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2015年5月18日 (月)

他者としての神

Freedom From Religion Foundation(FFRF, 宗教からの自由財団)という歴史が長く著名で強力なNPOを支える人の一人、Julia Sweeney氏(女優)が、

「神はたいへんシリアスな概念であるので、それを”信じる”といった、軽々しい、馴れ馴れしい、勝手な、傲慢・高慢な態度は取れないのである」と、自らの無宗教者としての根拠を語っている。

『他者不在』は、本ブログおよびその前身のエッセイ集などにおいて、きわめて重要な概念のひとつだが、ここのSweeney氏においては、神がしっかりと他者として措定されている。

そう、
動物園のゴリラも他者、
自己も他者、
自然も他者、
宇宙も他者、
もちろん他人も他者、
そしてそして神も、すっごい他者!!

勝手に扱うんじゃねー!
きたねー手で、なれなれしく触(さわ)るんじゃねー!

何度も言っているが、なれなれしく、不在扱いされた他者は、いずれ、その復讐をするのだ。もちろん、(各種)宗教の中へ勝手に拉致された神もまた。

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コメント

いさぎ良い!

投稿: もみじ | 2015年5月18日 (月) 22時48分

宗教 : お祈りでなく、お願いするだけの都合のよい思い込み

っていうくらいですからね。そもそも物事全部に完全な解答なんか与えられるわけがないのに、自分達で考えることを放棄するところに間違いがあるんでしょう。

自分で考えようとすれば、自分が非力なことを自覚するし他人に頼らなければならなくなる。そうすると他人の価値や有難味も必然的に分かると思いますけどね。

投稿: aa | 2015年5月18日 (月) 23時12分

他者不在の反対概念は?
他者尊厳=自己尊厳でしょうか。

投稿: ohiya | 2015年5月19日 (火) 21時53分

「信じる者は救われる」っていう考え方が嫌いだなぁ。というか弱っちい生き物だから「助け」を求めちゃうのは仕方ないとしても、人前であまりにも「生」に執着するのは無様だ。

投稿: musataro | 2015年5月20日 (水) 06時13分

“神”とは創造主のことであり、地球を創り自然を創り生物を創った。そして神は自分に似せて人間を創った。神と人間は、創造主と被創造物という絶対の関係であり、間違っても被創造物が神になれることは絶対にないという関係である。
“仏”とはブッダ(覚者)と呼ばれ、修行により悟りを得た人という意味である。仏教では生類悉有仏性の言葉があり、生物にはみな仏性という仏になれる種を宿していると言う。しかしまた、人間には餓鬼や畜生、修羅の心も併せ持っている。その厄介な心というものを、修行(他とのコミュニケーション修行)によってまるく磨き上げ、生きた仏になることを教え、目指したのが仏教だと思うのである。ってか。( ̄▽ ̄)

投稿: ohiya | 2015年5月21日 (木) 00時30分

@ohiya
> 不在の反対
は、存在です。

> “神”とは創造主のことであり、
これらは、特定宗教あるいは特定俗信の神仏の定義です。ここは、宗教からの自由について書いているブログ記事なので、そこにそんなものが出てくるのはおかしいです。

投稿: iwatani | 2015年5月26日 (火) 03時59分

"宗教”=神仏など超人間的・絶対的なものを信仰して、安心・幸福を得ようとすること。また、そのための教えや行事。

了解。

投稿: ohiya | 2015年5月26日 (火) 21時16分

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