価値交換(==貨幣)の欺瞞
戦争そのものが欺瞞だ、とする、レノンの直観に倣って:
だれかが何かを必要としていること、何かを欲しいことと、わたしが何かを必要としあるいは欲しいことは、それぞれ、別のことやん。互いに、全然関係ないことやん。ひとつひとつは、それぞれ、完全に独立・孤立している。
それを、無理やり(しかも共通測度的に)関係付けよう、結びつけようとするところに貨幣の無理があり、そのグローバルな悲惨の根因がある。
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戦争そのものが欺瞞だ、とする、レノンの直観に倣って:
だれかが何かを必要としていること、何かを欲しいことと、わたしが何かを必要としあるいは欲しいことは、それぞれ、別のことやん。互いに、全然関係ないことやん。ひとつひとつは、それぞれ、完全に独立・孤立している。
それを、無理やり(しかも共通測度的に)関係付けよう、結びつけようとするところに貨幣の無理があり、そのグローバルな悲惨の根因がある。
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コメント
貨幣制度を維持し続ける限り人類に幸福は訪れない、という事だけは確かだ。
それは無理、不可能である。
ではどうするか?
まずは(ジョンの言うとおり)想像することから始めよう。
投稿: 南 | 2015年9月24日 (木) 15時55分
@南
遅い遅い、恥ずかしくても幼稚でもいいから想像したことを表に出さなくては! 到底間に合わずに戦争・悲惨に突入すると思う。そんな40年以上前の歌を今やっとやったら、恥ずかしいでしょ。バカでもいいから前に出し合いたいよね。
投稿: | 2015年9月24日 (木) 17時57分
あの曲に、Imagine there's no moneyというフレーズはなかったな。あれば(多少は)モアベターだったのに。
投稿: iwatani | 2015年9月24日 (木) 18時35分
価値交換(==貨幣)の欺瞞
整理すると
1.等価交換という無理
2.差異という格差により動く無理
3.関係ないものを関係・共通化される無理
他に考えると
4.交換できないと生きられない、という無理
=それが人間より上位の立場にいるという矛盾
投稿: | 2015年9月24日 (木) 19時45分
貨幣制度の下ではみんな脳の病気になる。
投稿: bad | 2015年9月25日 (金) 13時40分
訂正
3.関係ないものを関係・共通化させる無理
関係ないものが関係・共通化される無理
5.貨幣を抱く限り、国家という組織の下で生きていかざるを得ない。国家(不安と支配)の下で生きているんだから、そりゃ開かれないわなー。
投稿: 下村直樹 | 2015年9月26日 (土) 03時53分
>バカでもいいから前に出し合いたいよね。
ということで言い出しっぺとしてやってみたい。文章にならないイメージの羅列・点滅になるけどラフスケッチにでもなったらラッキーである。
無貨幣経済状態であるとする。
ある大きな道の駅がある。そこの道路は昔は幹線道路であり車の往来も多くあり、大変にぎわっていた。しかし近年近くに高速道路ができてしまい、駅の前を走る車の数が激減した。
そこで建物も古くなったし、生産性の効率も悪いのでその場所に駅の規模を小さくして立て直すことになった。そこで、残る者と出ていく者の希望を取る。そこは食べ物コーナー、生鮮品販売コーナー、お土産品コーナーなどがある。今の大きな施設の大体2/3程の建物にする。店舗員の数もそれに準ずる。
建物のデザイン・イメージを考える。旧建物の解体、新規工事の開始、完成予定日の決定。
と、まぁ無貨幣ならイメージはどこまでも都合よく進められるわけだ。なぜなら無職になってもその人の生活は困らないわけだから(トレードの相対化)。やはり上記のような状況を実現するには、生活基盤が整っていることが良い。もし天災などで大打撃を受けてもそこは他方との相互互助で。だってどの地方でもが天災にあう確率は同じなのだから。
まー、こんなユートピアみたいな社会ができるのだろうか。だけど現在の貨幣に苦しめられ、無駄なこと(競争)や、有害なこと(テロも含む)もやらざるを得ない社会があることも事実である。どーも自分には現状の貨幣の馬鹿らしさを全人類が強く認めて前に進む・折衷案を掴むのがベターであると思うのだが。
その前にパンピーの方に無貨幣の世界があることを想像してもらえるかが問題である。ちゃんちゃん。
投稿: 下村直樹 | 2015年9月27日 (日) 01時20分
訂正
やらざるを得ない社会があることも、厳然として事実である。
投稿: | 2015年9月28日 (月) 02時03分
人が年老いて力尽き倒れた時に=おカネを払えなくなった時に、社会から「ハイ、これがあなたのデッドエンドです」と宣告されるのは残虐な社会である。また、まわりに誰も居ないまま死んでいく(孤独死)のも残酷極まる。
またそれを避けるために、おかねを貯蓄して貯蓄して生きていくのも、現状の不景気を加速させて、今生きるのを息苦しくさせてしまう。またまた、それを避けようとして高給取りを目指しても、そのケツから格差(弱者)を生み出し総合的に見て、万人(その人)を苦しめる。(大金というものにはどう見ても、良心の呵責がつきまとう気がする)
やはり、どう見ても転んでも貨幣に支配される・使われる・使う限り永遠に幸せは実現しないように見える。
要は「選択の問題」だと思う。「カネを使う社会を選ぶのか、カネを使わない社会を選ぶのか」腹のくくり方次第というか。後者を選んだ場合、「何をしてはいけないのか、何をしなければいけないのか」・・・
今はただ夢でしかないけど、その高い夢・理想・目標をなるだけ多くの人と(固く)共有することが、今の目標のような気がする。
投稿: s.n | 2015年10月 3日 (土) 06時17分
>良心の呵責がつきまとう気がする
それと同時に不安感。いつかこのカネがパーになる、無くなるのではないかという不信感がつきまとう。一様にミリオネイヤーの顔は薄汚い、晴れていないように思うのだが。
おカネを使う社会は、根本的に安心を持てない社会だと思う。では、それに代わる安心感とは?
投稿: s.n | 2015年10月 4日 (日) 07時56分
それに代わる安心感とは、意識の上で万人と手をつなぎ合っていることだと思います。その手を離さない、取りこぼさない。その心を共有することが、安心感になりうる(貨幣のような心のない、物理的なシステムにたくす悲惨)。また、それを助長するのがメディアの働きだと思う。出たり入ったり、動きやすくするのが、‘糊’たるメディアの本質である。ということで、生きている全員がメディアに参加した方が良い。
また、手をつないで生きていくにしても、人は“人間以上”のものを目指す必要がある(やはり人間どうしても自分が一番かわいいのである)。 それが自分には{天」とか「み仏」(ほどけ)というものになる。
仏というのはもちろん、一神教ではない。三千仏世界というように仏は何人もいる。人間も修行次第で仏に成りうる世界である。心に「天・仏」をいだくとは、ともすれば卑小な過ちを犯してしまいやすい自分に対するストッパー的な働きをしてくれるのではないだろうか。また、過ちを悔い改める元やエナジーもそれにあたると思うのである。 (自分が立派な人間だと思っているならその必要もないのだが)
投稿: s.n | 2015年10月 7日 (水) 06時26分
s.n さん、通称、仏の奥義、佛、の真義をご存知かな?
投稿: パオ太郎 | 2015年10月10日 (土) 16時54分
詳しくは知りません。聞かせてくださいな。
投稿: s.n | 2015年10月11日 (日) 01時49分