プログラミングと宗教の完全消去
私の知るかぎり、多くの人びとに伝わる形での明示的な宗教批判は、John Lennonの
Imagine there's no religion.
のみである。ただしこれは原歌詞の正確な形からの引用ではない。
それ以前にはマルクスの「宗教は麻薬である」があるが、しかし、これまでの(似非)socialism思想(似非)communism思想の歴史において、宗教批判がそれ単独でメインの大きなイシューとして取り上げられたことはない。宗教批判そのものが真剣なメジャーなトピックとして追究展開されたことはない。
だから人口に膾炙する形での明示的な宗教批判のディスクールは、Imagineの歌詞が人類の歴史上初めてだ、と言っても過言ではない。
ではなぜ、Lennonのような大物が言ったのに、そして人類のコミュニケーション有能に向けての大進化のための最重要の課題の一つであるのに、なぜ宗教批判は強力に広まらなかったのか。
宗教がコミュニケーション不能旧人類の精神基盤となっている根底的な巨悪であるという認識が、なぜ、まだ広まらないのか。広めようとする人びとが多く発生しないのか。
Lennonの「宗教はないのだから、宗教で殺しあう必要もない。世界中のみんなが、ただの人、ふつうの人として仲良くできるはず」というメッセージが多数の人びとの日常常識にならないのは、なぜか。
いまざっと暗算すると、Imagineの歌詞を重大なものとして受け止め、明示的な宗教否定をしっかり意識的に思想として持っている人は、世界の人口の、多くて0.01%ぐらいだろう。0.001%という線もありうる。要は、今だに、ものすごく、多勢に無勢ということだ。
99.99%の人が、宗教・貨幣・戦争という強固な三点セットの呪縛を破って脱する気がない。やはり、私が前に考えたように、コンピュータとそのプログラミングが、人類の新しい共通言語として普及しないかぎり、ただの人・ふつうの人の普遍的な論理性が、心頭の最上部を支配する事態は訪れないのかもしれない。
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コメント
宗教というか根本は人類の営みについてのことなので、問題としてはいくつかの階層に分かれるのではないでしょうか。統一的に論じることができない。
人が生きることについて、今現在は「よりよく生きる」(この定義自体、人、団体によりまちまちだが)ということを目的にしています。
まず、これの是非と人類はどう生きるべきか、それから問うことになるのでは。宗教、その他はこの「よりよく生きる」ということにぶら下がった「単なる一つの方法」なんだと思います。
ある宗教も成立時には、その当時の世の中を「よりよく生きる」(多分に発信側の都合が含まれているが)ために受け入れられたはず。ただ長い年月のうちに時代とずれて恩恵よりも害のほうが多くなってしまった。
それでも多くの人に受け入れられているのは、その枠組みにいることが楽だからです。「考えなくてすむから」。考えない結果、儀礼を忠実に守り、挙句、脱水症状で亡くなる人もいる(数日前話題になってたパキスタンの件)。
ハイネの言葉に
「暗黒時代には宗教ほど人々を導くのに適したものはなかった。暗闇の中では眼の見えない人がいちばんよい案内役で、普通の人よりもずっと確かだからである。しかし、昼明るくなっても眼の見えない人に案内させているとすれば、それは馬鹿というものである。」
というものがあります。端的にはこんな風に気が付いている人はいるんでしょうね。そもそもユダヤ教以前、何千年も別な宗教で暮らしていたんだし、その後、絶対神などというものが出てきて幅を利かせる必然性は何もないと思います。
「私は無神論者だが、そのことを神に感謝している」という言葉もありますね。でもただそれだけでなく、道徳的に生きること(他人に配慮する)が一番大切なことだと個人的には考えていますが。
投稿: more | 2015年6月28日 (日) 03時57分
@more
>「よりよく生きる」
本ブログやその前身のエッセイ集が問題にしているのは、あくまでも、コミュニケーション不能とその自覚・克服、コミュニケーション有能への進化です。よりよく生きるなんて、その結果として自動的に生ずる状態にすぎない。それ(宗教・貨幣・戦争の廃棄によるコミュニケーション有能化)なくして、よりよく生きるはありえません。絶対に。
あなた流に言うなら、ISISなども、まさに、「よりよく生きる」を目指しているのでしょう。
宗教は、単純に愚かなのでなく、すさまじい強烈な悪であり、人類社会に対する犯罪です。19世紀型の(西欧ブルジョワ社会の)インテリには、コミュニケーションという問題意識がゼロなので、このことが理解できない。宗教の犯罪性については、これやこれ、これなどが、参考になるかもしれません。
投稿: iwatani | 2015年6月28日 (日) 10時13分
@iwatani
前提とすべきことについて質問が一つあるんですが、iwatani氏は経済の形態として共産主義の類型的なものを支持しておられるんですか?
使っているような環境は、ハード・ソフト・エネルギー環境含めて経済活動なしではありえないですよね。
そのうえで:
「よりよく生きる」が必然的に生まれるというご意見ですが、それでは、人が生きる第一の目的はコミュニケーション能力を身に着けるためという解釈でよいのでしょうか。そういう解釈とすると、一人で活動することが多い人は無目的で過ごしているということになるのでしょうか。
>ISISなども、まさに、「よりよく生きる」を目指しているのでしょう。
私が問題提起したのは、「よりよく生きる」という考え方そのものの是非です。それは今現在、生きる目的の最重要項目とされているからです。これを意識するため、様々な付帯状況が生み出されているのでしょう。
投稿: | 2015年6月28日 (日) 12時57分
まあ、あなたご自身も、コミュニケーションという問題意識がゼロの、ブルジョワ的19世紀的インテリのはしくれ、というところでしょう。
ぼくは、それしか感じません。
現時点では、なにひとつ、あなたご自身の、真剣なものが感じられない。
(だから生きた対話が成立しない。)
ご自分でも、そう思いませんか?
