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2014年9月 1日 (月)

他者鈍感他者不在

●ロシアの属国でない西欧寄りの国を作ろうとしたとき、“東側の連中対策”はまったく頭になかったんだろうか? 彼らが、一体、どう出ると思っていたのか? お互い、話を原点に戻してはどうか?

●エイズやエボラなどの恐ろしいウィルスは、過去何百年、何千年、何万年、あのへんの人間社会にはなかったもんでしょう? ヨーロッパ各国による搾取的な植民地時代にすら、それはなかった。どうして急に、そうなってしまったのか? 原点に戻らないと、本当の対策はありえないのでは?

SFTSの問題も、上と似ている。

●イスラエル vs. 元から住んでた人たち。これも、話を原点に戻さないと、絶対解決しないのでは?

●おいおい、小惑星の破片とか塵とか、勝手に地球に持ち込んでもよいの? この問題は、遺伝子操作技術が持つヤバさと似ているかもしれない。

●先祖がせっかく、これより下に家建てるな、という石碑を随所に立てたり、「蛇落地悪谷」という恐ろしい地名をつけたりして警告してたんだろ。先祖無視の根拠は、なんやねん?

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コメント

当たり前ではありますが、その国の歴史や慣習、習慣がどうであったかという事を知らずして、例えば今回のクリミアの問題を語ることは間違いですね。
日本のメディアが報道する内容は
西側(というかアメリカ)よりのものばかり。
マレーシア機墜落だって本当にロシアがやったのであればもっと騒ぎ立てるはずなのに、どうもフェイドアウトしていきそうな感じがしてならないです。

「他者」は自分の都合の良い風に動いてくれるとは限らない訳だし、どこかのだれかさんが「自分の都合の良いように」その他者の事を語ったとしても、それは一側面だけの話であると肝に銘じて、なによりも自分で考え想像するチカラを持たなきゃダメだなと思います。

変な権力に騙されることだけにはなりませんように・・

投稿: musataro | 2014年9月 2日 (火) 07時34分

ソ連崩壊後の体制→ヤルタ体制→ヴェルサイユ体制→…と、どこまで遡れば「原点」かが難問です。極論を言えば、南北米大陸やオーストラリアを先住民に返還することが今後も事実上ありえないとすれば、イスラエルも「俺達だって…」と譲らないことになります。

一種のヤラセかと思いますが、アフリカ先住民の人が半裸に近い伝統的な戦士の衣装でiPhoneを持って微笑んでいる写真を見たことがあります。iwataniさんが「貨幣経済の全面的浸透」と呼ぶここ数十年の変化はまた情報化の浸透でもあり、一方的な搾取の対象だった植民地時代より一層根源的な共同体の解体を招いていることは想像に難くありません。「あの森に入ってはいけねえ」的な先祖の教えは、情報化の進行の中では実証的根拠のないものに見え、力を失うわけです。

投稿: iris60 | 2014年9月 2日 (火) 11時35分

最近ロクなニュースしか無いねえ。どうなってるんだろう。

投稿: bad | 2014年9月 3日 (水) 06時03分

我が家では牝の猫を飼っている。名をチョンと言う。そのチョンが、発情期を迎えている。チョンは去勢(?)手術を受けていない。体にメスを入れるのが可哀想だという、家族の意見だ。おまけに昔よく家の前で猫が車にひかれた話をしたせいで、完璧な家猫としての生活を送っている。可哀想にと思う。5日ほどでアノうめき声は収まるのであるが、その間「アオー、アオーー、」と苦しそうである。
それでも、無理やり去性(?)して本能を奪い去るのも、その時以外の自然な状態も剥奪するのもどうかと思う。性欲以外の感情までフヌケ化するのではと思う。それに又、自然なら性交して子猫を産み育てる本来の喜びも、取っちゃってるわけだ。いいのだろうか。

