ローカリズム vs. グローバリズム
英語(〜印欧語)のnationは、国家、国民、民族が重なったような意味を持っている。だからnationalismは国家主義とも民族主義とも訳される。しかしここでは、あえてどぎつく、一般名詞普遍名詞としてのナチス、ナチズムを使用しよう。これらを一般名詞として扱うのは、本稿の独断ないし独創である。
語源となった、あのドイツのナチズムは、ユダヤ人というイメージで表されるグローバリズムからnationというローカリズムを守る、という意味が込められている。ドイツだけでなく、全ヨーロッパ、やがては全世界を。グローバリズムという脅威の実質は世界貨幣〜世界資本(+それに伴う諸文化諸価値)だが、実際のユダヤ人はドイツ〜ヨーロッパにおいてその大半が典型的な被差別民の貧困層だ/だった。
そこで、ナチス、ナチズムを一般名詞普遍名詞とした場合には、今のイスラム(を自称する)武力集団(+そのほか若干)は、21世紀に場所を変えて再発しているナチス/ナチズムである。彼らは、ますます広まりつつあるグローバリズムを駆逐して、伝来のローカリズムを保護ないし再興したい。女性の、圧倒的な低位化(*)、とか、もろもろ。
グローバリズムの拡大は短期的に多くの被害者も生むので、彼らがそのローカリズムに賛同して武力集団に参加したり、某国のように選挙の票を投じたりする。でも、どちらかというとメリットの方が大きいから、被害者集団が長期的に優勢になることはない。あの受験コンプレックス男の妄想から生まれた珍興宗教が、かなり人と金を集めたにもかかわらず、数十名の一般市民を殺しただけで終わったように。
しかしグローバリズムの拡大によって生まれるのは復古ローカリズム再興集団だけではない。第三の、まだ無名の集団は、明示的な集団としては存在せず、散在する複数の個人であるにすぎない。
そういう個人は、グローバリズムの持つ貨幣至上主義を嫌悪すると同時に、ローカリズムの狭量や抑圧や恣意的権力/権威も嫌う。そして全社会の普遍的なベースが、国籍民族等の違いを超えた「個」と、個と個間の「コミュニケーション」であることを願う。実際にそういう社会は、一部の(とても重要な)コンピュータソフトウェアをめぐって生成成長している。
でも、そんな理想に近い社会は、グローバリズムの成熟の果てに、熟しすぎて落ちる柿の実のように、訪れるものでしかないだろう。そもそもグローバリズム自身も、ローカリズムを自負する彼らが、複数のローカリズム間でどうしても「トレード」をせざるをえない、という状況から生まれたのだ(コミュニケーションはしない・できないのだから)。トレードは共通貨幣を必要とし、その取り扱いを担当する第三者、すなわち賤民(==‘ユダヤ人’)を必要とした。
グローバリズムは、ローカリズムの無能の必然が生んだものだ。
そこで、第三の、未来的な、「個とコミュニケーション」主義を標榜するわれわれは、この21世紀初頭における、ナチスと連合軍の戦いにおいて、後者を応援せざるをえないのだ。幸か不幸か。ただし、そこにおいてすら、武力よりもコミュニケーションの方が強力に有効かもしれない、という可能性は残る。まだ一度もトライされていない可能性が。
*: ローカリズムの、nationの、純血を維持するためには、女性(繁殖力を持つ雌)は一生、仮想牢獄に閉じ込めておかなければならない。秋田県における、秋田犬の純血保護事業のように!!
