プログラミングの主流はこんなに変わった
この記事は、プログラミングに多少なりとも関心・関わりのある人に一読をおすすめしたい。私が読んでも、かなり、うなずける点が多い。
やっぱ、今は、子どもなど完全なプログラミング初心者のプログラミング入門は、HTML5→CSS3→JavaScriptが入り口、と言わざるをえないんだろうな。すぐ動かして見れる、という点では昔のBASICインタープリタ以上に、好都合かもしれない。
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やっぱ、今は、子どもなど完全なプログラミング初心者のプログラミング入門は、HTML5→CSS3→JavaScriptが入り口、と言わざるをえないんだろうな。すぐ動かして見れる、という点では昔のBASICインタープリタ以上に、好都合かもしれない。
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“【中国軍機が異常接近】 日中の緊張、さらに激化”
ばっかじゃなかろーか。権利が重複しているスペースは、日常、お互い、どうやって使うんだよ。子どもでも、知ってることずらよ。
それともニッポンのオトコ政治家どもは、性欲ならぬ戦争欲が、たまりにたまって爆発寸前なのか。そんなに、“やりたい”のか。あの、戦争準備的なことばっかりアジェンダに載せまくっているバカ総理は、まさにそんな感じだが。
最近(21世紀にもなって!)やっと“結審した”(???)らしきドミニカ農業移民(“棄民”)問題も、最初に必要なコミュニケーションをちゃんとやってれば、あんなひどい悲惨は完全に防げたはず。農林省の、農業のノの字もわからんお役人が、儀礼的な現地視察と現地政権当局との“儀礼的な会談”(にこやかな会談、というやつ)だけやって、条件をオフィシャルに煮詰めることもいっさいなく、移民たちを送り込んだのだろう。
今度は英語とプログラミング(〜コンピュータ科学)を小学校から教えるという話になるらしいが、コミュニケーション意欲とコミュニケーション能力がデフォルトの教養になってない人間に、いくら新しい「ことば」を教えたって、有意義な実りは何一つありませんぜ。この予言は、100%当たりますぞ。
プログラミングの強制的義務的学習が、どんな不毛な結果をもたらすか。今やアメリカにも、こんな愚かしい例があるんだな。プログラミングとは、手作りの“工作”と、それに付随するいろんな“コミュニケーション”を楽しむことなんだ。この点を抜かしたプログラミング教育、コンピュータ教育は、すべて無意味である。子どもの心に、何も定着しない。
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この記事は、夫婦揃って殺人容疑で逮捕され、猫だけが約20匹、数週間放置されていた家から、猫たちを保護したというニュースだ。保護した人たちは、
・グループである(5人)。
・法人化(NPO)している。
・若い(30〜40代主婦)。
・イナカではない、都市部である(東京都練馬区)。
どうもこれらは、うちの現状の真逆だ。どーもいかん。うちなんか、ヘタすると、人は寿命尽き、犬たち猫たちが放置されて餓死するかもしらん。そうなる前に、めでたく、預け先が見つかるかもしらん。しかしイナカで、まわりは理解のない連中ばかりだから、条件と環境は良くない。
最悪のことにはならないだろう、と期待するのみ、である。
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この本、まだ読んでないし、最近はじっくり本を読んでるひまもないのだけど(一万円を破れるかも中古で550円で買ったけど、まだ読んでない)、一応ご紹介しておこう。
(ただし、この人のほかの本のレビューは、あまり芳しくない。)
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貨幣は、多くの人間の心を不必要に卑しくし*、醜くし、惨め(みじめ)にする。貨幣のせいで、多くの人の日常人生を本来不必要な恐怖が支配する。〔*: “必要な卑しさ”というものはないだろう。〕
貨幣のせいで、のびのびとした明るい、人間性の発揮が往々にしてできなくなる。貨幣は、人間性を矮小化し、ゆがめる。多くの犯罪の原因になる。戦争の原因にもなる。もちろん環境破壊と健康破壊のの元凶である。
他者不在を、固定・維持する。※
貨幣は、地球全域の低空を長年おおっている暗雲である。それは、寒い、暗い社会を作り、維持する。
貨幣の軛(くびき)に縛られている人間は、永遠に美しいswanになれない醜いcygnetである。
それは、わずか数千年だから、短いとも言えるし、長すぎるとも言える。
でもそろそろ、この、人間性に対する腹立たしい侮辱を破壊し削除していきたい。
全地球上で、99%の人間が貨幣に苦しめられている。あるいは、貨幣のせいで実にくだらない愚劣な人間になっている。
貨幣が悪であることの自覚(貨幣の対象化)をうながす、広義の、多様な形の“教育”が、徐々に地球上のすみずみまで浸透する必要がある。そしてその後、ローカルに、Linuxなどを範例とする、さまざまな無貨幣ネットワークが、生まれ、育っていく。次の段階は、それらネットワークの、ネットワークができていく。
