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2014年7月27日 (日)

ゆとりと他者

猫の喧嘩をやめさせようとして、攻撃側の猫を抱き上げた瞬間、牙で手のひらをグサリとやられたのが、17日の木曜日の昼間だ。翌日、腫れと痛みがひどいのでお医者へ行き、休診日以外は毎日通院、やっと包帯が取れたのが25日の金曜日だ。通院も、その日で終わり。あとはアクロマイシン軟膏とカットバンで、毎日自分で処理。

犯人の猫は、2011年の春に保護し、このブログにも養育過程をつぶさに書いたプリコちゃんだ。ふだんは決してお馬鹿な猫ではないが、ファイトで興奮しパニクっているときは、他者観を完全に喪失している。

人間の戦争でも、自軍の兵や一般市民の誤射はよくあるらしい。猟師たちも、今自分たちは鹿狩り、猪狩りをしているのだ、と思えば、「金槌を持てば何でも釘に見える」、向こうの木陰でがさっと動いたものを、射ってしまう。それは、仲間の猟師だった。キノコ狩りに来ている老人だった。

欲望と対象が密着していて距離と視界がないとき、他者は完全に忘却される。地震津波常襲地帯の海っぺたに、平気で脆弱な構造の原発を建ててしまう。

あそこに「ユダヤ人の国」を作ろうとしたとき、あそこの土地そのものや、そこに前から暮らしている人たちのことは、最初から完全に忘却されていたのだ。しかも、世紀が変わっても、まだ、必要な「癒やし」ではなく「傷作り」の過程が続いているとは…。

人間は、とくにオトコは、喧嘩中の猫ほどに、大アホである。


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コメント

釈迦に説法でしょうが、猫の噛み傷はある意味犬のそれより危険だそうです。
http://m.jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304775004579392312936379756
お大事に!

投稿: iris60 | 2014年7月27日 (日) 15時28分

@iris60
どうもです。犬や猫の保護活動は20年あまりやっていますが、平均して2〜3年に一度は噛まれる事件があります。紹介いただいたWSJの記事は、よくあるネガティブ扇動記事で、本当はどっちが危険ということはなく、人に噛まれても噛み傷は一般的に危険です。牙の傷は深いので治療に時間がかかりますが、この記事に書かれているのはアメリカのぼったくり医療の典型で、しかもそれに対する批判性がない。医療技術的にも古い。アメリカでは金持ちしか病気も怪我も出産もできない、と言われる。いつもお世話になる町医者の先生ににこの記事を見せたら、あきれけーるでしょうね。

投稿: iwatani | 2014年7月27日 (日) 19時14分

なるほど。人間は何万年も動物に噛まれ続けて来たのに、近頃急に入院が必要になったというのは確かに妙ですね。
ともあれお大事に!

投稿: iris60 | 2014年7月27日 (日) 19時56分

いろんなexampleが考えられるトピックでした。
1、欲望(原発村の維持)と対象(原発再稼働)が密着していて距離と視界がないとき、他者(危険・不安)は完全に忘却(無きものに)される。
2、戦争時戦場においては、「恐怖と対象が密着していて・・・、」となるのだと思う。だから、殺るか殺られるかの極限状態を生み出す戦争は、一兵卒にとって絶対の不幸である。(しかし今では無人殺人兵器なんて便利なものが発明されて、操縦者はエアコンの効いた部屋で仕事のようにゲームのように戦争を遂行できるらしい。初期の永井豪の狂気の世界である。)
3、私が前に書いた、ミスによる貨幣的不安恐怖も、他者(被害の)忘却を発生させる。
4、到着の迫られている時の、自動車の運転もそうである。
5、etc,etc.


投稿: ohiya | 2014年7月28日 (月) 02時29分

かつての岩谷さんの名言
「抑制は欲望である」
というのはこのような場合にも適用されるのではないでしょうか。

投稿: 南 | 2014年7月28日 (月) 07時54分

すでに人間の中に、人間である事の抑止が始まっているとiwataniさんは言っていてましたよね。

投稿: bad | 2014年7月28日 (月) 22時55分

ぬこは、なりは小さくとも「猛獣の末裔」だからねー。ご用心を。
「ニンゲンのオトコ」
これは、生物的に突然変異種である「ニンゲン」である上に武器を持ってるからねー。「キチガ●に刃物」だよねー。
おお、怖っ!
そのことに気付いたあたしは、自転車以外の武器はもってないよ。
え?のうさぎまるこは男でも女でもないよ!

