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2015年3月30日 (月)

日本の平和憲法を世界の平和憲法に

人間という動物、とくにその雄(おす)には、遺伝子中に暴力性があり、一方コミュニケーション指向性はない、皆無である。だから対他問題のソリューションをコミュニケーションではなく暴力(戦争〜ストーカー殺人〜幼児殺し)に仰ぐのは、その理由は、暴力性しかないから、それだけである。そのほかのもっともらしい説明は、すべてウソ。

暴力に頼るソリューションは、相手が死ぬか自分が死ぬかだから、単純で早くて効率的だ。知性を要しない(バカでもできる、車の運転がバカでも…というかバカほど…できるように)。知性の行使、すなわちコミュニケーションは面倒だが、面倒だからしないのではなく、人類の雄には知性がないからしないのである。

*そもそも、自分が死ぬ方はあまり想像しない。バカだから。

しかし暴力に対する短期的な抑止力は暴力しかないわけだから、暴力には二種類ある、と、しょうがないから考えよう。恣意的暴力と、法執行力としての暴力だ。

そして今の世界の問題は、ソリューションを恣意的暴力に仰ぐその暴力性に対する、抑止力、法執行力としての暴力が皆無であることだ。

またその前提となる世界法、グローバル法もない。

日本の平和憲法は対他問題のソリューションとして暴力を使うことを禁じているが、これが単に一国の憲法であるのが、いかにもひ弱だ。

(もちろん、“強力な”平和憲法にするための努力の積み重ねを怠ってきた、という重大な問題もあるが。)

ともかく、非戦・不戦を世界憲法の骨子とし、それが、強力な法執行力によって裏打ちされることが必要だ。

王子様の早期退位に成功したら、次期政権はそっちを志向してほしい。新幹線を世界中に売ってるように、平和憲法を世界中に売るのだ。

でないと、平和憲法自体の将来性がやばい。

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2015年3月26日 (木)

誰も言わないことが怪奇

ずいぶん前、「アベノミクスはミニバブルだ」という説をこのブログ上のいくつかの記事で展開したが、最近になって、メジャーな経済学者も言い出すようになった。この記事(野口悠紀雄さんインタビュー)だ。

最近は「王子様病説」をやはりいくつかの記事で展開しているが、これは残念ながらメジャーな人はまだ言い出してない。
# 王子様病 site:http://alga.moe-nifty.com/xor/ でググってみよう。

もう相当経つのに、近傍で誰も「王様は裸だ」を言い出さないのが、怪奇だ。それどころか、今だに、褒めそやす人たちすらいる。単にそれは、発言の経済学か。いよいよ、おとろしいね。

もう一人の、総理歴のある王子様は、「ロシアのクリミア併合は民意だから問題ない」と帰国談を述べた。おいおい、将来日本人が袋叩きに遭うようなことを、軽々と言うなよ。

どこかの集団的王子様は、相変わらず沖縄を米軍基地大盛りオムライスにゴリ押ししながら、ロシアに北方四島を返せと言い張っている。

馬鹿が臨界点に達して爆発することもあるのでは?

☆何よりもまっさきにメジャー化してほしいのは、貨幣の価値の本質が差異であることの認識だ。この差異には、低い方ほど多い、高い方ほど少ない(希少性がある)という性質があるため、ピラミッド的な階層構造になり、底辺ほど分厚い。世界各地のひどいスラム、極貧、飢餓、劣悪な社会・生活環境等々はすべて、貨幣がその価値を持つための必須の基盤である。それらがないと、貨幣も無価値となる。自己の有意な存在のためにそういう大量の極貧層を必要とする貨幣は、恥ずべき、犯罪的な存在である。そのことに、世界中の人びとが気づかなければならない。

# 貨幣 差異 site:http://alga.moe-nifty.com/xor/ でググると、いろんな記事の所在が分かる。


-----【以下は固定フッター】-----

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トマスと一緒(筆者: 岩谷啓子, 一部加筆: 岩谷 宏)


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2015年3月18日 (水)

I'm afraid

You are inviting
With your own hand
The next
Much, much and much bigger
Holocaust
By expanding the unlawful settlement
Into the land
Which does not belong to you

And

You are inviting
With your own foolishness
The next
Much, much and much bigger
Pica-don(s)
By promoting hostility
Against neighborhood nations
By not helping people there


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2015年3月16日 (月)

