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2015年4月30日 (木)

×(せめて)自分(だけ)は自分のもんである。○自分もまた一個の他者である。

(旧人類の)コミュニケーション不能の根本原因は他者不在であり、他者不在の根因は自己疎外である。自己を疎外せず、しっかりと、一個の他者として認識把握するところから、一般的に他者の他者性もしっかりと見えてくる。例:動物園が劣悪な動物虐待であることも、リアルに見えてくる。

自己の、自己にとっての自由性、任意性という幻想に支配されているかぎり、他者もまたその自由性の延長上に置かれる。(しかしそれは無理なので、往々にして犯罪や係争に結果する。) そこで、他者不在となる。

自己は、自己の自由にはならない。自己もまた、自然の中の草一本と変わらない。それを自由にできるのは、神(またの名、自然)のみである。自己に関し、放下し、力を抜くことから、疎外の解消が始まる。自己は、自然の中のあまたの他者の一つにすぎないのだから、自然におまかせするしかないのである。また、それでいいのだ。だから、自然は愛である。

自己放下、自己疎外からの治癒から、やっと、初めて、オトコも、野の草とその花のように、美しくなれるのではないか。マツコ氏が「スカートをはいた男」と否定的に呼ぶ女性政治家、とくに自民党の女性議員は、顔が、異様に醜いと感じる。オトコと横並びの、醜さ、気持ち悪さが、全員に共通している。

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コメント

>自己は、自己の自由にはならない。
ちょいと気になったのは、これまで自分が持っていた問題点・悩みとは違うな、という事。自由にするために悩んでいたのではない。そして今、わりとハッピーにいられるのは、「自分から自由になれた」からである。2~3年前までの自分は、鬼のような強固な自意識の権化だった。とにかくありもしない、他者から見ての自分というものに“がんじがらめ”の状態であり、生き苦しくてしょうがなかった。自分でかってに作り出している他者からの評価・批判というものが、ご主人様であり自分はその下に隷属している卑民みたいなものでした。つまり、「自分は自分で良いのだ。」という自信がパーペキになかったのである。
で、当然相手とのことばかり気にするから、自分にとっての自由がない。べっちゃりと相手と癒着してしまうから、相手からもうっとうしがられる、という悪循環。悲惨ですな。
まぁ、こんな状態から抜け出せた過程は、前に書いたこともありますが、書けないこともあるので、もし知りたかったら連絡でもくださいませませ。
             さちこ NO! かしこ。

投稿: ohiya | 2015年4月30日 (木) 23時45分

たとえば、「考えている」のではなく「考えさせられている」という状況に気づくことができます。

じぶんというものをよーく見ていれば。

身体どころか精神だって自由にはならない。

投稿: 南 | 2015年5月 1日 (金) 07時43分

なんちゅうか、「自己疎外」。オレが“中2病”にかかったのが「自己嫌悪」。とにかく自分が嫌いで嫌いで嫌いで嫌いでしょうがなかった。なんで嫌いになったか。自分の友達と自分を比べだしたのである。「あいつは頭がいいのにのに、わしは頭がわるい。あいつは顔がいいのに、俺はブサイク。あいつは足が速いのに、わしは足が遅い。」と、なにかにつけ友達と比べ始め、とことん劣等感を持ち始めたのである。ほんとに理由・訳がわからなかったが、どんどん谷底に落ちていくようだった。で、結局自分が嫌いだから、人と(特に女子と)目を合わせられなくなり、自己の暗闇の中に落ちていくようになった。
今思うに、自己嫌悪というのも強烈に“ねじれた”「自己愛」そのものだったんじゃないか、ということ。自分を愛しているが故に、ダメな自分が愛せない。愛してる度合いが強ければ強いほど、自分を許せなくなるというパラドックス。それにズバリ当てはまったのではないかと思う。
思うに、根本原因は自分に対する自信のなさ、肯定感のなさにつきるのではないか。前に自分は後妻の子と書いたが、その理由で父親とのあいだにミヨーな距離感があったのである。その理由にあのクソババアの存在も大きくものを言ったのだが。とにかくいろんな要素が絡み合い(家が特殊な自営業だったことも関係する)、自分が落ちていく事態になったのである。

なにが言いたいかというと、「自己嫌悪」とは、ねじれた自己愛であり、それは自己疎外を生み出し、他者不能(コミュニケーション不能)へと強烈に引っ張っていくものだ、ということである。

投稿: ohiya | 2015年5月 9日 (土) 02時23分

中二の時変わった精神病的なやつがいたが、アホな事に周りの女どもが、気持ち悪いと言っていたのである、やさしくしてやりゃいーじゃんか、アホな。

投稿: bad | 2015年5月18日 (月) 17時00分

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