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2014年11月24日 (月)

臓器移植

植物も含め、すべての生物に死はある。死は、ションベンすることやウンコすることなどと同じく、生の当然かつ自然な一要素である。言い換えると死は、その生のもの、その生の一部、その生の本質的な属性の一つである。

死は生である。
だから、全自然が愛である。

その昔、Emerson, Lake and Palmerという偉大なるバンドのGreg Lakeという偉大なるボーカリスト(兼ベーシスト)は、

Death is life.

と歌った。死は生である。

私自身や家族などが、臓器移植すれば治る病気になったとしても、それは断る。それは、生の窃盗行為であり、死の窃盗行為だからだ。自然への憎しみ、ないし、マニピュレーションだからだ。私からの臓器提供も断る。ケチからではなく、それは私の上記のような宇宙哲学を犯し汚している行為だからだ。

臓器移植は、矮小なる、醜悪なる、窃盗行為である。

その人の死は、その人のものである。神聖なる尊厳である。移植提供だけでなく、被移植側も、自らの生を(死を)、その神聖と尊厳を、汚している。移植したことによって、自らの生を(だいじな死を)汚したのだ。

その人を真に生かしめるとは、その死を含め、全生を尊重し愛し受け入れることだ。
あらゆる生があり、あらゆる死がある。それが、大自然というものだ。
津波で、海の沖の沖の沖の方へさらわれて死んだことを、ああ、なんと素晴らしい死に方!と思えること。
だって、大自然のふところの中で死んだんじゃないか。臓器を、誰に奪われることもなく。
実は、どの生き物も…。そして、どんな死に方も…。(戦争を除く。戦争は反自然だから。)

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知らなかった人のために、Death is lifeの直前の2行を、以下に掲げておこう:

There's no end to my life
No beginning to my death

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この記事は、6歳の女の子の腎臓を40歳のおばはんに移植する、という気色悪いニュースに触発されて書いた。


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コメント

なんか、死と生はイコールである。
死も生もイコールである、
というのを思いついたなぁ。

「死の後は則ち生の前なり。
生の前は即ち死の後なり。
而て吾が性の性たる所為は、
恒に死生の外に在り、
吾れ何ぞ畏れん。」

投稿: ohiya | 2014年11月25日 (火) 05時46分

つまり、生にも死にも囚われる必要はない。そこには、常に変わらない命=意識が存在する。だから、外部性に囚われるよりも内部性(心)の状態を磨いていく・清めていくことのほうが大事である。そうしていけば、あとから外部性はついてくる。
(そのためには、圧倒的に不幸・不条理な外部性(ex.戦争)は絶対にあってはいけないのである。)

投稿: ohiya | 2014年11月25日 (火) 06時20分

うーん腎臓移植なんかしないで死を受け入れろということですね。私も心臓移植はどうかと思うし、どこかで死を受け入れる線引きは必要だと考えます。ただ腎臓が悪い人はたぶん透析を受けていて医療費は年間何百万円もかかる以上、腎臓移植も仕方がないと思います。議論が必要ではありますが腎臓移植を起点にするのは無理では。まさか透析も受けるなとは言えないでしょうし・・・

投稿: ゆも | 2014年11月25日 (火) 22時57分

@ゆも
これはあくまでも、本人の生命観、宇宙観、自然観次第ですけど、排泄機能の劣化は、だいたい、その生の終わりを意味しています。某国では、拉致した自国民の肉体を原料とする臓器輸出産業が成り立っているとか、おとろしや、おとろしや。

ベルカーブの右端には100数十歳まで生きる人たちがおり、左端には新生児死や胎児死があるわけです。自然とは、そういうもんです。

p.s.たまたま昨日、重篤の脳梗塞で倒れた義母に関し、今後人工呼吸器で植物人間として生かすか、それをしないか、の決断を迫られ、第一等親族らは、後者(==人工呼吸器を外す)を選んだ。臓器移植とはかなり違うけど、ご参考までに。

投稿: iwatani | 2014年11月26日 (水) 07時24分

 腎臓に限りませんが、死体から臓器を取り出して移植する今回の脳死臓器移植と、生きているひとの臓器を*或るしゅの贈与として*病者に移植するのとでは、別の扱いをすべきだと思います。
 後者はまさに、どちらにとっても
「生の終わりでも、死の始まりでもない」。
 前者とはは区別して語るべきでしょう。


投稿: 市川智 | 2014年11月26日 (水) 14時30分

end of the beginning . . . . ?

