網と階層
過去何百年、何千年、何万年、人類社会の構造は階層(ヒエラルキー)である。だからこそ、ヨコヨコのコミュニケーション能力が発達しない。階層の仮想頂点がさまざまな宗教とそのさまざまな神だ。
網(ネットワーク)が人類社会に本当になじむには、短くてもあと数十年、妥当な線では数百年かかるのではないか。
社会的決定の過程としての権力の階層と、社会的流通の過程としての貨幣の階層(差異の階層)は、いずれも効率は良いと見えるが、その社会的人間的クォリティはすさまじく低い。多くの人を、慢性的に不幸にしている(※)。
※: 階層は競争を生み、競争は他者破壊を生む。戦争は言うまでもなく不毛で無意味な悲惨だが、より多くの有価物を得るための、自然に対する大規模な暴虐は、大規模で深刻な反撃を食らう。
そこで、問うてみる価値のある質問は、階層が支配したからヒトのコミュニケーション能力が発達しなかったのではなく、コミュニケーション能力が未発達だったから階層が突出的に発達し支配的となったのではないか?という点だ。
階層、「上」と「下」、「富」と「貧」という人間関係のあり方はいやだ、廃棄したい、という今のところ非力な願いは、だから未来に向けての進化の、ささやかな萌芽かもしれない。
-----
インターネットはネットワークの理想形ではない。ISP(インターネットサービスプロバイダ)と一般ユーザの接点は典型的に階層だから、階層権力はそこを易やすと締め付けの急所として利用できる。中国政府のやり方が目立つが、もちろん、そうやってネットワークを締め付けるのは中国ばかりではない。
Linuxの場合も、パテントという階層概念の地雷を踏み、Microsoft等、階層のボスどもにいいようにいじめられてしまった。オープンソースネットワーキング開発も、今のLinux等はその理想形ではない。
(本稿未完)
| 固定リンク | コメント (14) | トラックバック (0)
最近のコメント