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2014年12月28日 (日)

葉を見て根を見ず

「21世紀の資本」は、大衆的マスコミでも取り上げられるようになったが、やはり、そこに本質論は見当たらない。貨幣そのものが差異なんだ、格差なんだ、という本質論が。

巷間伝えられるところから察するにあの本は、その差異の起動の、第一波、もっとも大きな強い波を描写しているにすぎない。言い換えると、差異が生まれるもっとも典型的な場を。それは、資本を操作する側と、操作される側とのあいだに決まっているし、差異がなければ資本利益(→資本の肥大)もない。それは、マルクスの言うような搾取ではなくて、貨幣のきわめて正常で健全な運動である。そこから差異の波動が起動し、波紋が伝わっていく。

いわゆる資本の前にも、“ほぼ資本相当”は存在していたことを、忘れてはならない。“ほぼ資本”の典型的なものが、操作される側の典型的なもの、すなわち労働力集団や土地、そのほかのリソースに対する共同体の規約としての権利などだ。資本という言葉は、歴史的に、ものすごく延伸して解釈する必要がある。

たとえばアメリカ資本の圧倒的に最大のものは、盗んだ土地と盗んだ労働力(どっちも非白人から)。その量(==差異の量!)は、どちらも膨大だ。今、正当な支払をしたら、アメリカの総資本は現状の1/100以下に縮小するだろう。

繰り返すと、資本という概念は、リアルに、拡大解釈することが重要である。

貨幣の本質が差異であることを、大衆的マスコミレベルで、なんとか啓蒙する必要がある。

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コメント

「貨幣」そのものの使用価値(効用)って、例えば「大根」と比較したって何にもありゃしないと思う。なんなんだこの紙っぺらは!しかし貨幣は何でも交換できる!とされている。。。くそう!金で、何でも手に入ると思うなよ!・・・・むなしい。

投稿: musataro | 2014年12月29日 (月) 13時58分

根堀り葉堀りですが、
使用価値って使用するに当たっての価値であって()効用とは、おかしんじゃないですか?
使用といっても、使う、遣う、の別がありますよ。

投稿: 分 | 2014年12月30日 (火) 16時03分

@分
確かに()で閉じちゃうのはおかしいか。失礼しました。
使用という事に関しては、、、単に貨幣は、煮ても焼いても食べれないでしょってことを言いたかっただけなんですが。駄目ですか?

投稿: musataro | 2014年12月31日 (水) 21時15分

だめです。

投稿: 分 | 2015年1月 1日 (木) 01時02分

いいタイトルですね。
類似系に
「樹を見て森を見ず」
がありますね。

投稿: ohiya | 2015年1月 1日 (木) 08時14分

えぇかのぉ?
根ぇは掘り返してみやな見えんが

投稿: ぶん | 2015年1月 1日 (木) 20時33分

@IWATANI
>貨幣の本質が差異であることを、大衆的マスコミレベルで、なんとか啓蒙する必要がある。
AMAZONのWITH THE BEATLESのレビューで試みましたが、「格差」「差異」までは言及できませんでした。トホホ。

投稿: ohiya | 2015年1月12日 (月) 05時18分

だれか暴走を止めてくれい。時間がありすぎるのも困ったもんだ。

ビートルズのレビューを書いてる時にチラッと感じたんだけど、なんか貨幣カネというものに悪を、なすり付けているような。カネというものは言うまでもなく無人格であり、それを人が使うことが問題なわけだ。(私たちが大人なら使わないで生きていくこともありうるだろう。)あくまでも私たちがそれを認め・使用・愛好するかが問題である。おカネの暴虐を是認するか否認するのか、一人一人の心・認識・内部性がどうなのか、諸事をコミュニケイティブに解決できるのかが決定的に、問われている問題じゃなかんべか。

投稿: ohiya | 2015年1月12日 (月) 13時27分

キングクリムゾンのEASY MONEYでもないし、PINK FLOYDのMONEYでもないし。MONEY GO ROUNDでもないんじゃないかなー。誰かMONEY=格差みたいな趣旨の曲知っている人、いませんか。

投稿: ohiya | 2015年1月12日 (月) 21時44分

人間って大体食う事に困らなくなると、あんまりどっかに移動したりしなくなって定住するようになるじゃないですか。そうすると色んな物を手に入れたいと思うと、何にでも替えられる貨幣が便利だなと思うんですけど、それがいつの間にか、「貨幣」そのものが「価値あるもの」って崇めたつまれちゃって、誰よりも早くなんでも手に入れたいって思う輩が、貨幣を溜め込もうとする所で格差が生じるんじゃないのかなぁ。。。違うかなぁ。。。違うって言うんならちゃんと教えて欲しいです。

投稿: msataro | 2015年1月12日 (月) 22時59分

と言いますか、無一文の人間と一円を持っている人間がいるとしたら、そこでもう一円の格差・差異が生じています。大きくすれば100万円の者と1000万円の者では900万円の格差があるっちゅうことじゃないかなー。

