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2015年4月30日 (木)

×(せめて)自分(だけ)は自分のもんである。○自分もまた一個の他者である。

(旧人類の)コミュニケーション不能の根本原因は他者不在であり、他者不在の根因は自己疎外である。自己を疎外せず、しっかりと、一個の他者として認識把握するところから、一般的に他者の他者性もしっかりと見えてくる。例:動物園が劣悪な動物虐待であることも、リアルに見えてくる。

自己の、自己にとっての自由性、任意性という幻想に支配されているかぎり、他者もまたその自由性の延長上に置かれる。(しかしそれは無理なので、往々にして犯罪や係争に結果する。) そこで、他者不在となる。

自己は、自己の自由にはならない。自己もまた、自然の中の草一本と変わらない。それを自由にできるのは、神(またの名、自然)のみである。自己に関し、放下し、力を抜くことから、疎外の解消が始まる。自己は、自然の中のあまたの他者の一つにすぎないのだから、自然におまかせするしかないのである。また、それでいいのだ。だから、自然は愛である。

自己放下、自己疎外からの治癒から、やっと、初めて、オトコも、野の草とその花のように、美しくなれるのではないか。マツコ氏が「スカートをはいた男」と否定的に呼ぶ女性政治家、とくに自民党の女性議員は、顔が、異様に醜いと感じる。オトコと横並びの、醜さ、気持ち悪さが、全員に共通している。

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2015年4月29日 (水)

相も変わらず

人類の雄(オス)は地球上最悪の害獣であり、今は“地球上の”が”宇宙の”にもなりつつある。

ほんで、このところは、「戦争になったときどうするか」議論がますます賑わしく、害獣支配社会においては、「戦争にならんために何をするか」はまったく、議論のテーマにも事業・行動のテーマにもならない。オトコどもは、そちらにはまったくキョーミがない。やつらは、戦争したくってしょーがない。

なんか世の中が、20世紀初頭のきな臭さに回帰していくようで、不気味だ。

戦争努力より、グローバルな治安努力の強化が必要な時期に、その体制構築の努力もせずに、あほな議論ばっかしして…。

オバマさんは、国民皆保険(中途挫折)や移民法改正(中途挫折)など、人に優しい、真の国力増強策で尊敬してたけど、なんか、どこかのバカソーリとの会話など見ると、平和政策では無に等しい人やね。尊敬量が半分に減ったわ。

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2015年4月15日 (水)

またまた女性パワーの勝利

「熊本市動物愛護センターは2014年度、初めて犬の殺処分ゼロを達成した。」…所長さんは女性。

「名古屋市動物愛護センターは猫の展示に『檻』をやめ、見学者が文字通り猫達と触れ合える広い和室を整備。」…主任獣医さんは女性。

犬や猫は独立の動物ではなく、歴史的来歴により、人間の一部である。彼らを世話することは、人が自分の腕や足を大事にする・ケアをするのと同じ。彼らを粗略にすることは、イコール、人間が、自身とその社会を荒廃させていることなり。

【追記(050421)】
「神奈川県動物保護センターに収容された猫や犬の2014年度の殺処分が共にゼロになった。猫は初めてで、犬は2年連続」

「札幌市動物管理センターは2014年度、犬の殺処分数が初めてゼロになった。猫の殺処分数も過去最少の534匹になった。」

(以上、毎日新聞)

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2015年4月13日 (月)

自然の多様性

かつて、しばらく野菜作りをして、学んだことの一つが、「自然の中にはあらゆる多様性がある」ということだ。わずか10平方メートルぐらいの畑にキャベツや白菜を作っても、わずか4〜5株のトマトを作っても、大きさ、形、色沢、虫などの有無、などなどの多様性がある。均一でもなく、均質でもない、多様が自然の本当の姿だ。

人間も同じで、一人一人が多様の一員であり、ある個体がどんな特性を持たされたかは、偶然でしかない。

あらゆる多様が存在しなければならないのだから、どの特性もその存在意義は平等で互角だ。

ある特定の、狭い範囲の特性だけを肯定し、他を否定する、人間の歴史的性格は、疎外と差別に満ち満ちた劣悪なコミュニケーションレスの社会を作り、維持してきた。またそれは、自然に対する抑圧や無理にもつながっている。