投稿: iwatani | 2015年6月28日 (日) 19時16分
トンチンカンな事なのかもしれませんが、厭世的で孤独感が漂う職人さんでも、良い物づくりをする人はコミュニケーション能力も長けてるでしょう。あんまり大仰なことは言いたかありませんが、人の生きる目的は「自分のため」ではないでしょう。
投稿: musataro | 2015年6月28日 (日) 23時23分
@iwatani
言われていることがよくわかりませんね。
他人と関係することが必然であれば、コミュニケーション能力が要求されるのは当たり前で、その質が問われるのは理解できます。
それが大切だと思うなら、他人の疑問に対しても答える必要があると思いますがね。それがないなら何も進展しませんから。
そして自分の領分は守りつつ、都合のいいところは他人の世話になるのでは、とても「理想的な」関係が築けるとも思えませんね。
「姿勢」はおおよそ呑み込めたので、これで十分です。それでは失礼します。
投稿: more | 2015年6月29日 (月) 01時22分
@more
> おおよそ呑み込めたので
あの、今のあなたには、何一つ、呑み込む能力はありませんよ。呑み込んだと思っているものは100%、あなたの恣意的な誤解です。あなた自身冒頭で「よくわかりません」と自分の能力不足を認めておられるじゃないですか。
質問も、あまりにバカバカしいものばかりなので、アホらしくて、答える気にならないだけです。
今のあなたに必要なのは、今後3年ぐらいの、本当に真剣な深い勉強と、世界体験、人間体験です。理解できなかったことが、10年後にやっと理解できるようになった、なんてことは、誰にでもよくあることです。
すばらしい再会を、期待します。
投稿: iwatani | 2015年6月29日 (月) 07時54分
@musataro
いまさら言うのもなんですが、このブログのテーマである“コミュニケーション”は、個人のそういう、対人的日常的コミュニケーション能力云々の問題では、ありませんよ。moreさんの現在の脳は、そのことを理解できるレベルに達していない。まあ、今は、そういう人がほとんどですが。
投稿: iwatani | 2015年6月29日 (月) 08時00分
「ただの人」という存在が怖いのかもしれません。
かつて岩谷さんが言われた「処理ではなく処遇」という態度を忌避しているのでは?
要するに人間が怖い??
投稿: 南 | 2015年6月29日 (月) 08時06分
@南
宗教は、共同体の絶対性と結束のシンボル(階層の仮想頂点)であり、ただの人は、少なくとも意識の上では、共同体に属さない純粋個人です。勉強とコミュニケーション次第で、グローバルな普遍性を持ちうる。それは、共同体にとって、いじめと虐待と排除の対象です。
多くの共同体成員は、ただの人を、うさんくさく思う。近づきたくない、と思う。その人が打ち込んでいる勉強など、したくない、と思う。勉強を敬遠している人たちのためのコンピュータ製品、Appleが、異様に巨大市場を持つ現代世界。
> かつて岩谷さんが言われた「処理ではなく処遇」
これは記憶を失念しているのですが、いつの、何でしょうか?
投稿: iwatani | 2015年6月29日 (月) 08時55分
@iwatani
「よくわかりません」と「呑みこめました」は目的語が違いますよ。物事に対するあなたの「姿勢は」呑みこめましたって意味ですが。
>未開の部族 が、怒るで!
>ニッポンのイナカモンが昔からよくやる、コミュニケーションマナー違反。
過去ログで見ましたが。他人のステロタイプを非難しつつ、自分はステロタイプに陥っている、そういう「姿勢がね」。会う必要もないですね、それでは。
投稿: more | 2015年6月29日 (月) 09時45分
> 目的語が違いますよ
文脈的には、まったく同じです。わかってない、ということ。(人の言ってることを理解せずに、その姿勢は理解する、なんて、たぶん全能の神様にもできない没論理!!)※
※記述を正しく理解していないのに、その筆者の姿勢を呑み込める、なんてありえないことですから、あなたが呑み込んだと思い込んでいるものは完全に恣意的な誤解です。同じことを、ちょっと前に指摘したと思うけど…。
> 自分はステロタイプに陥っている
だから、それが、完全な誤解です(上述)。
要するにあなたという人の基本的な問題点は、ご自身の頭と心に、コミュニケーションに対する問題意識がまったくない、という点です。そこから、あらゆる誤解と無理解が生じています。“共産主義”とか、“一人で活動することが多い人は”とか、とんでもないオフコンテキストな言葉が出てくるのも、そのせいです。
言い方を変えると、人間としての熱意や真剣さ、人の体温、そういうものがあなたの、なんか妙に「上から目線」の文からは伝わってこない。
現状のあなたには、ひとに対して、“「姿勢は」呑みこめました”なんて生意気なことを言う資格はありませんよ。何も呑み込んでいないくせに(その能力が今はないのだから)。
また前と同じことを繰り返しますが、今のあなたに必要なのは:
●今からでも遅くないから、本当の勉強をすること。(今持ってるガラクタ知は、全部捨てること。)
●リアルな世界体験、人間体験をしっかり重ねていくこと。
です。私のあなたへの言葉も当面、これで終わりだと思いますから、ぜひ、まじめに、真剣に、がんばってください。
投稿: iwatani | 2015年6月29日 (月) 11時50分
@iwatani
すみません、私も忘れました。
が、強くこころに刺さっているフレーズです。
投稿: 南 | 2015年6月30日 (火) 08時07分