平和憲法の世界的規範化と世界司法
犯罪行為の現場がYouTubeビデオなどで公開されるのはおぞましいことであり、その犯罪が殺人であればおぞましさは極限まで増幅される。殺人の手段が斬首であれば、視覚的オブジェクトとしておぞましさのレベルは高い。でも斬首は、日本でも西欧でも、ついこないだまで行われていた慣行であるので、我慢して見ざるをえない部分はある(アーネスト・サトウの滞日日誌には切腹+介錯のキモチワルイシーンがキモチワルク描写されている)。
そこで言いたいのは、戦争はあかんけど、国際司法〜世界司法と、法の執行機関(law enforcement)の一環としてきわめて重要な世界警察は必要なことである。世界警察はつねに最高の装備と能力を持ち、なんも悪いことをしてないアメリカ人カメラマンを殺害した犯罪者集団を全員迅速に拘束しなければならない。そもそも殺害した意図(ねらい)すら完全に非現実的(==実現しない)なのだから、世の一般の犯罪者と同じく、彼らもまたその本質は「バカ」である。そのひとりよがり〜自己満足的な行為は、世界中に怒りをかきたて、彼らの味方を減らすことにしか、貢献しない。
個人にしろ集団にしろ、自己の欲望を暴力によって実現しようとする行為は、すべて、世界法に照らして犯罪とする。ウクライナ東部独立という欲望も、その武力的部分は世界警察によって迅速に鎮圧しなければならない(↓下記により、ウクライナ正規軍というものはそのとき存在しない)。案件(東部ウクライナ独立)そのものは、世界司法にゆだねるべきものである。
というわけで、平和憲法不戦憲法一国非軍備憲法が世界の規範(ノルム)となり、世界的犯罪は世界警察によって迅速効果的に抑止されなければならない。そして警察官が犯罪者にたまたま殺られることは、残念ながら、これまでもあったように、これからもあるだろう。それは戦死ではなく、公務殉職死である。
※: そもそも、“戦争”という概念下に置いてしまうと、相手に正当性を与えたようなイメージになってしまう。しかし、「犯罪者と」「戦争する」ことはありえない。だから今回のような例では、軍を、犯罪者抑止活動を行う警察のツールと位置づける概念が必要である。
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