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2014年3月 9日 (日)

ボタンのかけ違え

ボタンのかけ違えは、最初を間違えたら最後まで間違う、途中で手直しはできない、全部チャラにして最初から正しくやりなおすしかないことを、比喩している。

また、多くの日本人の論理性の弱さ・幼稚さは、こんな記事でも、指摘している。

で、最近のこの記事の、4つめのコメントにこんなのがある:

---ふと思ったんですが、手術をして人命を救う仕事と飲食店でヤキソバを作る仕事が、等価なのでしょうか。貨幣(差異)をなくすとしたらそういうことでしょ。それは自分も含めて多くの人が認めないんじゃないかと思う。---

これの、致命的なボタンのかけ違えは、「貨幣==差異をなくす」という地平に、「等価」という貨幣概念差異概念(==交換価値概念)を持ち込んでいるところにある。正しくは、貨幣概念がないのなら、等価か等価でないかという視点も存在しないのである。もちろん、「多くの人が認めないんじゃ」にも同様に、そこにはすでにないはずの、交換価値概念がイナカモン的堂々的に持ち込まれている。

禁酒同好会へのおみやげに、大好きな焼酎を持ち込むように…。

共和制(天皇制の廃止)について議論する席で、国家における現人神(あらひとがみ)の絶対的必要性を論ずるように…。さしずめ彼なら、「天皇がいない社会なんて、多くの人が認めないんじゃ」、と言うのだろう。

このコメントは、したがって、単純な論理ルール違反(ニッポンのイナカモン)であり、まともに応ずると自らもボタンのかけ違えに加担してしまうのである。

このコメントを書いた人が、貨幣大好き、差異大好き、交換価値大好き派の人であることは、よーく分かったが、今の世、そんな人だらけだから、別に驚きはしない。

コミュニケーションがその人の真剣な問題意識にならないかぎり、貨幣が人間社会にもたらしている大規模な悲惨さに気づくこともない。

なお、脱貨幣(交換価値非依存)コミュニケーション化社会におけるリソースの共有方式は、きわめてテクニカルな話題であると同時に、それこそがまさに、コミュニケーションの重要課題のひとつである。

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コメント

なんちゅうか。いやー、本中華。思いっきり
否定的にとられて・・・。「等価」と書いた中身は
all freeというかaccess freeというか、全てが
そういう地平に立った時の状態を表したつもりだった
んですけど。交換概念なんて思いもつかなかったし。
まぁ、もともと狂言回しになるつもりで、わざとふっ
てみた、という面もあるんですけど。
 おかげで貨幣のない状態について、イメージが鮮明
になったけど。まんまと乗ってくれてありがとう。くそったれ。

投稿: せいじ しん坊 | 2014年3月 9日 (日) 23時16分

@せいじ しん坊
「等‘価’」とかfree(無料)いえば、まさに、貨幣概念、交換価値概念じゃないですか。だからそれは典型的な、禁酒会に焼酎を持ち込む、イナカモンの論理無視ですよ。

恥じて、成長した方がよいね。

投稿: iwatani | 2014年3月10日 (月) 07時31分

思考の飛躍が必要。

土俵は自分の立っているここが唯一ではないという認識が必要。

「今のまんまでいい」と思っていられる人はある意味幸せ(????)。

投稿: 南 | 2014年3月10日 (月) 08時46分

「論点のずらし」について少し釈明させてください。2点ありまして…

1)「論理的な議論」が成立するためには、各プレーヤー間で共通の地平(土俵というんでしょうか)が、あらかじめ開けている必要がある。

2)そもそも、論理的な議論によって到達可能な範囲の答えというのは、実は、議論などしなくても最初から(可能性としては)分かっていたことだったのではないか? つまりAさん、Bさん、Cさん…という多様な人間が参加する必要は最初から無かったのであり、これこそまさに他者性の抹殺ではないか?

