日本社会女性軽視の起源
この記事は、記事中の作品がアートであることを感じられない、理解できない人びとのあいだで無駄に読まれているようなので、ここに再掲(リンクのみ)しておく。
アートとは、みんなが目の前に幕がある、壁があると思っていたものを切り開いて、新しい世界や価値観を見せてくれるものだ。
日本はいわゆる先進国中、女性の社会進出が最低と言われる。今のバカ総理の政権が、人為的に操作しても無意味である。オトコが変わらなければ。
そもそも、各地の神社などで、男性性器は豊穣の、あるいは豊作の、シンボルとして尊ばれる。しかしそれは、big lieである。言うまでもなく真の豊穣のシンボルは女性性器でなければならない。理由は、子どもでも分かるだろう。
しかも、男性性器の醜悪滑稽に対して、女性性器は、外見的には「ふつうのもの」でしかない。言い換えるとそれは、意図的に何かしないかぎり、わいせつ物にはなりえない。だから、そのわいせつ視も、(アホなオトコたちによる)差別の一種である。
女性性器を(不必要に)隠蔽しようとする根性に、ヒンズーやイスラムのそれにも似た女性蔑視の根源がある。滑稽で悲惨な、オトコの光景である。
big lieを覆す努力が、逮捕された作者の非力で終ることなく、大きく拡大することを期待したい。何千人もの女性たちによる、白昼の銀座通り、おまんこパレードはどうだろう?
●作者のインタビュー記事。まあ、現代の小野洋子といえそう。
●関連報道。
●2012年のインタビュー記事。
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コメント
人生最大の肩すかしが「女性器を初めて見た瞬間」です。
どんなに猥褻なものが見られるのかと想っていたが感想は
「特になにもない」だった。
投稿: 南 | 2014年7月17日 (木) 08時04分
大昔は、生きていくのが困難な時代だったから、男の武力というものが貴重だったんでしょう。でもこれから目指すべきコミュニケ有能社会は、どうも女性の能力の方が優位に立つべき社会のように思われる。
武力を必要なしとされた男は、何によって社会に貢献すべきでしょうか。私には男の主な貢献は、女性への積極的なサポートではないかと思える。女性優位(本位ではない)の、社会になれば、それはそれで女性にストレスがかかるだろう。それを助けるのが、主な男の務めじゃないだろうか。
そのためには、女性もその狭量性というのを脱皮して、「うちわ」と同等に「社会」と言う事を意識する人になって欲しいと思うのである。
投稿: ohiya | 2014年7月18日 (金) 22時32分
集団的自衛権、戦争欲とは、威厳を奪われたオトコの悪あがきかも。優位に立ちたいという。ちゃんちゃん。
投稿: ohiya | 2014年7月20日 (日) 11時23分
八が十(8=10)「はちがとう」
注釈)ありがとう、あんがとう、ありがたや、i really got you, etc. 等々に類す挨拶語、若しくは声掛けするための掛け声としての発語の一が「はちがとう」である。
2/2 んぶんぶんぶ
んぶんぶんぶ
3/4 八が十
ぶんぶんぶん休
はちがと
ぶんぶんぶん休
4/4 おいどのまわりで
めはなも咲いたよ
4/4 おけつのまわりで
おはなも咲いたよ
4/4 おのこのまわりで
ほめこも泣いたよ
4/4 おなこのまわりで
ぎょちんも啼いたよ
3/4 ぶんぶんぶん休
6/8 はちがとぶんぶんぶん
注釈) ぎょちんとは、仏語でギロチンを指す。
投稿: ブン | 2014年11月10日 (月) 02時42分