「社会保障」を死語にしよう
「社会保障」はトータルなタームでない。全体的概念ではない。むしろ、一部の弱者に対する概念なので、よく考えれば差別的な語でもある。支える側が、支えられる側を見たときの、概念。あいつらは、社会保障がないと生きていけない。
で、「社会保障」を廃語にして、「所得再配分」というトータルタームに置き換えることを提案する。
貨幣が持つ価値の本質は差異であるので、必ず格差の階層、貧富の階層が生成される。すなわち貨幣は非人間的であり、非コミュニケーション的である。
その不健康なギスギスを、政治の重要な使命の一つとして、緩和しなければならない。
(政治が要らない(米共和党的)なら、アナーキズムであり、格差は当然のものとして放置される。)
ところで、共和党の無理解(古き良きアメリカを幻想)により通らなかった移民法の、最低限の部分を大統領命令(executive order)でやるオバマさん、中途半端な出来栄えに終わった国民皆保険の実施手続きが違法だったとして(やはり共和党から)告訴されてしまったオバマさん。アメリカのメンタル・インフラストラクチャがもっとしっかりして、アメリカの社会基盤が強くならないと、世界中が迷惑するんだよ、オバマさん。あと2年で、なんとか盛り返さないと。
えっと、だから、格差の解消ではなくて緩和だから、それは「所得再配分」である。旧来の社会保障と福祉と年金などなどをすべて一元化して、「所得再配分行政」として立ち上げていただきたい。
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コメント
賛成です。「社会保障」っていう言葉は廃止しましょう。ー「あいつらは、社会保障がないと生きていけない。」ー名言です。それこそがあいつらの生きていけるメシの種。ふざけるんでねぇ、バカタレが。そっだらことすてっと、ばつがあたるぞ、おめぇら。
投稿: ohiya | 2014年11月23日 (日) 03時41分
究極的に根本的にベィシックに、貨幣を維持・必要するっていうことは、「格差」「貧困」を維持・容認・前提するっていうこと。なぜなら、格差がないと「貨幣」の存在意義がないから。
投稿: ohiya | 2014年11月23日 (日) 03時57分
もっと簡単に言えば、貨幣・オカネのある社会は人間において必ず「上下関係」をつくる。(否、「上下関係」を欲するから(コミュニケーションをしたくないから)、貨幣・オカネが流動する。)上下関係のない社会=平等な社会には貨幣はない。だけどそんなこと、可能か?。必ずしも全ての人が、コミュニケイティブとは限らないし。
しかし、上の者も下の者(部下)がないと、生きてはいけない。そこで、納得する範囲で「所得の再配分」を実施する。
[補遺]
コミュケーションしたくないから=
傲岸・怠慢のままでいたいから
投稿: ohiya | 2014年11月23日 (日) 05時13分
社会保障が弱者を救済すると言いますと、確かに差別的な意味合いになってしまうのですが、大切なのは「社会」を保障する事によって弱者を救う・・・というか色んな格差を縮めることが必要なんじゃないかと私は思うのです。
「社会」を保障するというのは、iwataniさんおっしゃるところの社会基盤をしっかりと築くということに他ならないのです。
イメージとしては家を建てるとき、岩盤のうえであれば
安心できるのですが、液状化しちゃうような地盤では安定した住まいとは言えないわけで、その岩盤たるものが社会保障(社会基盤)なんじゃないかなぁって思うのですが・・
投稿: musataro | 2014年11月23日 (日) 07時27分
@musataro
> 「社会」を保障する
これはmusataro氏独自の、新解釈の語義だと思います。原義social securityは、personal(or private) securityで間に合わない部分を社会が担保する、という意味で、いかにも古いトップダウン政治/行政に特有の、欺瞞臭ふんぷんたる言葉です。
もっと重要なのは、この言葉が事の本質に触れていない、むしろ、シカトしていることでしょう。事態解決的でなく、事態糊塗的な概念であり、オトコ社会の無神経、他者無感覚、粗暴、傲慢を感じます。
サイレントマジョリティなどと並んで、社会保障は、私の大嫌いな言葉の一つです。だからこそ、死ね!と言ったのです。