投稿: のうさぎまるこ | 2014年7月29日 (火) 21時18分

@南
解説になるかわかりませんが。調べましたよ。「ポップ宣言」。私のiwatani歴は高2~22才ぐらいまででしたから。
「ポップ宣言」P149,抑制。”真の欲望とは抑制である。抑制が真の欲望である。”
無自覚な垂れ流しの欲望とは、真の欲望ではない。真の欲望とは、己の身を屈し小さくし、他・異とのスペースをつくる欲望でなければならない。スペースを埋め尽くす欲望ではなく、スペースを保持し楽しむ欲望(コミュニケーション欲求)でなくてはならない。
さて、上の文脈で言えば、欲望を抑制することで、他者とのスペースが顕在化する、ということでしょうか。原発推進を抑制(我慢)することで、環境保全、健康保全が進められる。周りとのバランスを重視することで、他者との調和を図ることができる。無自覚なだらしない欲望を垂れ流すことは、両者のコミュニケーションにとっては障害である。という感じでしょうか。

投稿: ohiya | 2014年7月29日 (火) 22時03分

[追伸]
無自覚な欲望とは、「ありのままの欲望」と言えるのではないか。そう、あの ”ありのーままで~” である。あの映画はもしかして、もの凄く低級で俗悪な映画ではないのか。(知らない)

投稿: ohiya | 2014年7月29日 (火) 22時16分

人間どうしでも距離があまりにも短いと、ピントが合わなくなって、お互い
が見えなくなると思いますが。

投稿: bad | 2014年8月 1日 (金) 22時18分

当時のロキノンで、橘川さんだったか、「私とあなたの間にある、第三者的なもの」てな感じの原稿を書いていた。ある程度の緊張感を持って、それを楽しみたいよねぇ。なんか、昔の同窓会みたいっすよね。(俺だけ?)また、留守にします。

投稿: ohiya | 2014年8月 1日 (金) 23時50分

長崎の事件だけど、あれだけ予兆前兆があったのに、周りわなにしとんたんじゃ。

投稿: bad | 2014年8月 6日 (水) 15時20分

訂正 周りはでした。

投稿: bad | 2014年8月 6日 (水) 22時29分

記事とは全く関係ないですけど、衝撃の画像発見。63歳の渋谷氏。「社長はつらいよ」のブログでフジロックだかにレインスーツ着用を進める勇姿を掲載。確かに衝撃and笑劇。偉いなー、こうやってサバイブしてきたんだ。だけど、俺持っていましたよ。キングクリムゾンのライブブートレッグを紹介した放送のカセット。(カセットの言葉もなつかしー) あれから35年くらいたっているのか~。だけど自分をギャグにできるのは偉い!(ギャグじゃなかったりして。)

投稿: ohiya | 2014年8月10日 (日) 05時35分

そうでしたか、あ、なつかしや

彼 reminds me Led Zeppelin, Paris, Earth, wind and fire, etc.

投稿: bun | 2014年8月11日 (月) 00時08分

and Alice Cooper stil have not

投稿: bun | 2014年8月11日 (月) 00時20分

渋谷陽一の影響で、アースやステービーのコピー(guiter,vokal)を必死こいてやっていたが、なまじ黒人音楽のマネをすると黒人音楽以外は音楽じゃねーみたいに一時はなってしまい、他の音楽は聞けなくなってしまった。まあ彼らは僕とは全然格が違うからなあ。

投稿: bad | 2014年9月13日 (土) 01時14分

訂正 vokalではなくてvocalです

投稿: bad | 2014年9月13日 (土) 01時41分

でもうひとつ呉智英botにあるが、狂人とは理性がない人ではなく、理性しかない人だと。

投稿: bad | 2014年9月17日 (水) 06時22分

「ゆとりと他者」
@musatarou
先人の残した諺で、今自分が気に入っているもの。「笑う門には、福きたる。sun」である。笑うと、ゆとりができる。すると自分と他者との距離が感じられる。自分と他者とを分けやすくしてくれる。つまり、ある程度自由に動けるのである。気が楽になる。幸せになる。ということで、笑うというのは、大変重要なことである。E,W&FもOn Your Face(SPIRIT)で歌っていたよなぁー。 バガボンドでも偉いじいちゃんが「わらえcat」といってたよなー。

投稿: ohiya | 2014年9月17日 (水) 07時06分

高校の頃ギターでdeep purple,elp,zeppelin,jeff beckをコピーさせらたが、なぜ嫌だったかというと、これは何か僕の感覚と違うと思ったからである。

投稿: bad | 2014年9月18日 (木) 16時58分

@bad
そう、リズムギターっていいっすよねー。自分が好きなfusion、funkなんてのもcuttingギターだけを聞きたかっただけのような気がします。PARISのBig TownとかNew Orleansとかも良かったよねー。Gang Of Fourの1stもね。

