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2015年5月27日 (水)

ばかか!

機雷掃海ならイイとかワルイとか、そのほかもろもろ、今、具体的な細かいこと議論してどーなるの?ばか!

今後、何がどーなるかは、最悪の可能性すらある。その可能性が絶対芽吹かないように図るのが、今の野党の責任でしょうが。

性善説ではなく性悪説に立って、根本の部分を考えないと、あー、あのとき、野党も大馬鹿だったな!!!てなことになりまっせ。

#それにしても、テレビで大写しになる、今のソーリのバカ面は、ひどいね。「絶対」という言葉を、平気で乱発したり…※。今の、イナカ選挙区、超小選挙区をなんとかしないと、馬鹿ばっかし当選しまっせ。

※: そのバリエーションとして、「100%〜〜」も使うな。こんな、神ですら使わないような乱暴で軽率な言葉を平気で使える(しかも国会という重要な席で)ことは、その人が完全な馬鹿であることの完全な証拠である。

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あほ

他者不在(==コミュニケーション不能の根因)は、おそらく、人類の99%に蔓延している。

「初めての平成生まれの大関」

平成生まれとか、昭和生まれとか、日本で生まれた日本人に対してのみ言うことじゃないの?

安易に、外国人に対してそう言っちゃっていいの?

フォン・シーボルトは寛政8年生まれじゃ、なんて徳川幕府の役人は記帳したかもしらんけど。

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2015年5月25日 (月)

ばか

どこかの国の馬鹿総理の対極のような存在であるドイツの現首相は、本ブログの「やっぱり女性はエライ!」シリーズに当然登場していただくべき方だが、そのドイツですら、既存の核廃棄物の処分(how?)に今後150年を要し、費用は日本円換算で10兆円、という。

今回のばか主人公フランスは、うちは大地震も大津波もないけん、なんぼでも原発作れる、と思っているらしいが、いつも、他者の復讐は想定外のところからやってくる。今後、相当長期にわたって続くと思われる「グローバル無法地帯」のぬくぬく温室の中で、“彼ら”が空軍を持ち長距離ミサイルを持つのは、時間の問題だ(その資金源が誰か、分かるよね!)。

フランスの防空システムがいかに優秀でも、同時に10発放てば一つや二つ当たるだろう。しかも、被害が及ぶのはフランスの国土とその在住者だけではない。

原発に限らず、いかなるイシューも、影響は他者に広く波及する。全地球、全宇宙に及ぶ。だからどんな意思決定もその実装も、最初から他者を意識した内容でなければならない。某国の王子様総理は、永遠にそのことが理解出来ない。ところでフクシマ原発(等)は、前世紀前半の馬鹿戦争と同じく、当事者トップにまったく収拾能力がないようだ。150年10兆円、とはっきり言える能力すらない。それでいて、あとわずか5年後にオリンピック開催なんて、神様すら、ゲラゲラと笑いが止まらないだろう。しかも金がないので、スタジアムの外界遮断性はなくなった。

オトコは、その物理的力(force)ゆえに権力を握り、その権力は、ベースがforceであるがゆえに馬鹿である。

オトコの害獣性に気づく男性の今後の増加により、すべての権力が、おなかに抱える胎児の無事と(心身の長期的)健康をベースとするものに、移行することを目指そう。


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2015年5月24日 (日)

くそ

誰かが(ひとに危害を加えずに)やってることを、ほかの誰かが「認める・認めない」って、どういうこっちゃね?
一体、何様のつもりや?、“認める”とかぬかすてめーは?
この前、「自然の多様性」て書いたやろ?
誰が誰を認めるもヘチマもあるか、このくそども。※

#「認めない」だけではなく「認める認めないの議論があること」自体も、より悪質な差別である。

くそだらけなのは、アイルランドだけとちゃいまっせ。ほとんど、世界中かもしらへん。
今の人類の99%は、自他のコミュニケーション不能状態を、固定したいみたいやね。

※: 福祉とか教育を理由に挙げるのは、後からのこじつけである。一応多数派であるところの、1人以上のMと1人以上のF(と0人以上のC…実子または養子…)のヘテロなマイクロコミュニティでも、今では「結婚」や「世帯」という制度や概念を永久に拒否しとる人、いっぱいおりまっせ(結婚は悪である)。ワシの場合は、回りがあまりにもイナカ社会すぎて、そんなかっこえーこと、できんかったけどね。

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ロックが変えたクラシックのパフォーマンス

おひまなおりに、できるだけ良い音、大きい音で聴かれることを、おすすめします。

https://www.youtube.com/watch?v=rEGOihjqO9w(アンナ・フェドロワ、ラフマニノフ、コンチェルト2)…なにしろ、超かっこいい!

https://www.youtube.com/watch?v=dtxaoN28ryA(イングリッド・フリター、ショパン、コンチェルト2)…複数のファイルに分かれているので、辛抱して全部通して聴いてください。

https://www.youtube.com/watch?v=OF9fneQ50Us(パトリシア・コパチンスカヤ/ファジル・サイ、ベートーヴェン、クロイツェルソナタ)…信じがたいほどパワフルな怪演。

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2015年5月23日 (土)

やっぱり女性はエライ!(第n回)

国際司法の充実整備も、たぶん、この手でいけるかもしれない。

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2015年5月19日 (火)

The Rape Nation India, Why?