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※:日本では、 書店やメディア上で、「こりゃー日本のネオナチだわ」という感想を持ってしまうような議論が、一部のファンを集めているようだ。
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コメント
資本の文明化作用=リバタリアン・マルクス。本稿の主旨に基本的に賛成ですが、わたくし的にはここで「サイレント・マジョリティ」といういささか古めかしい語を持ち出したくなります。
確かに、過激ローカリズム(ここでいうナチズム)的反動に実際に身を投じる人が長期的に見て少数派であるにしても、他方、「第三の人々」すなわち…
「グローバリズムの持つ貨幣至上主義を嫌悪すると同時に、ローカリズムの狭量や抑圧や恣意的権力/権威も嫌」い、「全社会の普遍的なベースが、国籍民族等の違いを超えた「個」と、個と個間の「コミュニケーション」であることを願う」
…そういう人々もやはり一種の特権階級であり、絶対数としては少数派たらざるを得ないのではないでしょうか?社会のメインストリームは、グローバル至上主義派でもナチズム派でもいわんや「第三の人々」でもない、いわば(語の定義により)サイレント・マジョリティであるほかはありません。
一応は平和で安定した社会を支えているのは、サイレント・マジョリティの安定であり、こうした安定を担保しているのは国家(Nation)の存立(*)にほかなりません。過激ローカリズムが台頭するのは、サイレント・マジョリティの生活基盤に対する保証機能(いわゆる安心・安全)を国家が果たしていない地域であると言ってよく、こうした地域で「国は何もしてくれない!」という悲惨が心底身に沁みた人々は、文字通りディアスポラ=ユダヤ人として生き抜くか、さもなくば過激ローカリズム運動(多くは伝統的宗教社会への復古)を支持するほかありません。強調すべきことは、過激ローカリズム(ナチズム)の台頭を抑止することができるのは、逆説的にも、今のところ、ほかならぬ国家(大文字のNation)以外見当たらないという事実であります。
反ナチス連合軍への支持と聞くときいささか釈然としないのは、仮に圧政を敷く政府なり武装集団を打ち倒して、「さあこれからはあなたたちの自由ですよ」と梯子を外された人々が投げ込まれるのは、以前にも増して悲惨な混乱=単にグローバル化に伴う痛みというようなレベルをはるかに超えたカオスである可能性が高いからであります。こうした混乱がさらなる過激ローカリズムの温床となることは想像に難くありません。つまり、その意図に反して、結果的に反ナチス連合軍がネオナチを拡大再生産していくことへの危惧であります。
*)日本は、きわめて長期にわたり「国家」「国民」「民族」がほぼ一致してきたため、民族が国家を失ったり、政権が国を追われて亡命するような事態をまず想定する必要の無かった幸福な国であることが、国家の存立意義を認識し難くしていると思います。これは良いことですが、あくまで日本固有の特殊事情と考えるべきではないでしょうか?
投稿: iris60 | 2014年11月 3日 (月) 12時48分
@iris60
サイレントマジョリティという曖昧なものは、この宇宙のどこを探しても存在しません。また、特権などなにも持ってない者は特権階級ではありません。
今の世界には:
1.ローカリズム復古願望者(L)。
2.貨幣価値まっしぐらの人たち(G)。
3.LにもGにもどちらにも違和感を感じている人たち(ただし言葉や概念にできない人は多い。一部は、“行動”にはできている)。
この三種類の人しかいません。地域によって比率に違いはあるでしょう。
また、ナチズム平定後の地域の未来は、今年ノーベル平和賞をもらった少女のあり方が象徴しています。今すでに各地に入り込んでいるボランティアも多い(日本人女性も多い*)ですが、とにかく安定と成熟の達成のためには、先進国の(金だけではない)積極支援が絶対的に必要です。そうやって、支えられているからこそ、マララちゃんも活躍できるのです。それがなければ、とっくに、過激派Lに殺されていたでしょう。
*日本人女性といえば、ISAKのリーダーもそう。
日本は、維新戦争で、コワモテのローカル権力がほぼ平定されてしまったという、ラッキーな国ですね。中東やアフリカは、まだまだ時間がかかりそうです。
※: iris60さんがNationと言っているものは、むしろ、State(近代国家)ですね。そこにはすでに、Nati==ナチのコノテーションはありませんから。
投稿: iwatani | 2014年11月 3日 (月) 13時54分
@iwatani
「言葉や概念にできない人は多い」をそのまま英語にしたものがsilent majorityではないでしょうか? またそういう人は(L)や(G)においても大多数でしょう。
「特権階級」という言葉で想定したのは、例えばデモやバリケードの中に集う学生です。学生は何一つ「持たざるもの」ではありますが、やはり客観的に見れば恵まれた立場の存在です。
まあでも、基本的に本稿の論旨には賛成です。
投稿: iris60 | 2014年11月 3日 (月) 14時55分
@iris60
>「言葉や概念にできない人は多い」をそのまま英語にしたものがsilent majorityではないでしょうか?
