日本の平和憲法を世界の平和憲法に
人間という動物、とくにその雄(おす)には、遺伝子中に暴力性があり、一方コミュニケーション指向性はない、皆無である。だから対他問題のソリューションをコミュニケーションではなく暴力(戦争〜ストーカー殺人〜幼児殺し)に仰ぐのは、その理由は、暴力性しかないから、それだけである。そのほかのもっともらしい説明は、すべてウソ。
暴力に頼るソリューションは、相手が死ぬか自分が死ぬかだから、単純で早くて効率的だ。知性を要しない(バカでもできる、車の運転がバカでも…というかバカほど…できるように)。知性の行使、すなわちコミュニケーションは面倒だが、面倒だからしないのではなく、人類の雄には知性がないからしないのである。
*そもそも、自分が死ぬ方はあまり想像しない。バカだから。
しかし暴力に対する短期的な抑止力は暴力しかないわけだから、暴力には二種類ある、と、しょうがないから考えよう。恣意的暴力と、法執行力としての暴力だ。
そして今の世界の問題は、ソリューションを恣意的暴力に仰ぐその暴力性に対する、抑止力、法執行力としての暴力が皆無であることだ。
またその前提となる世界法、グローバル法もない。
日本の平和憲法は対他問題のソリューションとして暴力を使うことを禁じているが、これが単に一国の憲法であるのが、いかにもひ弱だ。
(もちろん、“強力な”平和憲法にするための努力の積み重ねを怠ってきた、という重大な問題もあるが。)
ともかく、非戦・不戦を世界憲法の骨子とし、それが、強力な法執行力によって裏打ちされることが必要だ。
王子様の早期退位に成功したら、次期政権はそっちを志向してほしい。新幹線を世界中に売ってるように、平和憲法を世界中に売るのだ。
でないと、平和憲法自体の将来性がやばい。
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