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2015年8月28日 (金)

やっぱり女性はエライ!(第n回)+ロックは女声

今夜(15/08/28)訳したこの記事。気負わず、ごく自然に、強力にやってるところが、すごいね。これが、今の--女性のものと化した--ロックと通ずる。

ブライアン・フェリー氏も、Dylanesqueのときのインタビューで、女声コーラスを効果的に使っている点について、「女性の声、高い声が好きなんだ」と言っている。

わたくしは朝3時間(4:00-7:00)、夕3時間(2:30-5:30/6:00)、休日もなく犬猫労働なので、過労でかったるいときは音楽をかけながら作業をするけど、最近はオトコの声や音がますます、ダサく、キタなく、ウットウしく感じて、疲労感がかえって増してしまう。

20世紀、ロックはワカモノのもんだった。それも、なぜか圧倒的にオトコだったけど。

今21世紀、オトコのワカモノなんて、いるかいないか、どこにおるか、全然分からない状態になってしまった。もう、どこにも、いないのではないか。

21世紀の今、ロックをやる意味と意義と価値があるのは、女性のみである。ロックをやらなければならない強い動機を今持ちうるのは、女性のみである。

21世紀、ロックは女性のもんである。
(オトコがやれば、ただ単純に、きたない、むさくるしいだけ。)

疲れない、むしろ鋭い癒やし感のある、キーーーンという高い女声をもっぱら聴くためには、YouTubeでfemale rockとかfemale rock singersとかで検索すると、最新の人びとをたくさん聴ける。いちいち画面見て、名前とかバンド名などを確認している余裕はないけど。やっぱり、今のオトコのムサいロックに比べると、圧倒的にパワフル。

フェリー氏も、その声質の原点は、Shake your hair girl with your ponytailやNow, only sorrow, No tomorrow ...などの、伸びの良い高音のシャウトです。

オトコの、ムサきたねーオトコ性への否定として、Bowie氏やBolan氏などのボーカルスタイルやギターサウンド、メイク等はあった。今、それらと等価な、あるいはそれらすら超える、工夫や努力は皆無となった。ただひたすら、うっとうしく疲れるオトコ性のみが、無反省にのさばっている。

それは、今や、ロックはとっくに、オトコのもんではなくなっているのに、ずるずるとやっているから、そんなつまんねー音にしかならないのだ。

今、ここ当分、ロックは100%、女性(女声)の、強い表現のためのスタイルである。

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今日(08/29)は、たまたま歌詞を一つだけ拾えたので、下に紹介しておこう。
なぜ今、ロックは女性のものでなければならないか、その訴求するパワーの必然性が分かる。


Hideaway by Shadowside

Hideaway - Hide before you fade away
Hideaway - Hide before they take you away

Hideaway to forget the truth long lost and left behind
To bury that forever
Run away just to hide what's lost and must be left aside
In the dawn it will be gone if
She just runs away, far away from all mistakes
And just lets the mask fall off of her face

The she'll kneel with the whole world
Laid on her shoulders
And hope she's strong enough
She will think she's dead
Think her faith is gone
But she'll get up one more time and
Scream to everyone

Hideaway - Hide before you fade away
Hideaway - Hide before they take you away

Whe it feels she will have to wait
Forever and a day
To release herself from all the pain
It is when she's closer to being delivered
Peace of mind
In the morning it will be gone if she just
runs away, far away from victories
Remember hoe the world is contradictory

She will get up one more time
and walk back home
In her beauty so sublime
She'll be idolized and carried on their shoulders
until they hunt her for the uncommited crime

Hideaway - Hide before you fade away
Hideaway - Hide before they take you away

Hey - what would you say if you were to blame
For everything I don't understand?
You'd say you know how it is but you were never like this
I'm the prey

Hideaway - Hide before you fade away
Hideaway - Hide before they take you away

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インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢(ISAK(アイザック))の小林りんさんも、このシリーズで取り上げるべきかな。まだ、よく知らないんだけど。無名の人も含め、このブログの読者のみなさまが、候補を推薦してください。

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2015年8月13日 (木)

裕仁の万世が一、二世となり貫太郎の永遠が寸暇となる愚態

それは最悪の愚策であり、今度の方が前よりもやばい。
最良の賢策は、アメリカ(等)の敵国を、日本の敵国としないことである。
それしかない。第二のピカドンを避ける道は。
今こそ賢人と偉人が必要だが、いません。
お馬鹿な小人(しょうじん)しかいないから、ほんまに、やばい。