解決策は、Googleが(Facebookが、Twitterが、etc.,etc.,etc., ...)本社を物理的地理的にもインドに置き、社員の99%をインド人にすることである。インドの…近代化の推進を担うべき…優秀な人材の海外流出を、完全にシャットダウンする。

中国の健全化(真の民主化革命)のためにも、この”流出防止”が重要だろう(今は逆に、現状と将来に絶望して、金持ちたちがどんどん逃げ出しているが)。ついでに、中国系×××人(例: アメリカ人)の全員本国送還が、効果的かもしれない。

インドにおける文化的主犯はヒンズー教の風土だと思うが、近隣のパキスタンやアフガニスタンなどでも、女性に対する残虐さの日常化は50歩100歩だよな。妙なところに、資本主義の歴史が作った歴史の死角があった、ということ。なんとかすべきだが、女性がボランティアで出かけるのはやばい。現地の人たちが流出せず頑張ることが、第一。

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スポーツという汚辱、愚心のゴミ溜め

大規模な、しかも”見るだけのための”スポーツは、バカをバカに非常に長期間(たぶん一生)固定するための強力な麻薬注射である。ここだけ、古代が大手を振って、今だにのさばっている。愚民固定維持装置。

NHKの受信料を絶対に払いたくない大きな理由の一つ。(それにしても、やつら、カネあんね〜〜!!)

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世襲トップ、地獄への道

その基盤は、真の民主制の欠如ないしその腐壊である。日本の場合は、地域ボス的保守政治家、その”一家”(子々孫々)と地域愚民との腐れ縁(+小選挙区制)が、民主主義の基盤の実質的な完全腐壊を招来している。そのことに気づいている人があまりいないことも、腐壊の進行の深刻さを示している。

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2015年5月18日 (月)

他者としての神

Freedom From Religion Foundation(FFRF, 宗教からの自由財団)という歴史が長く著名で強力なNPOを支える人の一人、Julia Sweeney氏(女優)が、

「神はたいへんシリアスな概念であるので、それを”信じる”といった、軽々しい、馴れ馴れしい、勝手な、傲慢・高慢な態度は取れないのである」と、自らの無宗教者としての根拠を語っている。

『他者不在』は、本ブログおよびその前身のエッセイ集などにおいて、きわめて重要な概念のひとつだが、ここのSweeney氏においては、神がしっかりと他者として措定されている。

そう、
動物園のゴリラも他者、
自己も他者、
自然も他者、
宇宙も他者、
もちろん他人も他者、
そしてそして神も、すっごい他者!!

勝手に扱うんじゃねー!
きたねー手で、なれなれしく触(さわ)るんじゃねー!

何度も言っているが、なれなれしく、不在扱いされた他者は、いずれ、その復讐をするのだ。もちろん、(各種)宗教の中へ勝手に拉致された神もまた。

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骨董品rmdir

かつての、“Linux/UNIX小学生”ぐらいのころは、ディレクトリを削除するにはrmdirコマンド、と教わる。remove directoryだから、妥当なコマンド名だ。

ところが、このコマンドでディレクトリを削除するためには、そのディレクトリが空でなければならない。中身があると、このコマンドはエラーメッセージを出して、終了する。

中身のあるディレクトリを削除するには、ふつうのファイル削除コマンドrmを使う。ディレクトリの中まで再帰的に下りて行って中身を消すために-rオプション、いちいち確認メッセージを出させないために-fオプションを使う:

rm -fr foo

でも、われ思うに、中身があってもディレクトリを消す、という機能は、そもそも、rmdirコマンドのオプションとしてあるべきだ。rmを上のように使うのは、知らない人は思いつかないウラワザだ。

だいたいにおいて、ディレクトリを消したいとき、そこに中身があるのがふつうである。rmdirでディレクトリを消すためにまず中身を空にするのは、よほど単純なディレクトリ以外は難事業になる。

というわけで、われわれがLinux/UNIX小学生時代に習ったrmdirコマンドは、今や、なくても誰も困らない骨董品である。rmもrmdirも古くからあるコマンドだが、rmの方はある時期に、進化の機会があったのだろう。※