>何にでも替えられる貨幣が便利
その貨幣にその価値をつけているのが、その地域の最高権力者だと思います。で、そのローカルAと別のローカルBが・・・。違うか。昔のどこかのコメントにVoyantさんの「無言交換」ちゅうコミュニケーションレスで物を手に入れようとする心がヤバイ、というのがあったんですけど。おーい、Voyantさん、再登場して頂戴。

投稿: ohiya | 2015年1月13日 (火) 01時32分

>格差があるっちゅうこと
そして格差があるから、持てる者は持たざるものをカネでトレードし、その労働から生まれた利益を吸い上げていく。それが多重的に重なり格差の再拡大。
また、格差があるから100万持つ者はそれより下に行きたくない、或いは今以上を狙うから競争社会は連綿と終わらない。で、カネが活発に動いていく、皆がそれを欲しがる。

投稿: ohiya | 2015年1月13日 (火) 03時48分

「貨幣そのものが格差なんだ」ってのをちゃんと理解したいです。うぅむ。

投稿: musataro | 2015年1月13日 (火) 15時41分

私も昔のヒワ氏のブログを飽きもせず読みあさって勉強したくちですけど。上の例で言いますと、1円という貨幣の最小単位でさえ、それを持つもの・・・・。いや、言い方が悪いのか。貨幣の本質とは、人が持つ、持たないという差異である。貨幣そのものとは、国が「価値がありますよ」とお墨つき(信用)を与えることによって成り立っている。それは貨幣の定義であって、本質、貨幣が威力を発揮する場とは、それを持っている者と持っていない者との間によって実効される。全人類がそれぞれ同じ1億円を持っていたとしたら、その1億円は貨幣として働かない。または、貨幣として働くとは(=本質とは)、自分が欲しい物があったとき、それを購入する際代金としておカネを払って相手に満足を与えれる事である。それはどういう事かというと、相手がおカネを稀少財と知っているからである。別に相手が超貧乏人である必要はない。ただ社会におカネがない故に大変苦労している層があることを知っていれば良い。そうすれば、おカネは持ってなくてはいけないものという気持ちになれるから。つまり、格差があって初めて貨幣が働く。
なんか説明が下手くそで申し訳ありませんが(ドツボにはまっているような)、昔のヒワ氏のブログ、’12・11・26を見ることをお薦めします。そのなかの一節「格差がなければ貨幣ではない。」が自分の趣旨です。ごめんなすって。

投稿: ohiya | 2015年1月13日 (火) 21時34分

本質=そのものが存在する上で、欠かすことのできない根本的な性質・要素。そのものを成り立たせている中心的な性質。

>貨幣そのもの
貨幣そのものは、紙であったり国から信用を与えられている銀行券であったりします。
貨幣の本質とくると、「格差あっての貨幣」という感じじゃないでしょうか。ちなみに格差と貨幣の関係は、鶏が先か卵が先かみたいじゃないのかな。「貨幣そのものが格差なんだ」という言い方は「貨幣が格差を生み出すんだ」「貨幣の中心的な性質が格差なんだ」というのを、最大限に強調したくてあみだされた言い方ではないでしょうか。皆さんどう思いますか。

投稿: ohiya | 2015年1月14日 (水) 00時22分

一つ思いついたので。
「貨幣そのものが格差」という時、デフォルトに「貨幣」という言葉に「人が貨幣を使う場合」「人が貨幣を使えば」という意味が(暗に)含まれているんじゃないだろうか。ま、いろいろあらーね。

投稿: ohiya | 2015年1月14日 (水) 02時56分

>社会におカネがない故に大変苦労している層があること
老人の孤独死。都会での餓死者。なんかは、貨幣を重要、稀少と思わせる最高のアナウンスである。それを聞いたら、可哀想とかヤバイナーと思うよりも、カネに対して憤激・怒りの炎を燃え上がらせねば、何も変わらんげんぞー。

投稿: ohiya | 2015年1月14日 (水) 21時41分

「葉を見て根を見ず」からの(経ての)「根を見て空を見ず」

投稿: ohiya | 2015年1月17日 (土) 07時16分

>何にでも替えられる貨幣
改めて、その無神経、「質」をすっ飛ばして「量」に変換する計量性、粗暴性が剥き出しに感じられるよね。なんで、誰がそんな紙切れに超特権的な超越的な価値を付与できるのだろう。それこそ超特権的な超越的(神)な人間なんて、一人もいないはずなのに。それをやるのが、支配・暴力・傲慢・強欲者。

投稿: ohiya | 2015年1月17日 (土) 07時41分

固定化したもんもんどうしに生起するもんを、関係言うたかてしょーおまへんがなとか、iwataniさん言うてましたね。

投稿: bad | 2015年1月18日 (日) 00時25分

たしかに。どこで、どういう感じやったですかねー。30年以上前だもんねー。そういや、短いレビューやったような。

投稿: ohiya | 2015年1月18日 (日) 02時03分

察するに、AとBという木に打ち付けられた太い釘があるとする。関係性とは、両者の関係によってそれぞれの位置、或いは太い釘自体が変化することを言うんじゃないだろうか。そもそも太い釘(堅固な共同体)があるという事自体、かってな思い込みでしかないげんけどね。

投稿: ohiya | 2015年1月20日 (火) 06時15分

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