どうにも他者との関わりとは、特に縁遠い地球の反対側で暮らしている人たちなんかには、心の奥底にはチョンに対するように少しでも、「大丈夫なんだろうか」というビビリと「それでも良い関係でありますように」という願いがあったほうが良いと思うのである。

投稿: ohiya | 2014年9月 4日 (木) 05時52分

{変更}ビビリ→心配。

投稿: ohiya | 2014年9月 4日 (木) 05時59分

自由には無限の責任が伴わなければならない。

だから人間に自由の行使は不可能。
人間に自由は無い。

「不自由の幸福」というものもあるのでは?。

投稿: 南 | 2014年9月 5日 (金) 08時38分

@南
最近hiwa氏がフェリー論、”これ以外のものはない”で書いていたことを思い出すと、「あらゆるものが相関関係なしに、自由」ということになります。万物流転。それこそが存在の有り様であると。それと対極にある「不自由が故の幸福」。
アッシはこう考えるん。人間ある事柄について両極端の意見を知っていることは、重要なことである。それを知っているから、中庸(自由)を持つことができる。また、両極端を知っていることから広い視野の中で、おおらかになれる、認めることのできる人間になれるのではないかと。ただのチャランポランでは、ありませんように。

投稿: ohiya | 2014年9月 6日 (土) 02時57分

[追記] 「不自由が故の幸福」=「やりがいのあることに、身を捧げる幸福」でわ?
ちょっとお暇します。

投稿: ohiya | 2014年9月 6日 (土) 03時11分

 他者〈へ〉の想像力がそもそも無い、ということでしょう。

 他者を、実感どころか予感すらできないときが、いちばん怖いんですけれどね。

投稿: 市川智 | 2014年9月11日 (木) 16時52分

今の世の中「情報」ってぇのが大事なんだろうけれども、各々が発する言語は「新しく」出てきている訳ではなく、その地の風習や伝統・・いわば過去の、、ご先祖が築いてきたものから発せられているものでしょう(うまく表現できなくてすいません)。「国」というのは、何も今生きている人だけではなく過去の先祖達(伝統といってもいいのかな)も含めて「国」なのであって、現代人はどうもその辺をないがしろにしてしまう。だから、、「不自然」なことばかりするから、変なウイルスが発生したり・・訳の解らん事件が発生するんじゃないのでしょうか?
私はご先祖の教えとか・・「ことわざ」とか結構盲目的に信じちゃうなぁ。

投稿: musataro | 2014年9月12日 (金) 07時32分

@musataro
ありとあらゆる文脈において、「伝統」こそが最も検討を要する概念(尊重するにせよ反発するにせよ)であることは確かだと思います。

それにしても…
例えば居酒屋に数人連れの客が入ってきたとして、最近は席についた瞬間から全員スマホのスクロールを始めます。時折、「あいつ、今日は来れないってさ」「ああ、そうみたいだね」といった言葉をかわすほかは黙々とスマホいじりです。ことさらヘッドホンなどしていなくても、意識はその場にない(笑)。

昔なら炉部に集まって長老の昔話など聞いたであろう座談の場でも、今はきっと全員がスマホすりすりなのかもしれませんね。

「妖怪ウォッチ」第16話で、コマじろうがスマホを投げ捨てるシーンは、ちょっと感動的ですた。

投稿: iris60 | 2014年9月12日 (金) 11時49分

岩谷さんとこも似てるみたいですよ。
いや、ちょっと違うのかな(笑)
まあテレパシーみたいなもんで、口開くのが
どんどんおっくうなのは確か、です。
http://bit.ly/1lK1yXI