金欲差異欲

さっきテレビの医療番組を見てたら、認知症の人の錯言(妄言)でいちばん多いのが「金や財布を盗られた」だそうである。ということは、金(貨幣)への欲は脳の相当低レベルにある、ということ。知性や他への思いやりでコントロールが効くものを高レベルとすると、人間という獣の、むき出しの獣的欲望に近いのが貨幣欲だと思われる。

貨幣は、他者への差という、安全壁だ。低レベルの、本能的、自己保護欲、それがもたらす不安としての「盗られた!」発言。

錯言(妄言)中に、同じく低レベルであるセックス欲望関連がないのは、高齢者だからだろう。

基本的に、脱貨幣社会==コミュニケーションを唯一の糊とする社会は、相当多数の人間が、相当高い知性を持つようにならないと、実現しない。

知性とコミュニケーションが充実していると、貨幣は無用な、人の生産性を下げる、邪魔物でしかない。そんなもん、ない方が、お互い、生産性が高い。

Linuxの生成史が、証明しているように。


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ギガライン?

この住宅地にNTTがたしか2004年初頭に敷設した光ケーブルのサービス形態は、ひとつのエンドラインをたしか最大30世帯で共用するというやつでありまして、規格上、最大速度は100Mb/sとなっている(“保証速度”ではない)。この場合のbはもちろん、bytesではなくてbitsや。

だいたい昨年ぐらいまでは、WiFi接続のメニューに登場する近隣のエンドポイントは自分の以外は2つか3つぐらいだったが、最近は10前後並んでいる。

たぶん、こういう、ユーザ数の急増により、このところページロードがものすごく遅くなり、動画や音楽などのいわゆるストリーミングの受信は、実用レベル以下のぶち切れ状態になることが多くなった。

必要な出力速度(音楽再生など) > バッファに受信データがたまる速度

という不等式状態なのだ。 

困り果てて、適当にググってNTT東日本のサービス部門らしきところに電話をすると(0120-116-116)、今では最大速度1Gb/sのギガスマートというサービスがあるらしい。

このいわゆるギガラインサービスは、毎月の使用料はこれまでの低速サービスとあまり変わらない。工事費が2万円強、かかる(ルータもNTT提供物を使うなら+3千円)。

毎度毎度、むなしく画面を見つめながら、無為に腕を組んでページロードを待つのは仕事に大いに差し支えるので、早速ギガラインの工事を申し込んだ。3月24日の午前中に、工事に来るという。

たぶん、物理的に新しいラインを敷設するのではなく、既存の光インフラに対するローカルネットワーク機器の交換(==ソフトウェア(ファームウェア)のイシュー)だと思うが、結果はまたこのブログ上でご報告しよう。今は、トラブらずにすんなり工事+屋内セットアップが完了することを、祈るのみだ。

やはり、仕事でインターネットを使う場合は、何らかの形で、予備ラインを持つべきかな、うーん、金かかるね。

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2015年3月 5日 (木)

Another王子様病

そもそも、in the first place、最初に、拉致拘束という悪行をやっておきながら、おめーらの空爆で死んだと非難するとは……。

(アタマもココロも、完全におかしーだろ!?)

日本人女性も、世界の僻地奥地でボランティアしている人が多い。無事を祈りたい。
いや、もちろん、日本人だけでなく、女性だけでなく。
そして戦争行為で彼/彼女らの活動と成果を踏みにじるのは、どこの国の軍でもありえる(将来の日本を含め)。

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2015年3月 1日 (日)

差異社会の自然放置

何度も言うが貨幣が持つ価値の正体は差異だから、貨幣社会は差異の階層となり、底辺には分厚い極貧層ができその存在が慢性化する。

貧困と差別(&格差)の分厚い底辺。貨幣経済のグローバル化とともに、それもグローバル化する。

わが家の20数年に及ぶ犬猫保護史において、どうしようもなく凶暴化していて対応できない犬…いずれもかなりの歳の成犬…を保健所に処分してもらったことが2度ある。

犬は、幼いころから、人間に可愛がられ、まともに世話されていれば凶暴化する動物ではない。

中東の狂信者集団も、日本の落ちこぼれ不良集団も、今後ますます、補充源に事欠かない。

対症療法的な対応…法、武力、等…はすべて、無限のもぐらたたきとなり、もぐらは無限になんぼでも出てくる。繰り返すが、その層はとても分厚い。

対症療法ではない、根本的療法に、メインの話題として取り組む必要がある。

気の長い話ではあるが、本当に効果があるのは、そっちの方だ。

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