そうやって否定される特性の持ち主が、たまたま自分だったり、自分の家族だったりしても、悪いのは否定する方であり、多様をつねに作り出している自然には何の罪もなく、多様の一員である個体にも、なんら、否定されるいわれはない。堂々と、あるがままに、自然の中に居直っていればよいのである。A特性とB特性は、それが、どちらもある、という意味において、互角平等なのだから。

ただし、人間の社会、その劣悪な社会が作り出す多様には、否定すべきものも多い。その話は、まったく別の話だが。

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今後どうなる?他者不在の暴進

コミュニケーション不能人類の脳の最重要にクリティカルな特徴である他者不在は、そこに他者をちらっと認識・感付きつつも、貨幣価値欲という名の欲望の泥靴がそれらを蹴散らしていったのではない。

そうではなくて、今の宇宙開発の姿勢が典型的に示しているように、他者はいないのである。他者はいないから、宇宙空間のどこであろうと、人間が堂々と大手を振って快進撃してよい。この宇宙においては、自分たちが唯一の有意存在である。だから、勝手にどこまで行こうが、何を飛ばそうが、何をしようがかまわない。人類には…神様から?!…それが許されている。という他者不在の思い込みだ。

ほんで、環境汚染や過去になかった新しい恐怖のウィルス病などは、自然という他者からの逆襲、他者の反乱だが、今地球上の全域に広まりつつある全方向的な暴力の疾風は、貨幣価値という差異の階層の下の方にいる圧倒的多数の、人間という他者からの逆襲や反乱だ。すなわち、環境汚染・新型ウィルス病と暴力の氾濫は、同根の現象だ。

欲望という名の泥靴は、鉱物資源などを得るために、各地の上部構造(王族など)に取り入るが、分厚い、圧倒的に人口の多い、そして貧しい、下部構造(==他者)の存在には無関心だ。自然に対して無関心だったように、貨幣欲泥靴たちは、各地の、ネイティブの、数としては非常に多い人間たちとその生活に無関心だったのだ。

そしてまた、上部構造と下部構造とのあいだの、格差が拡大する。“援助”をしたって、それは下まで届くことなく、上〜中部のフトコロに消えてしまう。

どこかの国のバカ総理も信奉しているらしいトリクルダウン(trickle down)説は、下の方にはおこぼれが行けばよい、というヒトをバカにした傲慢な説だ。それは差異階層の維持肯定であるから、格差や怒りを緩和することなく、むしろそれらを一層激化する。

自然からの逆襲という問題も、個別の、浅っぺらい対症療法では完治せず、あちこちで新たな症状が生まれ、劇症化する。人間からの逆襲についても、同じである。

かつて、アラブの若者に関する想像を書いたことがあるけど、今ではご存知のように、テロや麻薬ギャングなどに“希望”を見出している人びとは、グローバルに拡散しつつある。もはや、アラブの若者だけではない。


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リアルタイム・ピアニスト;イングリット・フリッター

1973年生まれで2000年にショパンコンクール2位というから、私の知ったタイミングが遅かっただけだが、この方のモーツァルト・コンチェルト23番を聴いてぶったまげた。いわゆる流麗な演奏とは対極の、パキパキポキポキした音でがんがん弾いていく(音自体はたいへんきれい)。モーツァルトの音楽でも誰の音楽でもない、「そのときの自分の音楽」を気合満点でぶちまけているから、テンポがオーケストラの“正しい”テンポと一瞬ずれることがあるし、楽譜にはない即興のフレーズを弾いてしまうこともある。聴衆はそのペースに最後まで縛り付けられてしまう。拍手は全曲終わってからがスタンダードなマナーだが、ここでは第一楽章の終わりですでに拍手が入る。きわめて異例。

なにを弾こうと、それは、そのときの自分の音楽、という、すごいリアルタイム性。その人自身の、生きた音楽、生きた音。目から(耳から)うろこの、ニューウェーブクラシック。最高最良のロックに近いかも。

ちなみに短時間試聴のできるAmazonで、ショパンのワルツを、この人のと、わりと評判の良いアリス=紗良・オットので聴き比べてみるとおもしろい(有名な子犬のワルツとか)。両人の、音楽に向かう角度が90度か180度ぐらい違うことが分かる。

男性ピアニストでは、David Frayという人の音に、新しさを感じるのだが、この方について書くのはまたの機会にしよう。YouTube上にいろいろあるので、おひまな人は聴いてみられるとよい。


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