お前は何をやっとんじゃ、と言われると、まあ、動物愛護など、細々とやっておりますけど…。でもこの分野でも、ネットワークのネットワークはまだまだ未成熟だ。
とにかく、貨幣を、心の中、頭の中で、“突き放す”…そんな人を世界中で増やしていく必要がある。
※:「他者不在」は、このブログで展開されている(世界史上初の!!)コミュニケーション学/コミュニケーション理論における、もっとも重要な概念の一つです。初心者には、このブログの全編をお読みになることをおすすめする。比較的わかりやすい(?)記事としては、動物〜広く自然全般に対する他者不在の例としてこれやこれなど。人に対する他者不在は、主に言葉の問題を軸として、本ブログ中で多数回論じられている。
※2:貨幣の本質については、これやこれ。とにかく、貨幣の本質は残酷である。
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先日、ものすごく久々に、外で絶世の美女というものを一瞬見た。片側二車線両側四車線の幹線道路の、私はこっち側の歩道を南に進んでいて、その方は向こう側の歩道を北へ歩いておられて、一瞬のリモートなすれ違いだけど、お顔は瓜実顔の古典的日本美人、有名な女流日本画家(名前をど忘れ)の描く美人画の女性の顔に似ている。また、肌がものすごくきれい。真っ白だけど、健康的で、ごく少量のピンクが入っている、いわゆる桜の花びら色。年齢はたぶん20代前半。そして、唖然とするほど美しいのが、横から見た首のライン。これだけは、過去のどんな美人画や浮世絵にも、もちろん女優やモデルなどにも、ない美しさだ。
ストーカー的行為に出る趣味もないので、その一瞬は一瞬で終わってしまったが、しかしよく考えると、私の感動の一部始終は、私の遺伝子にプログラミングされているプログラムが、書かれているとおりに動いたにすぎない。
if (〜, 〜, 〜, 〜){ return ULTIMATE_BEAUTY; }
このULTIMATE_BEAUTYを返された側のコードが不出来なら、そいつは、いきなりナンパして相手に不快がられたりするのだろう。私のコードには、記憶にとどめて文章のネタにしろ、と書いてあるのかもしれない。
なーんだ、私って、一個のプログラムがそのとおりに動いているにすぎないじゃん。私の知らんまに。
Je suis autre.
私とは他者である。
とんでもない凶悪な犯罪者も、やはり一つの(不出来な)プログラムが動いているにすぎない。
いずれにせよ、生も死も、ひとつのプログラムの成り行きにすぎない。
勝手にしてちょうだい。お手柔らかに。
しかし、美女への認識と反応は、生まれたときからほぼ万人にある共通の先験的ルーチンかもしれないが、生まれてから以降の経験や反省から築かれる後天的なルーチンもある。でも、それらの生成すら、生前プログラムで決まっているのかもしれない。
私も含め、すべての生命体が、神の、神という言葉が禁忌なら自然の、あやつり人形にすぎない。
だが、革命はあった方がよいし、あるときには必ずある。
コミュニケーション有能への進化と革命も、また。
※私の中で動いているプログラムの例:
1)なめくじは、とてもかわいいと思う。
2)ゴキブリは、かわいいと思わない。
.....そのほか、数々。
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Ubuntu 13.04を遅まきながら13.10にアップデートしたら、日本語入力のデフォルトが従来のAnthyでなくMozcになっている。残念ながらMozcはAnthyの10倍〜100倍ぐらい賢い(賢すぎて余計なお世話やバカっぽいところもあるが)。
読者は一を聞いて百を知ってほしいが、Anthyではたとえば、必要性の頻度の低い語への変換が優先される奇癖がある。「かんする」は私の場合つねに「関する」になってほしいのだが、Anthyではいつまでもいつまでも、最初は必ず「燗する」に変換される。「じぎょう」にいたっては、助詞つき(「じぎょうを」など)で入力しないと、絶対に、私が必要とする「事業」には変換されない。と、Anthyのネガティブな偏屈ぶりを書いていたら、きりがない。
Mozcにはそんな奇癖は皆無だ。「燗する」なんて奇妙な日本語は、Mozc上には存在しない。ATOKに似て、ユーザの利用履歴からの候補語表示があり、頻用する語句に関しては助かる。
しかし、ユーザ辞書の問題があるので、しばらくはAnthyを使っていたが、とうとうたまりかねてMozcに全面的に引っ越しすることにした。当然、最大の課題はユーザ辞書の変換であり、第二の課題は詳細なドキュメンテーションを見つけることだ(誤キーによっておかしな動作になることがある)。
ユーザ辞書の変換方法は、Ubuntu日本語フォーラムに助けを求めたら、早くも翌日、正答が得られた。まあ、Anthyの(とくにユーザ辞書とその品詞指定に関する)詳細ドキュメンテーションが見つからなかったから、変換プログラムを自作できなかったのだが。ここで得られた回答のperlスクリプトAtoMも、品詞に対しては最初からギブアップしている(この程度なら、Vimの正規表現置換でできたのに!)。