全然違います。「もの言わぬ人」、が正しい語義。一部の政治家が使った、恣意的な人間のくくり方(というか一種の詭弁)であり、したがって実在しない、と私は言ったのです。
実際にはそこらのおじさんでも、おばあさんでも、態度や行動や日常的談話の中で自らの思想を表現しています。AとBがあって、どちらを選択するか、という場面など。またたとえば、「同じ人間同志なんだから、もっと仲良くできないもんか」などと、素朴な言葉で思っていたりするでしょう。
サイレントマジョリティなどという、人間をひとくくりにした、不快で失礼な言葉は、今後使わない方がいいね。誰しもが。(語感自体がもはや古い!、と私は感じる。)
多くの、素朴な思いの持ち主たちを、特権階級などと呼ぶのも、的外れで失礼だから、やめてください。もちろん、日常の私も、その一人ですが(特権など何も有しません)。
なんで、個対個で仲良くするという素朴な思想と、学生運動が結びつくのか、不可解です。
投稿: iwatani | 2014年11月 3日 (月) 18時23分
@iwatani
そもそも私自身のコメントの最初に「古めかしい」と書いてあるはずです。岸サンやニクソン氏の政権が利用したとされるために、用いることがタブーのように扱われてきた言葉がサイレント・マジョリティであります。こうした言葉狩りのタブーを墨守するiwataniさんのほうがよほど「古い」のではないですか? silent majority は noisy minority の抗議概念で、たとえばiwataniさんがネオナチと呼ぶようなネトウヨ的言説の喧しさを、あたかも多数派であるかのように受け取ってしまわないためにも検討を要する鍵概念のひとつだと考えます。
「特権階級」という言葉がお気に召さないようですが、私自身は別に悪い意味で使っておりません。ただ、言語的発信、概念操作の能力、通信手段の駆使、活動に割ける時間やエネルギー等々を持つ人々は、そうした能力を持たない人に比して特権的な存在で、数の上でも少数派たらざるを得ないという事実を指摘しているまでです。常日頃iwataniさんは「自分の用語法に合わない人を否定する人」を糾弾していますが、他人の用語法に対して一番狭量なのはiwataniさんご自身です。
投稿: iris60 | 2014年11月 3日 (月) 20時36分
@iris60
> 他人の用語法に対して一番狭量なのはiwataniさんご自身です。
この問題は、ここではまったく無関係です。
もう、簡単に書こうと思いますが、
発端:iris60説では、
「少数の特権階級」
vs.
「サイレントマジョリティ」
で、ぼくは、サイレントマジョリティなるものは存在しない、と反論したのです(言葉狩りなどとは無縁)。また、個対個の関係をベースにしたい、という思想は、「少数」でもないし「特権階級」でもない(特権って、少数者の持つ特別の権利、のことでしょう?…iris60説では“学生”とか)、と指摘したのです。少数でも特権でもなく、わりと、ふつうの庶民がふつうに抱く思想の一つでしょう。「人間」のことも、「お金」のことも…。
ただ私など一部の人間には、それを概念化できるという、特権ではなく「能力」があるだけです。たいした能力ではないし、その日常は、特権も何も持たない、一庶民にすぎませんが。文章化の能力の保有が少数であること、イコール、思想の保有も少数、なんてことはありえません。最初から馬鹿げているんですよ、iris60さんの説は。
このシンプルな文脈は、ほかの読者には最初から完全に分かってる、と思うのだけど、どうかな?
投稿: iwatani | 2014年11月 3日 (月) 22時28分
@iwatani
「明示的な集団としては存在せず、散在する複数の個人であるにすぎない」「まだ無名の集団」とご自身で言っておられる→実数においてはもちろん、社会的影響力という点においても明らかに少数派であることを最初から認めている文章だと私には読めます。もちろん、少数派だから悪いとは一言も言っておりません。
投稿: iris60 | 2014年11月 4日 (火) 04時30分
いやー、面白い面白い。アッシにしたら、どっちの言い分も半分ずつぐらい分かって、でもとても中身がある論戦だと思いました。またここで、アッシの頓珍漢な感想を書かせて「もらってもいいかなー。」
国家が国民を守らないから、国民の一部が極端なローカル堅固イズムに走る。それを防ぐためには国家(サービス)の充実が、必須である。みたいに読めたんですけど。
だけどなー、その国家の存続・存在理由が問題だと思うんですけど。そういえば私がとっても好きなセリフにこんなのがありました。
「これから日本は、大荒れに荒い狂いよる!!こんな時代に、こんなちっぽけな土佐という瓶の中で、上士と言う蓋に押さえつけられて外にも出られず、一生を終えてええがかよ!!