※: manページによると、rmdirの作者はWritten by David MacKenzieであるのに対し、rmはWritten by Paul Rubin, David MacKenzie, Richard M. Stallman, and Jim Meyeringとたいへん多い。GNU, Free Software Foundationの御大RMS氏の名前もある。rmには、たくさん手が加えられていることが分かる。

なお、GNOMEのGUIでは、アクションメニューに「ゴミ箱に移動する」があるが、rmで消したものはGUIの資産であるところのゴミ箱には入ってくれない。ゴミ箱を肥大させたくない人は、コマンドの方が良い。

また、もちろん、今回の私の作業例のように、自分がオーナーでないディレクトリは、GUIのメニューからゴミ箱へ行っていただくことはできないから、sudoを伴うコマンドラインでやるしかない。


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2015年5月17日 (日)

パーティション操作顛末記

今の日常のメイン機はH22秋に作ったBTO機で、HDは当時の標準(?)500GBである。世の中にはWindows上でないとだめなもんがまだあるので、これをLin/Win半々に分割して使っていた。

最近、ディスクをチェックしてびっくりした。Lin側はすでに94%も使用済みになっている。犯人は誰か? ファイルとサブディレクトリの数が115万9936個もある怪物的トップレベルディレクトリusrは、わずか6.5GBしかない。いろいろ調べると、ディスク蚕食の犯人は、旧ユーザ(自分)と現ユーザ(もちろん自分)のホームディレクトリである。旧$HOMEは80GB近く、現$HOMEは90GB近くを使っている。この膨大な量の原因は、音楽や映像などのコンテンツである。

たいていのコンテンツはネット上にあったり、自分の手持ちのCD/DVDなど上にあったりするのに、なんでまたローカルに置くかというと、利用の便宜のためや、ある種のアプリケーションがローカルファイルを必要とするためだ。

現$HOMEはいじれないから、旧$HOMEの80GBにを、どっかに行ってもらうことにした。500GBの半分をWindowsに与えてあるが、めったに使わないWindowsはディスクを30GBぐらいしか占めていない。そこで、Windowsくんが今使っているディスクスペースの半分を、Linuxにいただくことにした。半分でなく、もっと多くてもよかったかもしれない。

GPartedを使ってWinパーティションの半分をLinux用の新パーティションとし、ext4のファイルシステムを作ったまではよかった。Linux側にもWindows側にも、なんのトラブルも起きない。と・こ・ろ・が、ディスクのパーティションというものは低レベルの物理システムの資産であり、Linuxの管理下にある資産ではない。

ここでの問題は、Linuxは自分のものではないパーティション上の空間を仮にrootのものと見なす。しかし実際にはLinuxの資産ではないから、パーティションそのものを’ユーザ’(私)へとchownすることはできない。言い換えるとそのままでは、‘ユーザ’がそこを使えない。Linuxが使ってるそのほかのパーティションについても、それは同じである。たとえばトップの「/」に、‘ユーザ’がフォルダを作ることはできない。

で、この場合のソリューションは単純かつ標準的で、sudoによりそのパーティション上にディレクトリを作り、そのディレクトリをchownしてそこへ旧$HOMEをそのままmvすればよろしい。あるいは逆にmvを先にやって、chown -Rで全体をユーザのものにしてもよい。私は結果的に、後者になってしまった。

ところでパーティションという古い概念(トップレベルは最大4つまで!!)は、今だに支配的なのか。泥縄とはいえ、最新のBIOS状況について、遅まきながら勉強してみたい。

さて現状は、94%だった使用済み率が48%に下がり、旧$HOMEをmvした新パーティションの使用済み率はいきなり66%になった。とりあえず、まあ、いいか。


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2015年5月 4日 (月)

うーん、格差と地域社会の質

この記事は、アメリカの、ホームレスレベル、あるいはそれに近いボンビー人家庭が、移住先の都市のタイプによって、やや良くなったり、ならなかったり、という調査レポートを紹介している。

良かった都市は、どちらかというと地味な中都市、学校の規模も地域社会の規模も小さい。ボンビー人、ミドルクラス、金持ちクラスがごったになってコミュニティを形成し、一緒に教会行事や地域社会の行事、市民活動なんかに参加している。言い換えると、精神的な格差が厳しくないし、近隣社会的なコミュニケーションが定常化している。

私が気になったのは、日本ではどうか、ということ。経済的に厳しい母子家庭なんかが、比較的住みやすい、都市や地域社会は、どこだろう?

