「貨幣」==「他者不在」
つい数日前のひらめき記述で素描したように、貨幣は全人間を単一・共通の測度でベタ塗りするのである。だから、貨幣関係においては互いの他者性がimplicitにもexplicitにも不在であり、他者性認識はどこか脳の外の遠くの不可視の宇宙の果てへと忘却されている。忘却は‘思い出す’こともあるから、ここではあまり適切な語ではない。
やはり、不在、「他者不在」がいちばん的確な語だろう。
貨幣関係、交換価値関係が複数の人間間(かん)を完全に支配してしまう、その根因は、人類が遺伝子の中に持っている「沈黙交易」のトラウマではないか。しかし、そのように相互疎外関係にあった原始共同体間にも、かなり頻繁にロメオとジュリエット物語は発生し、それは大きな共同体間コミュニケーションへ発展することはなく、マイナーな悲劇へと封殺されたと思われる。
コミュニケーション不能には、各共同体がいだく強烈な鎧兜(よろいかぶと)、宗教・神も強烈に貢献するが、宗教批判の起源がニーチェの「神は死んだ」だったとするなら、その歴史は浅く、まだ大衆的普及にはほど遠い。よく知らないが、当時ニーチェは、社会から狂人扱いされたのではなかったか。
貨幣という単一・共通の測度のグローバル支配には、したがって人間の遺伝子の中にしぶとく残る旧共同体性(≒オトコの戦争愛好癖)を融解する力はない。むしろその支配は、宗教勢力等によっても都合よく利用されるのだ。
9月28日加筆
「ローカル権力(II)」の後半を、かなり加筆しましたので、おひまな人はぜひお読みください。
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