「生めよ、増えよ。地に満ちて地を従わせよ。(人間以外の生物を)全て支配せよ。」なんてのはもはや呪いの言葉のように聞こえる。そして絶対神を信ずる者には、死後において神からの救済が約束されている。
このような一神教を世界に拡大することは、キリスト教ローカル権力者には最高に都合の良いことだったのでは。
投稿: 下村直樹 | 2015年9月12日 (土) 21時13分