「万世の為に太平を開かむと欲す」…裕仁(初めての、最初で最後の、自主的意思表明)(たぶん死刑を免れた唯一最大の理由)
「永遠の平和、永遠の平和」…鈴木貫太郎(臨終時のコトバ)

今こそ、自主的平和外交と自主的平和政策を。

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2015年8月11日 (火)

川内原発の阿呆

メルケル氏の論理は、たぶん、子どもにでも分かる単純なものだ:

●人間のやること、考えることに、“完璧”はありえない。
●その穴(見落としや予想外事)から破壊が起こった場合、核エネルギー装置はコントロール不能になる場合もあり、そのときの悲惨度がとてつもなく大きい。
●だから、原発は最初から、作るべきでも稼働させるべきでもない。

ところが川内原発の阿呆は、日本の1930〜40年代までの軍部等とまったく同レベルの阿呆で:

●川内原発の安全性は完璧である。
●だから再稼働させても絶対に大丈夫である。

日本でプログラミングが広く普及しないのも、多くの日本人が、正しい普遍的な論理とは無縁な無責任空間にて生きているからだ。

※引用、ダイヤモンド・オンライン15/08/12より:

新浪 実は最近また『失敗の本質』を読み直しました。痛感しましたね。ここで描かれている旧日本軍的発想が今の日本の企業社会にも残っていると。

野中 ほう、具体的にはどんなことでしょう。

新浪 システムによる統合よりも属人的統合を重視することです。端的にいうと、それがITの弱さになって現われていると思います。日本企業はハードをつくらせたら抜群によいものをつくるけれど、ITになると弱くなる。業務の標準化が徹底せず属人的になり、最後は人に頼ってしまうからです。

 人に頼れば人を整理しづらくなる。人を整理する発想が経営者になくて、情緒的に判断しますから、ますます業務の標準化が進まない。結果、日本独自のITサービスはなかなか育たない。まさしく悪循環です。70年前に日本はアメリカに負けましたが、今またIT分野で敗北を喫しているのは、失敗から学んでその本質が変わっていないからだと思います。


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2015年8月10日 (月)

双方向的多方向的コミュニケーションネットワークというディスクール環境

ケネディ大統領暗殺事件から50周年を記念して(?)、Killing Kennedyという本と、その映画化(テレビドラマ化)が2012-2013年に出版されている。映画の方をたまたまBS11chで見る機会があったので、そのアメリカでの受け取られ方を知りたくて、US Amazonのレビューを読んでみた。

全部で150編近くあるレビューの中で、いちばんの力作はShawn Stjean氏のものと、それに対する数篇のコメントだ。

映画そのものは、事件に関する政府の公式調査報告書、いわゆるウォーレン・レポートをなぞっているだけだが、レビューの多くが、その虚偽や欺瞞を突いている。

そこで感じたのは、自由なコミュニケーションネットワークというものがあれば、一国の政府による言論統制や、言論誘導は不可能ではないか、ということだ。だからこそ、あの、大至急民主化革命を要する某国は、インターネットの規制に躍起になっている。それは結果的に、あの政府の死期を早めるだけだ、と思うが。

ケネディ大統領暗殺事件とその真相不解明の持続が、今でも、アメリカ社会の大きな不治の傷であることも、このレビューの多さから分かる。本はたくさん書かれているが、どれも長編で読むのがたいへんだし、しかも対話性や会話性がない。(おすすめはSummers著のNot In Your Lifetimeらしいが)。

ネットワークにはこのように、傷を傷として明示化する力もある。政府がいくら、傷はもうない、と言い張っても。

※キャロラインさんの表情がいつもさえないのは、やはりあの犯罪に未だに正義がなされていないからでしょう。いつ、どんな形で、なされるのか・なされないのかも、定かでないし。…多様な議論を国家等がブロックしないぶん、某似非社会主義国家(複数)に比べると、ましだけど。

ネットワーク上でUberが、タクシーという固陋な業界を解体無力化したように、ネットワークはいずれ、国家の政府というものを有名無実ならぬ有名無力化するかもしれない。だから、今永田町〜霞ヶ関で、ネトウヨのような人たちがおそろしい法律を通そうとしていても、people's powerによる対抗力がネット上で強力に育っていく可能性もある。

