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2015年1月25日 (日)

グローバル無法地帯

国際司法とその法執行力(law enforcement)の充実が重要、という話もこのブログで何度も取り上げているが、これに限らず、当ブログの話題は、世の中に真剣に取り上げられたためしがない。

開拓時代初期のアメリカ西部や、やや下って警察が上も下も大型ギャングに買収されていたときのシカゴなども、無法地帯と言われるが、それらの場合、「法」はとりあえずある。執行力が無能に近いレベルなのだ。

一方今日のグローバル社会は、まず「法」がないから。「法執行力」もない。どんなにひどい悪でも、大手を振ってのさばってしまう。というか法がないから、オフィシャルな悪もない。何をやっても悪にはならない。

オウム真理教の場合は、日本の法と執行力(警察)があったから、比較的早期に団体を解体に追い込めた。主要人物もほとんど逮捕できた。

今のグローバル社会では、誰が何をやろうと、それを抑止できる法とその執行力がない。地球警察がない。手をこまぬいて残酷劇を見守るしかない。ローカル政府(イラク、シリア)は、国内に関しても完全に無力だ。

仮にオウムが、日本の法執行力よりも断然強かったら、政府やわれわれは、どうしていただろう?

実はこの疑問にも、答えはない。

もうひとつ。インターネットというグローバルなコミュニケーション手段をずたずたにしている某国政府。その「悪」(国家悪)に対しても、抑止力は皆無だ。

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コメント

未だ地球レベルの戦国時代は終わっていない。
日本はどうやってあの時代を終わらせたのか?

決して信長や家康が偉かったからではない筈。


追伸「手をこまぬいて」になっています。

投稿: 南 | 2015年1月26日 (月) 07時40分

@南
> 「手をこまぬいて」になっています。
こまぬくもこまねくも互角に正書のようです。正書でなくても、こまぬくの音感の方が私は好きですね。

> 地球レベルの戦国時代
野盗の集団、というか残忍な暴力団を、戦国大名と並べることはできないでしょう。戦国大名の場合は、戦力だけでなく治世の勝負でもあった。住民に嫌われたら、負け。

投稿: iwatani | 2015年1月26日 (月) 18時47分

えーい、破れかぶれで書いてみよう。素朴な感想質問をひとつ。
「世界警察がない。」 当然である。できるはずがない。もしそういうものがあるとしたら、当然アメリカも中国もイギリスも悪事を働けば、取締対象となる。とすれば、世界警察とは地球上のどの国よりも、上位の立場にいなくてはならないと思うんだけれども。対象国が一国であるとは限らない。アメリカとどこかが手を結んで開いてではない、結んでしまえばそれで終わりである。それを制圧できる武力のある存在なんて、無いと思うのだけれども。
世界法律にしても、その法を打ち立てれる公平・中立的な立場にいる強力な存在がいるのだろうか。また、法なんて勝った者の都合でどのようにもグチャグチャにできるのではないだろうか。
とすれば、世界暴力国家の暴走を止める抑止力とは、なんでしょうか。

投稿: ohiya | 2015年1月27日 (火) 07時42分

恐れ入ります。

無知でした。

投稿: 南 | 2015年1月27日 (火) 08時07分

後藤さんも甘かった。個人的狂気もこわいが、集団的狂気というものも、心震える程恐ろしいのである。

投稿: bad | 2015年2月 6日 (金) 18時31分

@bad
>日本は具体的に行動をとってくれる人が少ないくせに、相互監視システムばかり発達してるのは何でじゃ。(「コミュニケーション学の未来」より)
それは、古来の日本民族が農耕民族であったから、とイザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」に書かれていた。農耕民族とは巡り来る季節の変化によって、集団で共同作業をとっていたらしい。田植えとか稲刈りとか。それで、共同作業をしない奴を排撃していたとか。で、そうさせないために共同体内部への監視システムが自然に強化されたそうである。
逆に狩猟民族なぞは、単独行動がもてはやされる傾向にある。獲物を狩るには、集団でやっていたのでは取り分が減ってしまうし、皆と違う行動をした方が独り占めできる確率が高いだろうから。で、ワンマンプレーが得意となるのだそうだ。
それで、農耕民族と狩猟民族とはそれぞれ国民性の違いとなって、現在も生きているのではないだろうか。

投稿: ohiya | 2015年2月21日 (土) 00時35分

@bad
>radioheadのparanoid androidて曲聞いたがが、crimson並に暗いぞ。(「コミュニケーション学の未来」より)
ネクラ主義のチャンピオンソング、「エピタフ」。高校の時ohyaはこんな唄を歌っていた。“but I feel tomorrow I'll be 暗いng,yes I fear tomorrow I'll be 暗いng. くら~い~。

投稿: ohiya | 2015年2月21日 (土) 00時58分

そもそも狩りを集団でやっていたのでは、獲物に近づくこともできないのであった。で、スタンドプレー、個人主義になるっちゃ。

投稿: ohiya | 2015年2月21日 (土) 21時57分

@ohiya
> そもそも狩りを集団でやっていたのでは、
No. 古く日本では、そしてアフリカ等では今でも、共同体型の狩りの形が主流である。個人プレーは、効率がとても悪い。

そもそも、イザヤ・ベンダザンは、いんちき説が定着している人。ユダヤ人ではなく日本人(いざや・弁出さむ)。そんな人を今どき持ち出すとは、何か意図があるのか?

投稿: iwatani | 2015年2月22日 (日) 08時19分

すいません。確かにそうですね。マンモスやら何やら、追い込むのは集団ですね。自分は
鹿くらいのをイメージしたんですけど。
イザヤ・ベンダサンは山本七平でしょうけど、日本人の相互監視については「農耕民族であったから」とは言えてるのじゃないかと思ったもので。

投稿: ohiya | 2015年2月22日 (日) 22時05分

@ohiya
> 「農耕民族であったから」
農耕民族だから監視社会になる、という論理はありえない。そうならなかった農耕民族は、いくらでもあるはず。また、農耕民族以外で相互監視性の強い社会を作った連中もいた/いるだろう。

だから、あの本は100%だめなんですよ。

以前、下光(shimomitu)さんを相手に、「イナカモンの読書態度」というスレを展開したことがありますが、お二人さんにはその再読をおすすめしたい。

投稿: iwatani | 2015年2月23日 (月) 08時45分

確かに本を読んでる時は、明らかなトンデモ本でない限り、筆者の論旨に沿わせている自分かな、と思いました。本を読むということは、かなりの部分で著者に賛同しているからであるが、やはり単に追随していくだけじゃ意味なしですね。どこまでも疑いを持って対峙せよ、でしょうか。

>だから、あの本は100%だめなんですよ。
とは言え、そう言って有無を言わせず強烈に断罪してしまうのにも違和を感じる。100%正しい本や100%だめな本というのが有るのだろうか。100%とは、1%もないことですよね。それぞれ読み手の感性や境遇によっての、受け取り方の自由というのは許容されるべきだし、そういう混沌があるのは人間の常ではなかろうか。

投稿: ohiya | 2015年2月24日 (火) 02時57分

[変更]
受け取り方→受け取り手

投稿: ohiya | 2015年2月24日 (火) 03時07分

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