投稿: ohiya | 2014年9月18日 (木) 21時41分

デイケアに通っていた頃rockよりEW&Fの音楽かけた方が老若男女、受け良かったが何でやろ。しかしこう毎日漂流してる様な生活が嫌になってきた、、、。

投稿: bad | 2014年10月 3日 (金) 20時11分

また週末に出張があるみたいなので、書けるうちに書いてみよう。
「ゆとり」とは何ぞや、ということである。ゆとりとは、瑣末な事にはどうでもいいと思えることである。いちいち自分と相手の關係において、神経質に事細かくグチャグチャとあーだ、こーだ、(あーでないか、こーでないか)と考えなくてすむことである。考えたってどーしょうもないこと、正解の出ないこと、かってなくだらん一人相撲でしかないことに、かかずらわないで済むことである。
そー、まったく掴みようもないこと(相手の心)には、必要以上にかかわる必要はないと悟ることです。だから、断ち切られていると認識したほうが生きやすい。そして、断ち切られた者同士が、関係を一時的に(生きている間)持っていくのである。それすらも死ぬときには、どうしようもなく断ち切られていくのである。
まぁ、こんなふうに認識できるということが、自由になれるbleah、ということじゃないだろうか。

投稿: ohiya | 2014年10月15日 (水) 20時33分

penguin「わらいの効用」
わらいというか、笑顔はすごい!!これはエライもんである。なにがエライか。人が寄ってくる。自分も最初は無理やりの笑顔であった。顔に力を入れての作り笑いである。しかい、何回もやるうちに、これが板につくというか。催事の晩飯時にこれを会社の上司に、かましたのである。「なんじゃお前、気持ち悪いな。漫画のこまわり君みたいな顔して笑って。」と言ったが、今では自分と友達っぽくなってしまった。このように屈託のない笑顔は人との関係を、溶解させてくれる力があるのである。めでたい、めでたい。smile happy01 bleah chick

投稿: ohiya | 2014年10月25日 (土) 05時48分

デイケアにも色々だろうが、僕が行った所は、非常に排他的でしまいに元山口組のおっさんに出てけーとまで言われたな。しかしあんな?所は個性的というか変わり物が多くこれまた難しいのである。

投稿: bad | 2014年10月27日 (月) 00時33分

なるほど、さもありなん、というかそんなところの方が多いのかもしれませんね。だけどOn Your Face(E,W&F)で乗り越えて欲しいね。そうであれば、いい縁にも巡り会えるんじゃないかな。up

投稿: ohiya | 2014年10月27日 (月) 01時06分

しかし中央大学の頃だが、多摩動の駅出てニコニコしてたら、千葉出身のKがbad
よー何がおかしんだよおーと言われてしまった、Kはがさつな奴で大嫌いだったが
東京弁というか関東弁の、あのよーほんでよー何やってんだよーおめーよー知らねーよーという色気もくそも無いのにはうんざりした。京都弁からは考えられん色気のなさなのである。

投稿: bad | 2014年10月27日 (月) 17時34分

「あせりと他者」
本当にあせっている時、人は、あせっていることを自覚できない。ただただ「早くしなくては」と思うばかりである。そこで、だから大きなミスを犯してしまう。あせっている時は、「今、自分はあせっているんだな」と対象化しよう。そうして「急いでいる時ほど、慎重に。そうでないと、なお大きなミスをやってしまうぞ」と自戒すべきである。

「あせっている時、人はあせっていることを自覚できない。」肝に命じたい。「あせっている時には、あせらない。なお大きな痛恨の時間を取られるから。」(この場合、他者とはミスのことである。)

投稿: ohiya | 2014年12月18日 (木) 04時58分

the other one another side alternated ?

投稿: bun | 2014年12月18日 (木) 07時44分

「高校教師と子猫」
さぞ氏に於かれましては、怒りと悲痛と呆れ返りが爆発しているかと存じます。あの教師も、ああいう事態が発生しなければ普通に職務をこなしていたんだろうと思う。(心底にああいう心を持っていたとしても。)詳しいことは知り得ないが、やはり今、人は「心にゆとり」を持てないのではないでしょうか。それで冷静な判断ができない。知恵の行動ができない。ゆとりを持てる社会ではない。
でも、もし俺だったとしても4匹の子猫を車に乗せて、山の林の中に捨ててきたかもしれない。昔の俺の家はどうだったんだろう。はっきり憶えてないが、たぶん一匹だけ残して捨ててきたんだろう。(猫を飼った事は何回もなかったと思うが。)
やはりこういうケアは行政がするべきでしょう。行政がもっとアピールすべきでしょう。そして飼い主に無責任な飼い方は、厳に慎むように指導して。etc.etc.

投稿: ohiya | 2015年3月25日 (水) 01時25分

「副操縦士と墜落機乗客者たち」
ローコスト航空会社のパイロットたちも
劣悪・過酷な環境条件で操縦桿を握っているらしい。
アホリズムです。   

投稿: ohiya | 2015年4月 7日 (火) 04時14分

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