他者不在--Part 3
ほんで、他者不在とは、読んで字のとおり、他者がいないってことやから、
全存在すみからすみまで==自者存在
でなければならない。
そこで、本来なら他者としてコミュニケーションすべきものが現れたときには、
●それを削除する。
または、
●武力や富力や(視野のサイズが最小の)技術力でもって、支配下に置く。
ことにより、自者化を実現しなければならない。
ほんで、殺したけれども霊までも支配せんとやばい、というときには、出雲大社のようなものに強制的に霊を祀って擬似的安心感を得るのである。勝手な、一人よがりの、安心感を。
すべての鎮魂行為が、他者の自者化が霊にまでも及ぶ、入念な愚行であり、乱暴な思い上がりである(‘鎮’/‘魂’が可能である、という)。
おいおい、てめーら、出雲大社はおめでたい観光の対象じゃないぜ。太古の、大殺戮の記念館にすぎない。
観光客、これもまた存在自者化の大阿呆どもなり。
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コメント
闘争心
勝利至上主義
勝負師
女にもあるが、男はこれだけである。
投稿: 南 | 2015年7月30日 (木) 07時49分
『存在の自者化』
景気対策、景気対策と懇願する選挙民。身の回りの目に見える景気というパンドラの箱だけで判断する奴ら。競合相手の不景気には完璧な無関心、無視。相手を踏み潰しても這い上がれれば良い(本当かよ)という論理。「ビジネスってのは、こういうもんだよ」という居直り。全国制覇という野望。
『貨幣を用いることの、どうしようもなさ』は、やはり万人が知る必要があると思う。富裕者であるためには、数多くの貧困者が必要である。富裕な者は後ろめたさが必要である。そうでないと、真っ当な社会とは言えないのである。
投稿: 下村直樹 | 2015年7月31日 (金) 00時43分
『自者存在』
このくそ暑い中、車の窓を閉め切ってエアコン効かして走っておられる人間。温暖化の原因についてどう思っているのか。「俺は関係ないし、俺だけじゃないし、暑いし仕方ないし、地球(まわり)がどんだけ暑くなっても、車の中が涼しければいいし」
少しでも、自分に猛暑の責任と申し訳なさを感じるなら、閉め切って走ることはできないはずである。その自覚のなさ。他人事である。
この夏、正しい車の乗り方は4つの窓全開、ランニングシャツでBGMにBob Marleyでもかけて走れば最高である。背中から肩にかけて、涼しい風が吹けば快適なり。閉ざすのはよくない。暑さを楽しむべきである。
投稿: 下村直樹 | 2015年8月 8日 (土) 07時08分
コミニュケーション論とは、少しずれるかもしれませんが、すべての鎮魂行為が愚行であるということに関して、靖国神社を思い出しました。僕の爺さんの弟二人戦争で亡くなっているのですが、七十年たっても、母は叔父さんに可愛がってもらった話をします。 今の馬鹿総理の爺さんは、戦争期の指導者の一人だったじゃないか、それを総理にまでなりやがって。馬鹿総理も、のこのこ出かけて国のために亡くなった方を追悼するのは当然ですだと、違うだろって。お前らが戦争しなければ、違った生と死があったんだ。 本当に愚行そのもの。
投稿: こうじ | 2015年8月 9日 (日) 20時06分
@こうじ
> 爺さんの弟二人戦争で亡くなっている
大叔父二人の戦死は、多すぎですね。実は私も、伯父二人が戦死しています。靖国については、前にも書いたことがあります。
ほんとに、ひまと機会と能力があれば、当時の軍国主義の指導者たちと、今また戦争準備を進めている連中を、告訴したいです。
投稿: iwatani | 2015年8月10日 (月) 09時12分
勝利なんて大したことはない。敗北(失敗)からのほうが、はるかに先に向けて多くの事を学べれる。失敗の方が貴重のような気がする。
投稿: | 2015年9月 5日 (土) 08時04分
ヒトは快感を感じない事は何ひとつしない生き物なのだ。従ってコミュニケーションも、、、、。
投稿: bad | 2015年9月26日 (土) 18時01分