でもいつも思うのは、Linuxはコミュニティの威力が絶大だ。ここも、ノーベル平和賞をもらえる資格があろう。
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すでにその心臓と脳を失ったAppleが、アメリカのヘッドフォーンの断トツのトップメーカーをすごい大金で買収した(orしようとしている)ことが、話題になっている。
iPodを内蔵したヘッドフォーンあたりを商品化するのではないか、と思うが。それはどうでもよい。関心がない。
話の本質は: 昔Sonyが、ウォークマンなる商品を出したとき、それを褒めそやすやつらが多くて、私は彼ら全員を、つま先にナイフのついた靴で腹を蹴りあげてぶっ殺してやりたくなった。
あのなー、ヘッドフォンででかい音で音楽聴いてると、まわりの音や声が聞こえなくなるんだよ。
そして正しい人生とは、つねに、まわりの音と声に注意している人生だ。つまり、広義の他者に。
われわれが今の時代に生まれて生きている唯一の理由は、コミュニケーションという、人類にとって最重要な教義を広めるためである。他者に対して耳をふさいで自己満足的に生きることを肯定するために、われわれは生きているのではない。
実際に、ウォークマン発売から数年後、遮断機のない踏切で女子高生が電車に気づかず轢死した。
女子高生でなく、ウォークマンをほめそやした連中全員が、轢死すべきだった。
たとえば私の場合は、昼間家に一人でいるときも、次の瞬間、どの犬に、どの猫に、何が起きるかわからない。とうてい、ヘッドフォンで耳をふさぐことなど、許されない。
(2011年の4月18日、物置の中での作業を、ヘッドフォンで音楽を聴きながらやっていたら、子猫の助けを求める声は聞こえず、したがって私は彼を保護できなかっただろう。自分の耳をふさがないということは、この例でも分かるように、ものすごく重要なことなのだ。)
より一般的に言うと、人間には、起きて生きてる間、ヘッドフォンで自分の耳をふさぐことは許されない。それは、重大な犯罪である。
だからまあ、それは、いかにも、Appleという会社が(いまどき!)商品化しそうな方向ではあるが。
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この記事(ユーザ登録(無料)が必要)。記事の要旨は、座間市の鷹巣直美さんがノーベル賞委員会にしつこく働きかけ、署名も集めたため、『日本人』が正式にノーベル平和賞候補になった、というもの。
署名サイトはここ。
活動の公式ブログはここ。今現在の最新記事は5月5日づけ。
昔(1997年)、「地球憲法第九条」という本が講談社インターナショナルというところから出版されている。2005年にたちばな出版というところから再版されているが、どちらもAmazonで中古本が入手できる。
(うちは、あらゆる本が猫の吐瀉物で汚れていて、だめ。)
以前Twitterで、努力次第で日本はノーベル平和賞をもらえる、とツイートしたが、無反応だった。まあ、愚劣な人たちの愚劣なサイトだ、少なくとも日本のTwitterは。今私は、Twitter無活動。Facebookはアカウント完全削除。
しかし、これほど平和努力ゼロで、反平和努力にばっかし邁進しているバカ総理が長期居座ると、もちろん、平和賞どころではなくなる。
自民党の良識派すら、言っている:「安全保障とは味方をたくさん作り、敵を作らないこと。今の安倍政権は、安全保障努力ゼロで、きわめて危険。彼は、敵を作る努力にばっかし、熱心だ。」
良き政治努力は(双方向コミュニケーションのある)ネットに移行しつつあり、古い議会制民主主義(選挙、立候補、銭虚膿獰、投票、代表制、…という愚民的茶番的かったるさ)は、ますます無能なバカの集まりになりつつあるのかもしれない。今、有能でまともな人は、議員なんて絶対なりたくない、と思ってるよ、きっと。これもある意味危険だけど、移行期だからしょうがない。
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gitをインターネット/Webから使うインタフェイスとして大人気のGitHubにおける、言語の動向をこの記事が報告している。
この記事のCaveatsのところにも書いてあるが、やたら多くて成長中のJavaScriptは大型ライブラリ(jQueryなど)のコピーも含まれているためで、純粋にプロジェクト数を反映してはいない。大人気だったRubyは、このところ下降ぎみだ。となるとJava。BASIC(今年50歳を迎えた)→C/C++の次に、Javaを選んでおいて良かったな、と思う。Javaは、Haskelなど、優秀な派生言語も多いし。
Rubyは安易に人気があるが、Javaに比べると、コミュニティ、関連開発、研究、ドキュメンテーション、等々の質・量が違いすぎて、本当にコンピュータとプログラミングを勉強したい人には勧められない。今のプロたちのための、安易で便利なツール、といったところか。
インターネットのサーバの世界も、ほぼLinux + Javaで決まりだもんな。この記事はフラグメンテーションを心配しているが、私には逆に、いくつかの太い線が決まりつつある、と見える。
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