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2014年8月25日 (月)

平和憲法の世界的規範化と世界司法

犯罪行為の現場がYouTubeビデオなどで公開されるのはおぞましいことであり、その犯罪が殺人であればおぞましさは極限まで増幅される。殺人の手段が斬首であれば、視覚的オブジェクトとしておぞましさのレベルは高い。でも斬首は、日本でも西欧でも、ついこないだまで行われていた慣行であるので、我慢して見ざるをえない部分はある(アーネスト・サトウの滞日日誌には切腹+介錯のキモチワルイシーンがキモチワルク描写されている)。

そこで言いたいのは、戦争はあかんけど、国際司法〜世界司法と、法の執行機関(law enforcement)の一環としてきわめて重要な世界警察は必要なことである。世界警察はつねに最高の装備と能力を持ち、なんも悪いことをしてないアメリカ人カメラマンを殺害した犯罪者集団を全員迅速に拘束しなければならない。そもそも殺害した意図(ねらい)すら完全に非現実的(==実現しない)なのだから、世の一般の犯罪者と同じく、彼らもまたその本質は「バカ」である。そのひとりよがり〜自己満足的な行為は、世界中に怒りをかきたて、彼らの味方を減らすことにしか、貢献しない。

個人にしろ集団にしろ、自己の欲望を暴力によって実現しようとする行為は、すべて、世界法に照らして犯罪とする。ウクライナ東部独立という欲望も、その武力的部分は世界警察によって迅速に鎮圧しなければならない(↓下記により、ウクライナ正規軍というものはそのとき存在しない)。案件(東部ウクライナ独立)そのものは、世界司法にゆだねるべきものである。

というわけで、平和憲法不戦憲法一国非軍備憲法が世界の規範(ノルム)となり、世界的犯罪は世界警察によって迅速効果的に抑止されなければならない。そして警察官が犯罪者にたまたま殺られることは、残念ながら、これまでもあったように、これからもあるだろう。それは戦死ではなく、公務殉職死である。

※: そもそも、“戦争”という概念下に置いてしまうと、相手に正当性を与えたようなイメージになってしまう。しかし、「犯罪者と」「戦争する」ことはありえない。だから今回のような例では、軍を、犯罪者抑止活動を行う警察のツールと位置づける概念が必要である。

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2014年8月 4日 (月)

不戦憲法の入手値段(ルビ: コスト)

日本の平和憲法(不戦憲法)は、全世界史上、全人類史上、初めての、重かつ大なる、抜本的な転換点であるため、これから大きくなっていくための努力をしなければならない新生成の宝石の、初期的、小さな核のようなものである。遺棄はもちろん、粗略に扱うことも許されない。今後とも、渾身の運用努力、実装努力が必要である。

しかもこの平和/不戦憲法は、ものすごくエクスペンシヴである。決して日本人だけに言及してはならないが、とりあえず身近に日本人だけを見ても、数が多くて目立つのはもちろん、広島原爆、長崎原爆、東京大空襲などだが、もっともっとあちこちで、多くの日本人一般市民がものすごい、悲惨なめに遭っている。

兵隊も、粗暴乱暴劣悪無責任無能な軍上層部のおかげで、大量の無意味な死と苦しみを経験している。もう負けの決まった戦争に、それを継続するという大愚。そして、救援救護部隊はおろか、ロジスティクスのロの字もない最悪の戦線に放棄された彼ら。果ては、特攻隊、回天魚雷というむちゃくちゃ無意味な残酷。ことほどかように、劣悪すぎる上層部。

くだらない紆余曲折の挙句やっと東電元幹部の訴追は“できる”ことになったらしいが、今からでも遅くはないから、なるべく多くの日本人有志により、当時の軍と政府の責任者全員を(そのほとんどが今では生きていなくてもよいから)、訴追すべきである。それが実は、いちばんかんじんなことではなかったのか。それも、平和憲法実装努力の一環だろう。

で、世界史の宝であり、ものすごい膨大な代価を払って獲得した平和憲法を、足蹴にするような振る舞いは、絶対に許せない。それは広島で亡くなった人たちの魂を、道路の砂利かなにかのように、土足で踏んづけながら歩くに等しい。そういう無礼は、絶対に許せない。とくに今の総理は、あまりにも愚かすぎる。人間として、そして政治家としての、賞(め)でるに足る中身がなさすぎる。ポジティブなものが、なーんにもない。

犯罪にならずに、今の愚かな、膨大な魂のコストに対して無礼無神経な連中を抑止する方法があれば、とっくにやっているだろう。全人類史の宝に対して、豚に真珠の豚たち。真珠が真珠であることを理解出来ない豚である彼らに、今彼らに踏みにじられようとしている魂たちから、巨罰が下ることを期待したい。

追記: ここで、コミュニケーション学という、世界史上初の学が成り立たんとしているのも、その基盤に世界史上初の不戦憲法があるからこそである。それだけ重要な学基盤を、足蹴にすることもまた、許されない。

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