TPPも集団ナントカも、アメリカのゴリ押しにすぎない。みんな、騙されないようにしよう。

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2015年8月 7日 (金)

他者不在--Part 8

生に特権はない。
せめて、少なくとも、生と死は自然の中において“対等”、ぐらいにならないと、死がいつまでも他者不在の他者として疎外される。

そうすると、生も、貧しく、不幸なのだ。

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2015年8月 3日 (月)

他者不在--Part 7(日本の原爆追悼行事)

どんなにひどいと言っても、やる側にとっては“残された唯一の有効なと思われる戦術手段”でしかない。そしてまさにそれは、まさしく有効だった。

むしろ、声を大にして明示的に言うべきは、世界の人びとの幸福に寄与するところのない、大義なき戦争(==侵略戦争)の自覚、とその敗戦の自覚をバカ政府とバカ軍部が(もっともっと早めに持てたのだから)、せめて、沖縄の人たちをあれだけひどい(しかもやる前から完全に無意味な)苦憺の目に遭わせる前に公式に明示的に持ったら、原爆投下はなかった、ということだ。完全な負け戦なのだから、もっとさっさと降伏していれば。

原爆投下の責任は100%、当時の日本の意思決定層にある。

特攻隊や回天なみの、非人間的なひでぇことを、彼らは、最後に一つの大きな島と、二つの都市の大量の市民に対して行ったのだ。

今からでも遅くはない、彼らの巨大な人道犯罪を、明示化して歴史に残すべきである。

他者不在の、ぬるぬるふよふよした、自己満足的にすら見えるおめでたい追悼モードは、そろそろ完全にやめろ!!!

重要な追記:
現在進行形でひどいのは、あれだけ大量の犠牲者を出した沖縄に、平気で、大量の戦争準備施設を配置していることだ。どーなってんだ、そんなことができる神経は?

フクシマを見てても思うが、日本の最高意思決定層は無責任性がその核にあり、したがって、早めに、思い切って、十分に大きな策をずばっととらない。いつまでもいつまでも、ぐずぐずぐずぐずして、下部(現地等)にずるずると犠牲を強いていく(人間への関心、配慮。愛情がゼロ!!)。せめて、東京オリンピックの辞退は、間に合うタイミングでやってほしいね。

★★“自分が責任をとりたくない根性”が、もっとも重く罰せられる仕組みを作る必要がある。
★★選挙民責任。ゾンビ政治家を作り出す“無責任選挙民”が罰せられる仕組みも必要である。


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2015年8月 1日 (土)

他者不在--Part 6

うーん、久々に、リアルな他者※が出てきた。
日本人ジャーナリストがロシア亡命ができず、モスクワの空港の待合室で5-8月のあしかけ4ヶ月、暮らしている。
アメリカ迎合の記事を書くのに、疲れたのだそうだ。

※:のんべんだらりの日本の似非ジャーナリズムに対する、厳しい他者が一人でもいた、ということ。しかもその人が、亡命志願しか表現手段がなかったこと。ひどい状況であります。

まあ、その人のことはよく知らないし、書くきっかけになったにすぎないけど、TPPも集団なんとかもアメリカ迎合ずら?

・関税や外資進出のことは日本自身が決める。TPPは、完全無視。
・自衛隊が世界治安の助っ人(グローバル警察)になるときは、その都度の現実的状況で日本自身が決める。

これで、さっぱり、クリアーに、いいじゃない。
クリアーになってれば、その人は、ロシア亡命を決意しなかったかもしれない。

今の(いやらしく非明示的な)アメリカ迎合状況は、1930年代ー40年代の愚状況とそっくりで、非常に怖い。

他者が国内で有効な抵抗をできず、亡命を志願するのも、怖い。

このブログが、世間から無視されっぱなしなのも、意外と怖いことかもしれない。

夏のおすすめバックナンバー: http://alga.moe-nifty.com/xor/2012/01/post-e796.html

これをリツイートすれば、アフリカの貧乏少女に生理用品が寄付され、生理中でも学校へ行ける:

#TalkRubyToMe Yes, woman is the world's most precious treasure. They could stop war.
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