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2015年6月29日 (月)

コミュニケーションの歴史

ふつう、なにかxxxの歴史というと、「xxxはどのようにして始まったか」から書き出すと思うのだけど、コミュニケーションの歴史だけは、相当異常だ。それは、こう書き始めなければならないし、それしかありえない:

人類のコミュニケーション不能(communication-less)はどのように始まったか

そして極論的に単純化していうと、最初は、すべての人間が何らかの共同体の成員であり、どの共同体にも属していない“個人”は存在しない。そして共同体内では伝統的慣習やルールが支配し、毎日の生活において、コミュニケーションは要らない。したがって共同体内の個人間にはコミュニケーション不能だけあれば十分である。言い換えるとそこは、最初にコミュニケーション不能(communication-less)ありき、の世界だ。

単純化しすぎかもしれないが、骨格的にはこれでよいだろう。

そして、コミュニケーションが当時でも必要となるのは複数の共同体間だけど、そこも、最初にあるのはコミュニケーションへの意思ではなくて、コミュニケーション不能、ないし、コミュニケーション忌避(or恐怖)だ。そこから、トレードと戦争がセットになったコミュニケーション不能(communication-less)が、国際ならぬ共同体際(intercommunal)関係を今日に至るまで非常に長期支配する(今は多くの人が国家と呼ばれる大型共同体に属し原初共同体の力は弱いので、家族という弱小血縁共同体や企業という貨幣競争的経済共同体がその大型共同体の“サブコミュニティ”になる)。

文化人類学者から、沈黙交易(dumb barter)というものを習うのだが、よく考えるとそれも即日から、あるいは遅くとも開始の翌日から、貨幣的取引になる(はずだ!)。もちろん形式貨幣が普及するまでは、現物貨幣だけど。

====今日はここまで、続きは明日以降に===

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コメント

貨幣も、宗教も、戦争も、「沈黙」の代償である。

投稿: 市川智 | 2015年7月 2日 (木) 12時35分

そうだ、そうだ。「沈黙」は罪悪なり。
みんな叩かれて成長するのだ。叩かれるのを
恐れてはいけない。すべては、肥やしになるのだ。

「キーキー鳴る車は、油がもらえる。」
「出る杭は、打たれる。」
二者を比較すると、前者の方が前進する可能性が見える。
ひるんではいけない。ぶつかってみようでは、あ~りませんか。

投稿: 下村直樹 | 2015年7月 2日 (木) 22時20分

ということで

「もうひとつの戦争==大スポーツ大会」

アホか、くだらん。勝ち上がって行くことに快感を感じているようでは、いつまでたっても各種“戦争”は無くならない。

投稿: 下村直樹 | 2015年7月 2日 (木) 22時59分

>くだらん
ファイルに近づくほど、両チームの実力は同じレベルに近くなる。そんな二者のたった一つの試合の勝ち負けに、鬼の首を取ったかのように大騒ぎしているのがアホらしいのである。一回の勝ち負けなんて偶然によるところも多いのだろう。オウンゴールという笑えないのもあるし。

投稿: 下村直樹 | 2015年7月 5日 (日) 01時39分

そもそも、強者を極めたいとい発想が、自分にはついていけない。そのためにみんなで練習しているんだろうか。闘争本能? 理解不能なる執念です。

トップに立つことは、偉大なことだろうか。それとも、世間にとっては単なるお遊び?マスメディアの悪罪?
応援に執着するのも分からない。お前が輝け!バカヤロウ。

投稿: 下村直樹 | 2015年7月 8日 (水) 05時59分

人の応援に執着=自己忘却(疎外)=他者(敗者)不能、かしら。

投稿: 下村直樹 | 2015年7月 8日 (水) 06時07分

他者(敗者or勝者)不能ではなく、不在でした。
実際に対戦した選手には、リアルに相手への敬意や感情もあるだろうが、単に応援している者には「勝った、負けた」という即物的な感情しかないのでは? せいぜい自国選手への感謝(?)や、ねぎらいのみ。相手選手についてのねぎらいや賛美なんかは、ほとんど無いのでは。なんか無責任・動物的に騒いでるような気がする。

投稿: 下村直樹 | 2015年7月 9日 (木) 04時59分

@下村
>オウンゴールという笑えないのもあるし。
敗北点、自責点を入れてしまった相手選手のことを考えると、笑えないですね。

@iwatani
>コミュニケーション忌避(or恐怖)だ。
文明も文化も乏しい古代では、しょうがないと思います。だけど、現代でも生活するのに不安が伴う限り(トレード)、コミュニケーション忌避は繰り返されます。
根本には、「死」を恐怖と感じている限り、ゆったりしたコミュニケーションを楽しむゆとりが得られないのでは。死は必然だから、死の意味を転換して問わなければ。それは、「どう生きるのか」という事につながってくる。他に貢献し、精一杯生きてアトの者に引き継いでいけた時に(役割交替)、「死」は安らぎ・満足に変わるのである。(補足:先にある死を苦しみと捉えるから、今の生も“開けない”苦しみとなる。予期不安)
これまでとは別の、「生き方、死に方」を目指す社会に成ったとき、コミュニケーションはゆったりと充満するのではないだろうか。

