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2015年5月 4日 (月)

他者不在(==コミュニケーション不能の根本原因)の根本原因

通常の無自覚状態では、世界は、自分という一つの主体(subject)の視野に開けるただ一つの世界であり、主体はそれ一つしかない。その世界内のものはすべて、対象物(object)であり、往々にして操作可能な(manipulative)オブジェクトである。

しかし実際には他者は、対象物ではなく、それぞれが自分とは別のsubject、主体である。各subjectの視野に開ける、別の世界がある。

動物園の比喩が便利なので、またここでも使わせていただくが、密林のゴリラをmanipulative objectと認識すると、動物園への拉致が正当化される。しかし、一個の立派なsubjectである、と認識すれば、動物園は破廉恥な動物虐待でしかない。

勝手にobjectとして扱われ、勝手なことをされた(他者として認められていない)他者は、やがて復讐する

コミュニケーションは、subjectとそのobjectのあいだではなく、subjectAとsubjectBのあいだにしか、生起しない。正しいコミュニケーションは、相手に対する沈黙の尊敬しかない、「きたねー手で触らない」ということしかない場合も多い。

追記(15/05/25): ググってみると、「他者不在」や「他者の不在」という言葉の、いろいろな人の意味が、このブログのコミュニケーション原理論のそれとは、全〜〜〜然違うことが分かる。

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コメント

はぁ、今回の催事でもいろんな細かいことを感じてきたのだけれども、トップはこれでしょう。(ありがたいことに、お天気は連日最高だった。)
山形の長井市のビジネスホテルに泊まったんですが、2日の夜に見たお月様の“神々しさ”。ホテルの前にはヨークベニマルのだだっ広い駐車場があり、思わず深夜、カップヌードルを食いながらそこに座って観賞させてもらった。満月にはチョイ前だったのだろうが、広い広い夜空に燦然と輝きを放っている月光は、特別に見えた。これまた、「いやー、いいなぁ、すごいなぁ。」と感心することしきりだったのだ。雲一つない澄み切った夜空に、明るい最大の光を放つ月はすごいのである。
そして部屋に帰って窓ガラス越しに、月を見てみた。窓は強化ガラスでできており、中にワイヤーが張ってある。その中から見ると、まるで牢屋か精神病院の一室から、月を見ているような感覚になる。
「そうか、“月”ってのはどこから見ても月なんだよなぁ、月は誰が見ても同じ顔をしてるんだよなぁ、月は人を選ばない、人が人の状況によって月を自己流に捉える、月は超えている、人なんかよりも超然とした存在である。」と、なんか、月(自然)と自分の関係・立ち位置というものに深く感じ入ってしまったのである。
後日、今度は日中である。5日は素晴らしい快晴である。風も心地よくお日様が地球を照らしている。なんというか、地球ってどれだけ恵まれているのだろうかと、思わずにはいられない。まさに奇跡の星である。夜は月、昼には太陽と、丸い光に包まれてどれだけ“天”から愛されているんだと。これだけ恵まれた星に自分らは生きているんだと。その中で人間がいがみ合い、我欲のために汚し合っているとしたら、人間ってどんだけの存在なのか、なんなのか、なんか恥ずかしい存在なんだろーなー、とこれまた感じてしまったのである。

投稿: ohiya | 2015年5月 7日 (木) 07時16分

井上雄彦さんのHPブログに愛猫こてつの“死”に関する記事がありました。興味のある方はどうぞ。

投稿: ohiya | 2015年5月 8日 (金) 07時36分

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