「所得再配分」は事態の本質を隠していないし、プレーンで透明で無味無臭で、行政事務の機能だけを純粋に言い表しているので、明日の人類社会にふさわしい言葉だと思います。
投稿: iwatani | 2014年11月23日 (日) 12時36分
日本に人権なんて発想あるのだろうか。ないんじゃないの。
投稿: bad | 2014年11月23日 (日) 18時11分
@iwatani
コメントありがとうございます。
例えば重い病気で高い医療費を払えなくても、先ずは自分でなんとかしなさい!と、それでも難しければ国で保障してやるよって言われるとむかつきますね。
自分で言っときながら恥ずかしい話です。
しかし経済面ばかり躍起になって議論している風潮は
嫌気がさしてきますが、この様な話は生きてく上で基盤となりますから大事だと思います。
話はそれちゃいますが、食わないと生きていけませんが、「物」は別にもうあんまり欲しいと思わなくなってきちやったなと最近感じております。枯れてきたか笑
投稿: musataro | 2014年11月23日 (日) 21時46分
@iwatani
>もっと重要なのは、この言葉が事の本質に触れていない、むしろ、シカトしていることでしょう。
「事の本質」とは何か。大昔のrockin'onに「愛と呼ばれてきた現象」なる原稿がありました。その中に「権力とは希少性の保持である。ーー権力とは、その支配の対象としてまさに、希少性を必要とする希少化の力にほかならない。」の一文がありました。
希少性を社会的弱者に置き換えれば見えてくると思います。バカヤローめが! てめー(権力者)がカネで縛り上げておいて、なんでヌケヌケと保障してあげますよ、なんてぼざける。オノレをクソと知れ、ばかやろーが。
@musataro
ホントに、買う物がないですよね。昔の慣例として何か買わなくちゃと思って店に入っても、買うものがない!。ただウロウロと店を回って、「あーぁ、時間の無駄だった。」で終わってしまうもの。今でも不便とは思わないし、やはり本当に求めているのは、新しい生き方なんじゃないだろうか。
投稿: ohiya | 2014年11月23日 (日) 23時44分
@ohiya
昨日仕事でケア付きの有料高級老人ホームに住むご老人とお会いしてきました。まるでホテルの様な充実した設備なのですが、「部屋は狭いのよ。」って寂しそうにおっしゃっていて、失礼ながらあんまり幸せそうには見えなかったのです。世界には飢餓に苦しんでいる人が存在する一方で、「物の豊かさ」はあんまり望まなくなっているという現実もあるように思えます。しかし、、少子化で人口も減少してるのに経済成長のことばかり話してる政治家が多いですが、意味あるのでしょうか?
投稿: musataro | 2014年11月24日 (月) 01時42分
「物の豊かさ」って、自分にはもう便利さというのは飽和状態にきているように思えます。これ以上何をもとめるの?っていう感じです。そこで目に付くのが今度は健康ブーム。外的な物が足りてくると、自分の長生き、そして長生きに伴う健康な体への関心。





どうも、年をとると人は「生」を手放したくなくなるのか。「死」というものを遠ざけよう遠ざけようとするのか。自分もその年になってみないと分からないのだが、「死」を恐怖とする思想からは解放されていたいな。
別にこの50年間特に幸せだったとは思ってないし、失うものも無いし、それよりも俺なんか、来世の自分に期待しちゃうんだけどな。だから、今世において自分の欲のために重い業は作りたくないというか、なるべく人のためになることをして自分の徳を高めたいというか。俺なんか来世か次の次の来世に期待しちゃうな。こんなのアリ?
否、違うな。いま幸せだと感じないで、そんなのいつ感じるのよってことかな、きっと。でないと、いつまでたっても無いものねだり、ってか。ん~ん。
投稿: ohiya | 2014年11月24日 (月) 21時34分
もう競争をやめよう。
競争して勝ち負けを決めるのをやめよう。
優勝劣敗などではない。
「勝負は時の運」と言うではないか。
投稿: 南 | 2014年11月25日 (火) 08時33分
そういえばこんな歌詞もありました。
O'Jays. Put Us Together.