投稿: bun | 2014年11月30日 (日) 08時13分

さっき必死こいてsageのギターコピーした、あーしんど。グレックレイク曰く、クリムゾンはヨーリッパの伝統的音楽を基本に作ったから、作り易かったそうである。

投稿: bad | 2014年12月 3日 (水) 22時21分

訂正
ヨーリッパじゃなくヨーロッパでした。

投稿: bad | 2014年12月 3日 (水) 22時59分

小学校のとき、ハーモニカも縦笛も吹けなかった自分と比べると、異星人でありまする。

投稿: ohiya | 2014年12月 4日 (木) 00時06分

いまは、どやなん?

投稿: ぶん | 2014年12月 5日 (金) 15時44分

すまんかったのぉ、
もっぺんや、、
一人前に成人させてもぉた後の、、

今は

どうやねん?

投稿: ぶん | 2014年12月 5日 (金) 15時47分

わからん、だれになにをいっとるんけ。

投稿: ohiya | 2014年12月 5日 (金) 22時51分

あんたや、おひやはん、

成人して成長した今、

ハーモニカや縦笛、吹けるよぉならはったんか?

と、こう訊いてまんねや

投稿: ぶん | 2014年12月 6日 (土) 01時17分

あほか、成人した今なんで縦笛を吹く必要がある。よう、考えたらわかるやろ。そうか、考えられんか。かわいそうにのう。

くだらん、泥仕合になりそうやのう。やめとこ、やめとこ。さいなら。
それから、人のコメントのうしろにくっついて ちびちびいちびるのはやめときや。おとこならおおきく、わかるようにスカーンというてみいや。むりやろうけどな。

投稿: ohiya | 2014年12月 6日 (土) 04時47分

泥亀はん、なかなか云いはりまんなぁ、

こっちも相応の覚悟は、できてまんねんでぇ

投稿: ぶん | 2014年12月 6日 (土) 11時17分

あ、
のぉほのぼのレイクに限らずアバやノバやノボたちの器楽創造演奏能力を知るに至っては、確かに北欧に生息する人々が、まるで何処かの異星人種であるかのように感じられます。

そして、それに引き換えると、というか彼らが人類だと仮定するると、
我々は類人¥に過ぎないのではないかとすら思えてきます。

ohiya のように他者(ヒト)にケチをつけたり、ぶんさんのように凄んでみたりするのは下劣というか下等に思えます。

でも、我々にノーベル賞は授けられます。

投稿: 分 | 2014年12月 8日 (月) 20時18分

今度はbreadのifを必死こいてコピーした。何やあんな軟弱なと思うかもしれませんが、よーギターのフレーズ考えてあって、美しいpop musicですわ。

投稿: bad | 2014年12月23日 (火) 01時03分

なんちゃbread? ゆぅあ~るえれんかぁ

投稿: ぶん | 2014年12月24日 (水) 18時20分

ブライアンイーノがEL&Pはどうしようもないバンドだ、日本で受けてると悪口言ってるが、イーノの音楽の方がつまらんと思うぞ。

投稿: bad | 2015年1月 3日 (土) 16時16分

家の父親の場合も人口呼吸器をつけず死んでしまった。肺を悪くして一か月入院退院して、酸素吸入器を付けて生活一週間で逝ってしまった。下手に病院なんかにかかると良く無いのかもしれない。

投稿: bad | 2015年1月 3日 (土) 17時04分

@bad
> 酸素吸入器
うちの母親の場合も最期はそれだった。あれは、本人にとってつらいらしい。そのうちみんな、自分の死に方を自分で決めるようになるでしょう。私は家人に「胃瘻(いろう)はするな」と言ってある。治癒見込みのないとき、ああまでして生き延びたくはないね。

投稿: iwatani | 2015年1月 3日 (土) 18時00分

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