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2015年6月 1日 (月)

もうひとつの戦争==貨幣

多くの人が戦争反対を言うが、その人たちの多くを含む多くの人が、もうひとつの戦争を遂行している。貨幣の本質は差異であり、差異の階層だが、そこには階層のより上部を争う普遍的な戦争がある。受験‘戦争’などは、その分かりやすい例だが、その他もろもろ、悪質陰険な害他的行為も多い。その戦争の規模が大きくなり、遂行主体が国家などになると、いわゆる‘本物の戦争’になる。本物の戦争や犯罪の直接の原因や遠因は、往々にして貨幣(==トレード)である。

あの劣悪新興宗教めいた連中が繰り広げている戦争(犯罪)のような犯罪(戦争)は、数世紀にわたって貨幣的搾取と疎外に荒廃させられた地域に、毒シャボテンのように芽生え、育っている。その、ある種、一揆めいた運動に共感する人びとは、必然的に、全世界的に多いから、もう手遅れの癌のように、今後の、世界中各地への‘転移’がおそろしい。

問題は、メディアが実質的に行う教育も含め、最広義の教育が、この、もうひとつの戦争と本物の戦争の一体性を教えないことだ。前者の戦争には、多くの人がまさに‘参戦’していることも、したがって自覚されない。そこに欺瞞がある。そこで多くの場合、大衆的人気度の大きさが、欺瞞性の体に正しさという虚偽の衣装を着せている。大衆は、最広義の教育によって正しく教育されていないのだから。

本物の戦争の真犯人は、つねに、衆愚である。しかし、この真犯人が正当に罰せられた例は歴史上存在しない。…から、今後何度も何度も同じことが繰り返される。最広義の教育も、この、もうひとつの戦争(==貨幣)に加担参戦している以上、必然的に、衆愚に加担する。

解決策はある。貨幣を廃棄し、コミュニケーションをベースに、平等なリソース配分を全地球的に実現することである。「差異」をなくすことである。

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コメント

戦争では強者が弱者という奴隷を、平和では富者が貧者という奴隷をつくる

ともいいますからね。

ただどうなんでしょう。未開の部族みたいな暮らしをするのがあるべき姿なのか。

ただ、現代の路線で行っても資源を食いつぶして終わることも見えているし。

争いのない社会と怠惰な社会は全く違いますが、いつのまにか重なってしまう可能性もありますよね。

投稿: aa | 2015年6月 1日 (月) 23時46分

競争。優勝劣敗思想。

蓄積。弱肉強食。

ホモ・サピエンスに組み込まれた自滅回路?

貨幣の対義語は平等と平和。

投稿: 南 | 2015年6月 2日 (火) 07時29分

@aa
> 未開の部族みたいな暮らしをする
> 怠惰な社会
ここには、誰もそんなこと書いてない思うけど…。
(“未開の部族”が、怒るで!)

ヒトの言葉を勝手に(しかも非常に低劣なレベルで)解釈して、その勝手な解釈に対して非難をする、愚かしい“一人相撲”。ニッポンのイナカモンが昔からよくやる、コミュニケーションマナー違反。

差別やいじめの、典型的な一形態。

aaさんは、勉強を一からやり直した方がよいね。

投稿: iwatani | 2015年6月 2日 (火) 09時09分

@iwatani

これはそういう意図で書いたわけではありません。「未開・・・」の方はどちらかというと争いのない社会。調和を重んじるところが多いですからね。

怠惰な社会は、いわゆる先進国が陥りやすいのではないかということ。現にそういう部分を抱えてますから。

それと非難したつもりもないですよ。そういうのは自分のスタイルではないので。

投稿: aa | 2015年6月 2日 (火) 15時19分

>本物の戦争の真犯人は、つねに、衆愚である。
「多数決」で物事を決めることが、民主主義であるというならば、その多数がもしも愚民の集まりだったら恐ろしい社会が出来てしまう。
自分達が選んだ事、人なのに、失敗したと解ったとたんに、素知らぬ顔で沈黙するか、誰かさんのせいにする。最悪だな。

投稿: musataro | 2015年6月 3日 (水) 08時24分

オトコって、戦争けんか土木的作業等、単純な事が得意ですねー。

投稿: bad | 2015年6月 3日 (水) 15時16分

そしてまるで貨幣が自然現象であるかの様にみんな思ってるもんなあ。

投稿: bad | 2015年6月 7日 (日) 17時58分

はじめまして。よろしくt飲みます。
@iwatani
>もうひとつの戦争と本物の戦争の一体性を教えないことだ。
この記事のキモはこれだと思いました。かなりの確率で、今の日常感覚が本物の戦争に結びついてると思います。そのことに万人が自戒自責の念を持たなくては、競争・戦争は無くならないです。

最広義の教育とは、やはり子供が物ごころのついた頃から、それとなくでも、「人間として生きてく心構え」的なことを諭していくことじゃないでしょうか。それを全くせずに裸の心のまま、貨幣社会に送り込まれるので、なんの疑問も持たずに「それしかない」と思い込まされる。支配者の手口に乗っかってしまうんじゃないでしょうか。そのためには、先ず大人がそれに気づかないと。

投稿: 下村直樹 | 2015年6月12日 (金) 05時04分

はて、「平等」とは成立するんだろうか。平らで等しいとは「差異」を無くすことでしょうけど。卑近な例では、個人の運動能力・思考能力・容姿の美醜・特技・親分子分的気などなど。それぞれに持ち味は、千差万別である。(現社会では、それぞれポイントの高い人のもとへ、貨幣が集中するようになっている)

人はそれぞれに個性を持っている。その個性(得意分野)の中でも、その能力の高低の差はそれぞれである。はて、その高低の基準は誰が決められるのか。全ての上下は相対的でしか有り得ない。
そんなまったく違う個性に対して、優劣を付けることがナンセンスである。質をけとばして、量に変換して、その量によって優劣をこれまた、支配者による貨幣をもって押し付けられる。こんなの、あり?

それぞれの人が持っている個性に、優劣(価値の高低)をつけることを糾弾したい。それは、計量不可能である。全ての人が、全ての人にとって、大切なひとである。他者存在。

しかしまた、上記を認めた上で、社会的(!)に高く努力した人には、それなりの報酬(≠貨幣)があって然るべきだとも思う。本人の希望にそわすとかね。

投稿: 下村直樹 | 2015年7月26日 (日) 05時09分

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