1)が禁酒同好会のような限定的なサークル以外の場で成立するのも、実際、結構難しいことですが、より本質的な危惧は2)のほうでありまして、どうしても、「少しずれた」観点から論じる必要性を感じるのです。

ある人がケインズに、「私もあなたの意見に賛成だ」と言ったところ、ケインズは「私はたった今考えを変えたので賛成してくれなくてよい」と答えたそうです。ぜんぜん、話が噛み合わないイヤな奴と見られたことでしょう。

ケインズの「一般理論」や、マルクスの「資本論」は、当時の主流派経済学の壮大な脱構築(相手の土俵に乗らずに土俵そのものを掘り崩してしまうこと)ですが、それゆえに、彼らの主張をペテンと呼ぶ人もいます。でもそれは後世の評価であって、彼らが今生きていたらまた別のことを言ったはずです。

論理的な答えの最終的な勝利が明らかだとしても、その成就の前に「人は皆死んでしまう」ので、個々人は、岩谷さんのおっしゃるように、「これからもしばらくは、惨事の多い凸凹道をドッスンバッタンと歩んでいく」ほかはないのでしょう。

投稿: iris60 | 2014年3月10日 (月) 11時59分

@iris60
> 「論理的な議論」が成立するためには、各プレーヤー間で共通の地平(土俵というんでしょうか)が、あらかじめ開けている必要がある。
そんな必要はまったくありません。ただし参加者は、議論のテーマを正しく理解してないと、今回のようなトンチンカンなことになるでしょう。

2)そもそも、論理的な議論によって到達可能な範囲の答えというのは、実は、議論などしなくても最初から(可能性としては)分かっていたことだったのではないか?
> 分かっていなかったことが分かってくるのが、論理的な議論というコラボレーション行為です。優れたブログ上の優れたコメント集合+源ライターとの対話には、それが日常的にあります。もちろん、“批判”も含めて。

※今回は、この「しん坊」という方が、貨幣がないならば…と言いつつ、その一瞬後には、貨幣がある状態の話を始めてる*から、まったく、論理が崩壊しているわけです。ケインズは、コミュニケーションについて考える地平からはまったく関心を持てませんが、マルクスは、たいへん『罪重き反面教師』として取り上げる価値はあります。*:文の物理的構造ではなく論理的構造を指しています。

投稿: iwatani | 2014年3月10日 (月) 18時05分

 どっちからでもいいけど 
@ 南
なんか、その物言い。ちょっと離れた所から聞き耳を
立てて、そして遠いお空に語りかけているような態
度。楽ですね。こちとら、御大の説をなんとか実生活
の中で、検証しようとして苦闘しているのに。安全な
場所に立って、雲に語るように語りかけていらっしゃる。

@ iwatani
さすがに「等価」と書いたのは、不注意でしたが、
all free、access freeてのは、「好きな時に、
必要な時にアクセスできる」状態をイメージしていた
のであって、断じて「無料(貨幣的価値)」ではあり
ません。それを勝手にあなたの文脈の中で「無料」と
読み込んで勝手に怒っている。それこそ氏の言う
”大イナカモン&オトコの光景”だろう。

投稿: せいじ しん坊 | 2014年3月10日 (月) 20時18分

@せいじ しん坊
>「好きな時に、必要な時にアクセスできる」状態
これは、すべてのリソースについて、貨幣の有無とは無関係に、ありえませんよ。そんな意味のfreeなんて…。

なにしろ「等価」というコンテキストでは、freeは「無料」という意味に、自動的になります。それが一番(唯一?)自然です。


投稿: iwatani | 2014年3月10日 (月) 21時04分

再かき出しについて、悩むのもイヤなので淡々と書か
せてもらいます。普通に言いたいのは、このブログが
博識者、高度な理論家だけのものでなく、一般者、高
卒者中坊にも(意識の上で)開いていることです。
(高度な人だけが参加できるようではお寒い「村仲間
の集い」です。)
私としましては、この場でしてみたいのは御大の説が
どこまで実生活化できるかの、検証摺り合わせであり
まして、そのためにごく身近な話をかきたいなぁと、
思っています。小さな事を書き、異論なことを質問す
るとおもいますが、よかったらおつきあいください。
今回のように、いろいろとあるでしょうが、「時
(今)はいかなる過去にも汚されない。」を信じてい
ますので。(そして、目指すところは”世界平和”で
あります。べつにハードル上げてないっすよね。)

投稿: せいじ しん坊 | 2014年3月15日 (土) 07時45分

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