おたがいに争うのはやめよう
だれも勝者には
なれないんだから
いいっすよねー。大昔にレンタルレコードで借りて、カセットにいれてありました。外部不経済と同じで、私たちはつながっているんだから、あなたの敗北の不幸はいずれ野を超え山を越え、地球を一周回ってきて必ず私に影響するだろう。だから、競争・争いなんて、くだらないことである。フンガフンガ。
投稿: ohiya | 2014年11月26日 (水) 04時10分
チョットまて。競争にも二面性はある。おたがいに高めようとしての効能もあるが、ヤバイのは相手を負かそう、陥れようという心理が働いたときだ。後者は自己忘却=他者阻害であるよね。
投稿: ohiya | 2014年11月26日 (水) 07時20分
[訂正]Put Us Together⇒
Put Our Heads Together
でありました。Youtubeにド派手なバージョンがアップされていました。
投稿: ohiya | 2014年11月27日 (木) 01時27分
@iwatani
> social security
> 保障
> 「所得の再配分」
insurance ではないかしら?
わたしが未だに判然としないのは、保障と保証です。保障の「障」は元来、さわり(障り)だったかと思うのですが、、、
所得って、誰のですか?
投稿: | 2014年11月29日 (土) 13時47分
「障」はさわる(障る)とも呼びます。障るとは防ぐ、守るの意味もあるそうです。
この場合の所得とは、富裕層の所得です。
投稿: ohiya | 2014年11月30日 (日) 16時30分
@musataro
>経済成長のことばかり
意味ないよねー。有権者にしても関心があるのは、景気かぁ。これだけ成長しきった日本が、まだ成長しなければ生きていけないなんておかしいだろ。成長したあげくがこの有様である。成長の意味を問い正さなければ。或いは成長そのものを否定しなければ。
Stay with me
Stay with me
Won't you stay with me
投稿: ohiya | 2014年11月30日 (日) 23時35分
「障碍」の
>「障」
は、妨げる、妨げ、が元義ではないでしょうか?
現今、わたしたちに活きて用いられているのは、「若し差し障りなければ、お願いしたいのですが、、、」ぐらいでしょうか
投稿: 分 | 2014年12月 1日 (月) 01時01分
ふむふむ、確かにそうでしょう。漢和中辞典で調べると、意味は「敵をさえぎり防ぐ土壁、ひいて「へだてる・へだて」の意、転じて「さわる」の意。」とある。
保障とはなんだ。「強者と弱者をへだてる」の意味かい。強者と弱者を固定して。或いは、守られなければ生きていけない、恐ろしい社会なんかい。何から?。もち論、貨幣という暴力からでしょう。いや、貨幣を支持(国民)・維持(国家)する、暴力からだろう。
投稿: ohiya | 2014年12月 1日 (月) 07時05分
「社会保障」(?)に関わる大きな問題に「2025年問題」がある。ググって見ると東京新聞に、分かりやすい記事がある。これをみると、ホントに貨幣制度を維持していくのはやばいと思う。無理である。ますます人間が小さくなっていく。無理である。
一刻もカネの無謀から人の目が覚めて、貨幣社会からコミュニケーション社会に目を向けれるようになるのを望む。そのために自分は何ができるのか。・・・・
投稿: ohiya | 2014年12月25日 (木) 01時54分
貨幣社会
=カネが無いと生きていけない(と思っている)社会。
=カネが優先される社会。
=自然(含人間)が後回しになる社会。
投稿: ohiya | 2014年12月27日 (土) 01時51分
貨幣社会
=ハダカで生きられない社会、それが当然の社会
=ひらけない社会
=主従を強いる社会
=貨幣によってまとまる人間
=オカネに働かされる人間
=エロスのない社会
投稿: ohiya | 2015年1月 5日 (月) 05時58分