飛び出すんじゃ、弥太郎さん!!」「今、無理なら後で来い!! 弥太郎さんのような才能ある人材は、今、日本が必要としちょるんぞ!!」
てなセリフである。出典は有名な男性漫画なので書きませんが。
まぁなんといいますか、このセリフをこのトピックの感想の一部にさせてもらうと同時に、あまたある読者の皆さんに捧げます。コメントなんて会話みたいなもんだから、もっと敷居を低くして書いちゃいましょうよ。賑やかしくてイイじゃない。

投稿: ohiya | 2014年11月 4日 (火) 06時05分
「言葉」の解釈って難しいですね。なんか「地方」っていうと差別的な印象を私なんかはもってしまうのですが、「地域」っていうとちょっと意味合いが変わってくる。
グローバリズムって人、物、金が自由に動くって事なんでしょうが、しかしあまりにも貨幣至上主義に陥ってしまった。それこそ弥太郎さんの時代が始まりだったかもしれないですね。もちろん日本という「ムラ社会」から飛び出して世界を知るということは良い事だったと思う部分もありますが。
貨幣至上主義だと「都会の奴らばかり儲けやがって!イナカさ出て一旗揚げてやる!」という発想になって「地域」が地方(いなかもん)になってしまう。えらそうに言ってますが私もそうかな。
(うぅ・・仕事にいかなきゃ。つづきはまた書きます)
投稿: musataro | 2014年11月 4日 (火) 07時39分
人生は思想という作品である。
その作品を発表せずに生きることは不可能。
人間は思想が服着て息をしているようなもの。
投稿: 南 | 2014年11月 4日 (火) 08時34分
@iris60
> 社会的影響力という点においても明らかに少数派
とは、必ずしも言えませんね。今の多様な活動(それ自身、多くが散在している)を見れば。たとえば、コンピュータのソフトウェア開発の分野、フェアトレードの分野、などなど。
しかもあなたのオリジナルでは、少数派==特権階級の人びと、という文脈だったのでは?
このコメントスレッドに私が書く最後のコメントとして、以下を申し上げておきます:
前回の記事に対するあなたのコメントに、
「某国が「奴隷制復活」を宣言したように、歴史は逆回転を始めたようにも見えます。」
という、また例によっておバカな文があり、それへの反論は別記事としてしっかり書いた方がよい、と思い、今回の記事を書いたのです。このことに、iris60さんは気づく、と最初は思っていた。
一部の狂信的な殺人者集団(==ナチス)の言うことを、“歴史は逆回転を始めたよう”なんてとらえるのも、粗雑でオトコ的なiris60さんならではです。
でも、おかげさまで、反面教師としてはとても便利に役だったと思います。この、コミュニケーションについて追究するブログにおいて。(でも、えーかげん疲れた!!)
僭越ながら、アドバイスをひとつ:「何かに、真剣にコミットしてみてください」。
投稿: iwatani | 2014年11月 4日 (火) 08時49分
@iwatani
>「某国が「奴隷制復活」を宣言したように、歴史は逆回転を始めたようにも見えます。」
という、また例によっておバカな文があり、それへの反論は別記事としてしっかり書いた方がよい、と思い、今回の記事を書いたのです。このことに、iris60さんは気づく、と最初は思っていた。
もちろん最初から気付いております。「おやおや、ずいぶん簡単に喰いついて来ていただけたものだ」と思えばこそ、コメントとしては長い文を書いたのです。
作文のイロハとして「…ようにも見える」という書き方には、「本当はそうではないかもしれない」という含意があります。
ですから最初に「反動に実際に身を投じる人が長期的に見て少数派である」ことを承認した上で、言うところの「第三の人々」もまた少数派たたらざるをえず、その他の圧倒的多数の「普通の人々」は、定義によりサイレント・マジョリティと呼ばれると書いたのです。
いうまでもなく歴史は逆回転などしません。ただ笑劇として繰り返すのみです。
収穫だったのは「連合軍支持」の言質が取れたことです。ついこないだまで反動的諸力の力による押さえ込みは、事態を「悪化して再燃させる」とお書きになっていたにもかかわらずです。
投稿: iris60 | 2014年11月 4日 (火) 12時55分
正しいグローバリズムは、国籍や民族の違いを超えた個と個間のコミュニケーションを実現することであるとすれば、異論もあるかもしれませんが、生まれたその地で、まずは自己を確率する事、自立する努力をしなければいけないのではないかなと思います。グローバリズムの意義に一見反する様に思えますが、人間は生まれた地で人生を全うすることが本来は正しい生き方じゃねぇかなって思うんです。で、自己を確率するには他者とのコミュニケーションは必須事項な訳でして、それができないからイナカモンのムラ社会(ローカル)になってしまうのではないかと思うのです。
地域に密着しながら真のグローバルな人間になっていくには、やっぱりインターネットなのかなぁ・・・
●「女性」のこと
最近、我が政府はしきりに「女性の活用」とかいっておりますが、賢い女性は「むさくるしいオトコ社会構造の中に誰が取り込まれるものか!」って思うでしょうよ!そういいうものを一切否定するために女性は頑張るべきでしょ。
政治家の女性ってオトコよりオトコ臭いのが多いと思いません。のさばってるのは。
投稿: musataro | 2014年11月 5日 (水) 17時57分
失礼しました。前のコメント、確率➡確立でした。
投稿: musataro | 2014年11月 5日 (水) 17時58分
しかしローカルAとローカルBは、何で本能的と言っていいほど、対立するんでしょうか。
投稿: bad | 2014年11月 6日 (木) 20時19分
関係ないが、母親の医療関係の手続きに行ってきたが、診断書の内容が非常の簡素だった。後で思い出したのはニーチェの現実は徹頭徹尾、単純化されて把握されているという言葉だった。
投稿: bad | 2014年11月 7日 (金) 21時37分
@bad
>ローカルAとローカルBは何故対立するのか?