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アベノミクスの被害はついに猫にも

ユニチャームの「猫元気お魚ミックス」は、原産国がアメリカで、安いカリカリの中ではうちの猫たちの好物だった。健康上の問題もない。アベノミクスという愚策が、そのままでの価格維持を不可能にし、最近、原産国がアメリカと日本になった。

猫たちは、全員、急に残すようになった。のら歴の長い、なんでもがつがつ食べる猫でも、半分近く残す。

うーん、何に切り替えるべきだろうか?

それとも、「安い」から「高い」のに切り替えるべきか?

アベさんと親族、株で相当儲けたんだろうなぁ。


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仮想食品ブランドrice(ライス)

米は、麦(とくに小麦)に比べると、非っ常に商品開発が後れている。

パン食の氾濫の原因の一部が、上記だ。

日本人全般の忙し化と、主婦不在化で、とくに朝のご飯食が衰退した。

そこで思い出すのが「おこし」だ。あのままでは無理だが、あの技術を応用し、朝食用の簡便食を作り、パンを蹴散らす。従来の「おこし」に対する改良点は、たくさんある。たとえば米粒の接着に糖液は使えないから、米由来の澱粉を使うべきだろう。

また、ベトナムなどから学んで、米の麺類も新製品を開発したい。たとえば、同じ麺類でも、焼きそばと炒めビーフンを比べると、後者の方が食感がさわやかだし、料理のバラエティの可能性が多い。

riceは、米の商品化を一挙に多様化し、未来の食生活を支える。インディカ米も、秘めたる可能性は大きい。


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仮想ファッションブランドcomuni(コムニ)

だいたい、昔から、自分の欲しい衣類がお店で売ってたためしがない。残念ながら自作する技能はない。

パンツ(ズボン)では、ピート・シンフィールドが着ていたような、左右二色のやつ(ピンクとブルー、オレンジとグリーンなど)、日本では売ってない。明るいグリーン地に大きな花がらをばらまいたのもほしいが、どこにも売ってない。水玉模様のパンツもほしいが、売ってない。

comuniは、communicative(コミュニケーション的、コミュニケーション指向)の略だ。

comuni popとcomuni erosとcomuni lang(テキストメッセージ)の三部門ある。短期目玉企画でcomuni bang!もある(やや激しいやつ)。性差はまったくない。

だいたい、日本のファッションはどれも退屈でつまらない。ラジカルなアーチストがいない※。

※: もちろんそれは、色柄だけのモンダイではない。形状、機能など、着るもののあらゆる性質にわたる。たとえば、上下前後裏表の区別のないシャツもほしい。

この冬は、至るところ、無表情なダウンの洪水で、吐き気がした。

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国際治安と一国の軍備

世界的なテロの氾濫が、日本の再軍備論の根拠の一つになっている。しかし、軍隊を、戦争をするための暴力組織と定義すれば、テロに対して世界が、あるいはときには一国が、必要とするのは、そんな戦争マシンではなく、治安の能力、強力な警察部隊である。彼らと“戦争する”なんていえば、相手を無意味に尊重尊敬するナンセンスになる。

結局、国際司法の欠如、それと並行して国際法執行力(law enforcement)の欠如が、議論の混乱と曖昧さを招いている。国際的なlaw enforcementの充実した確立が明示的な課題になったとき、そのグローバル警察にどの国も協力しなければならないのは言うまでもない。

国境なき医師団、国境なき薬剤師、国境なき消防団などがあって、いつまでも、国境なき警察がないのは、たいへんおかしな、緊急になんとかすべき、事態だ。

悪辣なギャングを取り締まるのは警察。軍ではない。

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他者不在(==コミュニケーション不能の根本原因)の根本原因

通常の無自覚状態では、世界は、自分という一つの主体(subject)の視野に開けるただ一つの世界であり、主体はそれ一つしかない。その世界内のものはすべて、対象物(object)であり、往々にして操作可能な(manipulative)オブジェクトである。

しかし実際には他者は、対象物ではなく、それぞれが自分とは別のsubject、主体である。各subjectの視野に開ける、別の世界がある。

動物園の比喩が便利なので、またここでも使わせていただくが、密林のゴリラをmanipulative objectと認識すると、動物園への拉致が正当化される。しかし、一個の立派なsubjectである、と認識すれば、動物園は破廉恥な動物虐待でしかない。

勝手にobjectとして扱われ、勝手なことをされた(他者として認められていない)他者は、やがて復讐する

コミュニケーションは、subjectとそのobjectのあいだではなく、subjectAとsubjectBのあいだにしか、生起しない。正しいコミュニケーションは、相手に対する沈黙の尊敬しかない、「きたねー手で触らない」ということしかない場合も多い。

追記(15/05/25): ググってみると、「他者不在」や「他者の不在」という言葉の、いろいろな人の意味が、このブログのコミュニケーション原理論のそれとは、全〜〜〜然違うことが分かる。

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