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2014年3月23日 (日)

あらためて「貨幣が差異であると認識することの重要性」について

前にも書いたけれども、貨幣をコミュニケーションのイシューとして考える(という人類史上初めての取り組み)ためには、貨幣が、差異~差異の階層という猛毒の劇物であることを、まず基本認識として共有する必要がある。

このレベルが共有されていれば、このブログに参加するテキストに、一生、コミュニケーションのコの字についてすら考えたこともない人びとの、まったくirrelevantな言説が引用されることもないだろうし、この前、市川智氏が指摘しておられた“オトコのゲス(下司)な発想”丸出しで、『「オレッチ、疲れているから5日ほど休むし、あと頼むねー」的な外科医者』なんて、あっと驚くびっくり仰天の例示が出てきたりはしないだろう。

差異の猛毒性を現時点で理解できない人は、1か月ぐらい、東南アジア~南アジア~アフリカなどの激貧地帯をつぶさに見てくるとよいかもしれない。その、大規模化している劣悪な生活が、ここ数百年どころか、ここ数十年の生成であることを、知るべきだ。すなわち、貨幣経済の全面的浸透。

貨幣は、差異の階層がなければ、貨幣でありえない。

貨幣が持つとされる価値の本質が差異であることの発見、ないし気づきは、私という自己が人間として産み落とされ、まがりなりにもここまで生きつづけることができたことの、唯一の意義、唯一の存在理由である。なぜなら、この気づきによって、これまでの、貨幣に対してもっぱらへっぴり腰(+日和見的)であった人びとの思想がゴミ箱に放り込まれ、今のすさまじく劣悪苛酷な似非社会主義国家の廃棄の契機となりえるからだ。

あえて神話的に書くなら、戦中戦後のひどい状況の中で苦労して子どもを育てた親たちの霊も、この発見・気づきがあったことでやっと安堵し納得できるだろう。「子どもを戦禍と貧困の中で育てて、むしろ良かった」と思っているかもしれない。それどころか、途中、父親はとんでもない貨幣的事故に巻き込まれてしまったのだが。

支配範囲のあまりにも強大なあの劇物は、みんなの貨幣理解が深まることによって、ASAP、無化される必要がある。そのための伝播役(社会教育役)の増加も、もちろん期待される。

愚劣なコメントばっか、書いてる場合じゃないぜ、ほんま。貨幣はぜったい必要じゃあ、と頭の芯で思い込んでしまったら、すべてそれをベースとする発想(例:金がないと仕事を怠ける医者)になってしまうんだよ。それを、自縄自縛の滑稽、と言う。そんな愚に、まともにつきあってるヒマはない。


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コメント

とても「魂の70%が女性」の方が書く文章とは思えない勇ましさですね。「人類史上初の」とか「唯一の存在理由」とかの「背負った」言葉を振り回しているうちは、世界にも他者にも relevancy を持てないと思いますよ。

投稿: iris60 | 2014年3月24日 (月) 05時13分

文明は文化を破壊する。

人類は文化を放棄して文明を手にした。

そして幸福になった???。

投稿: 南 | 2014年3月24日 (月) 08時24分

@iris60
今回わざと強調的でややドギツイ書き方をしたのは、コメント上に、あなたをはじめ、焦点がぼけているような方が最近何人か目立つので、あらためてこのブログのコアというか、メインラインをくっきり際立たせたくて、そうしたのです。

その真意が伝わらなかったとすると、別のやり方を考えないといけないようですね。現在、私の中に名案はありませんが。

投稿: iwatani | 2014年3月24日 (月) 08時29分

まず、謝らせてもらいたいです。ことの一件
のプロセスは、こうです。”ボタンの掛け違
い”の最後の「リソースの共有方法・・」の行
をどうしても質問したい、どのタイミングで
(どのように)質問すればいいだろうかと
悶々としていた時に訪れたのが”贈与社会”の
トピックでした。悶々としたストレスに対し
て耐性のない私は、暴発してしまいました。

だけど、「無貨幣の世界」という前人未到の世界
を少しでも、実現しようと思ったら、生半可
な質問では、そのコアな部分に触れられない
のではないかと、思ったのも事実です。そこ
で思いっきりネイティブな感情をぶつけて
みたのです。しかし、そこは現社会(私も
含めて)と対峙するときに避けられないこと
かなとも、思います。変な言い方をすれば、
実験のモルモットになった気分で、ドブにつっこんで
みたんです。新しい社会の核にふれて、どういうもの
か見たかったんです。エキセントリックな例題も、
極端な事例にはどう動くかを知りたかったんです。
人に頼りきりっていうのも、情けないですね。

まぁ、こんな想像力の足りない奴がいると
思ってください。この文も、恥の上塗りに
ならないことを祈ります。  

投稿: Ohiya | 2014年3月25日 (火) 07時31分

@Ohiya
この問題に関しては、自分自身を「旧状態」に置いたまま人に聞く、という方法はほぼ無効です。つまり、それでは、理解のベースが自分自身にない。

まず、自分自身が「一皮むけて」、まったくフレッシュな皮膚状態で世界や人びとをを見る・感じることが、理解への唯一の入り口かと思います。

投稿: iwatani | 2014年3月25日 (火) 07時59分

 かなり前ですが、岩谷さんが
 「われわれが互いに関係する動機には、『b動機』(business動機)ど『c動機』(communication動機)がある」
 と看破しておられたのを思い出します。
 この「c動機」を実感していれば、
 「ひとは貨幣的対価・経済的利得がなければコミュニケーションしない」
 なんてことは言わない。言えないと思います。

投稿: 市川智 | 2014年3月27日 (木) 13時35分

@iwatani
ありがとうございます。そしてアドバイスあ
りがとうございます。試しに、通勤時車の
中から街ゆく人々を、「貨幣のない世界」で働
いている人達と思って、見てみました。する
と、なんだかみんなが引き締まって見え、み
んながかけがえのない仲間、同志のように見
えました。だけどそんなビューティフルな夢
想が実現し持続するのかいなという、思いも
あります。
 そういう理想が、永久に現実として持続し
ていくために、必要なものはなにか?。それ
は、充実した楽しいコミュニケーション、
そして一人一人の自覚と責任感かなと。それ
らをたしかに皆が保持すること。ベタベタな
感想ですがそう思いました。 

[追記]市川さん、ありがとうございます。


投稿: Ohiya | 2014年3月27日 (木) 21時41分

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