結局AもBも自分達の住んでる所を自分達のチカラで良くしようって真剣に考えなくなっちゃってるから駄目なんじゃないですかね。だからすぐ他所を妬む。どなたかもおっしゃてましたが、結局人間って仲が悪かろうが何だろうが誰かと関係を持っていないと生きていけない生き物だと思います。だからこそローカルAもBも接しなければいけない「際」があるわけで、そこでの政治とか交流とかが大事なんだよなぁ。金儲け主義のワルどもを排除したところでの。
投稿: musatarou | 2014年11月 9日 (日) 22時28分
ちょっと太古に帰って、なぜローカルAに権力者・支配者が誕生してしまったのか考えてみたい。
太古には本当に少人数の人間のグループがあっただけだろう。家族とか、複数の家族の集まりが。それが何十人という集まりになった時に、その中で一番武力に長けていたもの、かつ強欲なのもが支配者・代表者になったかと思う。人間というものは少数の「どうしても上に立ちたい」という者と「下にいた方が楽だ」というのに大別されるのだろうか。昔みたいに生存する事自体が困難な時には、圧倒的に武力が優先されるのだろう。やはり武力者=強欲者=支配者というイメージは起きやすい。簡単に言うと「荒くれ者」の天下だったんじゃないだろうか。
で、そんなローカルAとローカルBが出逢ったとしたら、それぞれのボスはどう出るか。知恵も知識もない時代である。答えは言わずもながでしょう。なんかそんな大昔の旧共同体の原理は、そっくりそのまま現代に引き継がれているんじゃないだろうか。
で、アッシなんかはそんな共同体は、要らねぇと叫びたいのである。
投稿: ohiya | 2014年11月10日 (月) 07時36分
で、グローバリズムも残虐なものに思える。あんなもの自国の足元を見ないで、よそへ売るために安いものを仕入れて、売りさばくものでしかない。くだらん!それこそ、利益のみを追求、足元の生活を犠牲にしての。デフレ・ラットレース地獄!?!!!
投稿: ohiya | 2014年11月11日 (火) 01時02分
ユニクロにジーパン買おうと行ってきた。76cm30inchのジーパンを履いて行ったのだが、一応店員にウエストどれ位だろうと測ってもらったら90cmと言うので仕方なく88cmの物を履いたらブカブカなのである。欲しいタイプのジーパンの30inchのがどーしても無く、手ぶらで帰ってきた。どーなんだろうか、これは。
投稿: bad | 2014年11月19日 (水) 19時19分
ユニクロでアップデートしてるのは、フリースだけじゃないだろうか。
投稿: bad | 2014年11月19日 (水) 20時57分
最近のユニクロは粗悪品になってるから買わないです。倉庫のように巨大な衣料品スーパーがよろしい。
投稿: iwatani | 2014年11月19日 (水) 21時34分
金沢にはそんな巨大衣料品スーパーがない。
投稿: bad | 2014年11月20日 (木) 16時10分
結局ユニクロで、ズボンを買った、しまむらで買った方がよかったかな、安物買いの、、、、、。
投稿: bad | 2014年12月10日 (水) 23時34分
そら、銭失いだ、で、どないだ?
投稿: ぶん | 2014年12月11日 (木) 17時37分
ユニクロ劣化て言ってますが、買ったズボン暖かくてなかなかいいだ。悪くないだ。
投稿: bad | 2014年12月11日 (木) 18時27分
さよか、ほな、銭失いとはいえまへんなぁ
投稿: ぶん | 2014年12月12日 (金) 23時44分