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2014年9月30日 (火)

コミュニケーション学の未来

私がこのブログや、その前身であるエッセイ集で展開しているコミュニケーション学ないしコミュニケーション理論の、もっとも中核的な概念は、(今のコミュニケーション不能人類の最大の特徴として):

★他者不在

である、また、とくに人間間(かん)における他者不在==他者疎外の最大のものが

★貨幣経済の一般化

である、後者は間接的には多くの場合、自然に対する他者不在、他者疎外を伴う。

☆貨幣を、今のようにtaken-for-granted、あって当たり前のもの、と遇するのではなく、「貨幣をコミュニケーションのイシューとして見る」視座が、きわめて重要である。

それで、大地震大津波原発事故と、広島の山地の宅地開発土石流被害と、すでに火山性地震のあった御嶽山噴火へ150人登山の三者は、自然を他者として遇さず、わがものにしていた罰として共通している。御嶽山は、山頂に宗教施設があることが、「わがもの化」を象徴している。

だいたいそもそも、貨幣動機が伴うと、自然の他者疎外が行われがちである。

「環境」はどうやらメジャーな問題意識となりつつあるが、「コミュニケーション」はいつごろ、そうなるのか。コミュニケーション学の未来は、実に、危うい。

※「他者不在」については、動物園の例が、いちばん分かりやすいかもしれません。もひとつ、露骨に分かりやすいのが、“言語警察”ないし“言語神”…自分の言語観/感を絶対視して、それと合わない他人の語用や表現を非難・批判する人。この他者不在人種は、なぜか今の若い世代にもけっこういます。自分と違う他者の存在を、認めない人。

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2014年9月 1日 (月)

他者鈍感他者不在

●ロシアの属国でない西欧寄りの国を作ろうとしたとき、“東側の連中対策”はまったく頭になかったんだろうか? 彼らが、一体、どう出ると思っていたのか? お互い、話を原点に戻してはどうか?

●エイズやエボラなどの恐ろしいウィルスは、過去何百年、何千年、何万年、あのへんの人間社会にはなかったもんでしょう? ヨーロッパ各国による搾取的な植民地時代にすら、それはなかった。どうして急に、そうなってしまったのか? 原点に戻らないと、本当の対策はありえないのでは?

SFTSの問題も、上と似ている。

●イスラエル vs. 元から住んでた人たち。これも、話を原点に戻さないと、絶対解決しないのでは?

●おいおい、小惑星の破片とか塵とか、勝手に地球に持ち込んでもよいの? この問題は、遺伝子操作技術が持つヤバさと似ているかもしれない。

●先祖がせっかく、これより下に家建てるな、という石碑を随所に立てたり、「蛇落地悪谷」という恐ろしい地名をつけたりして警告してたんだろ。先祖無視の根拠は、なんやねん?

 

 

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