投稿: S-D | 2014年9月12日 (金) 12時38分

@iris60
新しく出てきた事や物を決して否定しているわけでは
ないのですが、歴史から学ぶことは必要ですよね。

投稿: musataro | 2014年9月12日 (金) 14時24分

しかし父親の一周忌だったが、食事の席でのおっさん達の、延々続くアナクロな会話には、全く疲れ果ててしまった。

投稿: bad | 2014年9月14日 (日) 21時44分

@bad
大変でしたね…。
お疲れさまですた。

投稿: iris60 | 2014年9月14日 (日) 22時02分

サンキュー。

投稿: ohiya | 2014年9月14日 (日) 22時03分

恥ずかしいっ、大いなる勘違い。酔ってます。

投稿: ohiya | 2014年9月14日 (日) 22時09分

windows側でpcが急にシャットダウンし始めたため、システム復元で対処したらfirefoxお気に入り、thunderbirdメールアカウントが消えてしまい、その復元にちょっと手間取ってしまった。

投稿: bad | 2014年9月15日 (月) 10時09分

でもうひとつ、現実を必然性や偶然性すなわち様相論的に見た場合と認識論的に見た場合と、現実が全く違うという事を柄谷行人が指摘してたな。

投稿: bad | 2014年9月15日 (月) 21時54分

@bad
(柄谷氏の発言の文脈が分りませんが)
両方のアプローチが必要かと思います。

投稿: iris60 | 2014年9月16日 (火) 05時44分

フォローありがとうございます。

投稿: bad | 2014年9月16日 (火) 09時10分

しかし重く苦しくうっとおしい事をやっている人に、アハハアホちゃうと、言ったら殺される可能性もあるからな、おーこわ。

投稿: bad | 2014年9月17日 (水) 17時12分

繰り言真一郎が言っているように、金沢ってほんと闇の町だね。

投稿: bad | 2014年9月23日 (火) 14時21分

@bad
I didn't hear about that. So I have no comments.

投稿: ohiya | 2014年9月24日 (水) 06時32分

理性が絶え間なく働いているから怪物がやってくるのだという事実すら共有されていないのではないか。

投稿: bad | 2014年9月25日 (木) 13時25分

たかだか人間の理性なんて、チッポケナモノデシカないのでは。なんてったって そのひとのモノサシでしかないような 気がするんだけど。バガボンドでもそうだけど、自分を捨てるのが良いのでは。

投稿: ohiya | 2014年9月26日 (金) 07時47分

広島の土砂災害もここら辺に家おっ立てても、なーに何もおきへんじゃろうと、何も考えずに家建てたんやろね。無神経な。

投稿: bad | 2014年9月26日 (金) 21時37分

何かohiya氏とbadのコメントが並んでいるが、やっぱ金沢人は何か言わないと気がすまないないのだろうか。ちゃうかな。

投稿: bad | 2014年9月26日 (金) 23時14分

しかし何て現実ってこう不毛なんじゃ。

投稿: bad | 2014年10月 7日 (火) 16時16分

高校時代、ムラの連中が沢山いて分かったのは、彼らは秩序から外れるものを有無も言わさず排除するのである。百姓は生かす殺さずなんて真っ赤なウソで国家と直結しているのだ。彼らは国家というものを全く疑っていない。まあ都市もムラも男の光景で何も変わらないのであるが。

投稿: bad | 2014年10月 8日 (水) 22時19分

自由なんてロクなもんじゃないが、今の日本て不自由すぎないか?

投稿: bad | 2014年10月 9日 (木) 11時32分

あらゆる思想の中でキリスト教という思想?にだけ他己論がある、とiwatani
さんが言っていたが、それがいまだに分からない。どーゆー事なんだろ。

投稿: bad | 2014年10月17日 (金) 00時12分

自己弁明論なら知ってはいますが、、、

投稿: 分 | 2014年10月18日 (土) 01時16分

自己弁明論なら知ってはいますが、、、

投稿: 分 | 2014年10月18日 (土) 01時20分

不自由のが、

楽やで

やめとき、やめとき

蛸思想なら、瀬戸内や

明石

取材しぃや

投稿: ぶん | 2014年10月18日 (土) 01時24分

受け売りだが、自由意思なんて存在せず、みんな台本の筋書き通り、奴隷なんだそうだ。

投稿: bad | 2014年11月29日 (土) 04時38分

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