投稿: | 2015年7月15日 (水) 00時29分

人間なんてどうせ、一人で生まれて一人で死ぬのである。(今の存在・関係性も永遠ではない) それを、「不安・孤独・虚無」と見るか「安心・何処へ行っても同じ・自分次第」と見るかで180度景色は変わってくる。人生のムダな重みが吹き消されるわけだ。
「死」も単なる通過点、もっと積極的に役目を成し終えた“喜び”と見れれば、・・・。自分の得意な分野をみつけて、そこで社会に貢献できれば大往生じゃないだろうか。

投稿: 下村直樹 | 2015年7月24日 (金) 01時10分

「もう一つの戦争=大スポーツ大会=トレードのたね」
あーぁ、今私の好きな木村沙織選手がバレーボールでオリンピック出場をかけて戦っておられる。どうにも、盛り上がれば盛り上がるほど見る気がしなくなっている。なんというか、「利用されている」感がハンパないのである。
選手は選手で、「キップはたったの2枚」とかあおられて、必死に戦っておられるし、観客も戦績が良ければ良いほど期待して盛り上がる。テレビも100万円クイズとか言って、視聴者を釘付けにする。
なんか、こういう戦い! を種に大々的に商売するってどうなんだろう。「キップは2枚!」といって希少価値を作り上げ、それに向けて戦わせる、商売をする。儲けるのは誰だ。たったひとにぎりの上層部・権益者・支配者だろう。なんか本当にスポーツを自分のものに、メディアを自分らのものにするには、あんな「大スポーツ大会」なんてあってはならないと思う。それにこれ以上のトレードの過熱は、『トレード信仰』をさらに強力にし、人間に不幸をもたらす。
ちなみに私は昔「芸能人水泳大会」も嫌いでした。「ポロリもあるかもよ」とかいうエサをちらつかせている感じが嫌いで、「死んでも見てたまるか」という心意気でおりました。

投稿: 下村直樹 | 2015年9月 2日 (水) 06時21分

訂正
『トレード信仰』をさらに強力にし、人間に確実な不幸をもたらす。

だいたい不安定なトレードを生活に直結させていることが、狂気。そんな不安定の中で暮らしているから、さまざまな争いが起こるのである。権力者のメシのたねである。

投稿: 下村直樹 | 2015年9月 2日 (水) 06時40分

「イナカモンの光景」
イナカモンとは。
なんかハヤッテいるもの、目立っているもの、最新のもの、話題になっているもの、人の集まっているものに、ピラ~ピラ~と吸い付いてしまう奴ら。本当に自分に必要なのか、必然性があるのかも考えずに、乗り遅れることだけを恐れて、のっかって来る奴ら。けして自分が輝こうとはしない。自分で勝負しようとはしない。まわりの状況を考えようとはしない。ヒカッているものに自分をたくして満足・誤魔化している奴ら。それで、閉じたコミュニケーションが大好きで、くうそな人生をすごしてしまう人達。あ~ぁ

市場で見ていて思うのだが、若い人はネットで調べてくるのだろう、自分の目的店にまっしぐらなのである。有名な店だけが目当てであり、そこがどれだけ行列が並んでいようと、必ず後ろについて何時間も我慢して立っている。たぶん金沢の人間には考えられないことである。ここは食が豊かなのか、お店に入って失敗した経験のない人が多いのだろう。長時間並んでまでして、食べるというメンタルが分からないのである(自慢が入ってしまっただ)。
なんにしろ、若い人の行動を見ていると、有名な既知のお店しか眼中にないというのは、さびしい限りである。チャンスミーティングが入り込むスキマがまったくない。未知のものを受け付けない、というか。(確認するだけである)。
限られたお金で失敗したくない、という気持ちもわかるけど・・・。

投稿: 下村直樹 | 2015年9月 3日 (木) 07時41分

ふ~んと、一応女子バレー大会は終わったのだけれども、なんというか、ご苦労さんと言うしかない。やはりどうにもシラケてしまう。「だからどうしたの」というか、もうオリンピック自体にシラケているから。
もう大量のおカネがかかるスポーツには完全にしらけてしまう。そんなに大事・おおごとなのか。ほんとにスポーツや選手を商売のタネに、無理やり仕立ててるようにしか思えない。

・スポーツ大会
・無理やりの「商業主義」
・ビッグマネーがかかる、動くことにシラケる。
・大スターに仕立て上げ、それを見ることで満足させる。
・国の名誉? 知ったことではない。(木村が気のどくだ。)
・観るだけという薄い関係性・体験性。
・小規模でも、自分がやる、関係するほうが中身は豊かに濃くなる。
・ヒロイン・ビッグマネーに対するシラケ。

投稿: 下村直樹 | 2015年9月 7日 (月) 07時16分

NHKをはじめ、メディアが、昔戦争を賞揚したように、めちゃめちゃスポーツをもてはやすのも、気色悪い。メディア本来の機能を忘却した“メディアローカル権力”による、愚民政策。

私は絶対に、NHKの受信料は払わない。

投稿: iwatani | 2015年9月 7日 (月) 08時28分

そういや思い出したのだけど、バレーボールの無回転サーブ(サッカーのキックも)、かつての名作マンガ「巨人の星」にでてくる、大リーグボール3号と同じ原理であった。あの“下手投げ投法”はクールでよかった。今、こう考えると梶原一騎は偉大であった。

投稿: s.n | 2015年10月 5日 (月) 07時15分

御意!

投稿: パオ太郎 | 2015年10月10日 (土) 16時34分

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