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2014年3月 3日 (月)

毎度おなじみオトコの光景

北朝鮮被拉致者日本人を、自衛隊に奪還させるというアイデアがあるらしい。

出典(言い出しっぺ)は、今のバカ総理らと並ぶ、あのへんにこのごろ、ぞろぞろ生(は)えてきているバカオトコ族の一人らしい。

このアイデアは、北朝鮮と戦争する、というアイデアである。

戦争ともなれば、被拉致者日本人たちやその親族は実に都合よく、戦争の人質へと昇格ないし降格してしまう。おおっぴらに、むごいことをされてしまう可能性も大きい。どんなことでも、するだろう。

しかも連中はミサイルを持っているし、どこかに核弾頭を隠匿しているかもしれない。

中国は静観しないし、アメリカは助けてくれない。

…こういう、脳足りんの正真正銘のおバカが、こないだの都知事選ではかなりの票数を取るんだから、本当におそろしいのはこっちの方かもしれない。

遠回りのように見えようとも、真の解は、朝鮮半島再統一しかない。

あの、ヒトラーの100倍の大悪党とも呼ばれる悪党が、ごりおしででっち上げた、おそろしく無理で不自然な既成制度(“新しい国家”など)は、今後の国際社会が一致協力してすべて完全にリセットすべきである。そこにはもっと一般的に、似非社会主義国家たちとその権力構造の廃絶という、より大枠の問題も絡むが。

が、あんな…悪い意味で人工的な…国をいっちょまえの国家と遇することは、そろそれ止(や)めなければならない。あの国、あの半島に住む人たちの、ふつうの幸福のためにも。そのための、国際世論を喚起しつつ。そしてもちろん、日本は平和国家、不戦国家により強固に徹しつつ。

以下に、「オトコの光景(再度)」から要約的に引用しておこう:

諸問題に対するオトコのソリューションはforce(力、武力、暴力、金力、権力、威力、etc.)と、その行使の仕方の、いくつかの既成パターンに依存している(例: 武力なら戦争)。(中略)。forceによる一見単純明解なソリューションは、実は全然、その問題の解にはなっていない。力ずくで排除や押さえ込みや隠蔽をやってるだけで、問題そのものは往々にして、その後さらに悪質化して再燃する。その悲惨な例は、小さなスケール(家族など)から大きなスケール(国家、民族、対自然、など)までの各段階において、今日なお、ありすぎるぐらいある。

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コメント

我が社のオトコの光景とはなんだろう。催事
販売でたまたま売上が良かったことを、全店
Faxで告知する大バカ者。しかも同じ売り場に
いたにもかかわらず、仲の悪い者の名前をその
連名に載せないという底の浅さ。悲しい。幼稚だね。

投稿: せいじ しん坊 | 2014年3月 4日 (火) 04時09分

(追伸)非常に卑小な話でお恥ずかしい。ちなみに
その催事と自分は無関係です。一度コメントすると
上書きできないのがむずかしい。

投稿: せいじ しん坊 | 2014年3月 4日 (火) 04時51分

現代までの人類の歴史は戦争の歴史であった。
それが、もう上手く行かなくなったのが現在である。
180度の方向転換が必要。
そちら側には「積極的平和主義」と書かれている。
安倍総理のではなく、ガンジーの言う。

投稿: 南 | 2014年3月 4日 (火) 09時00分

反原発派が四分五裂している間隙をついて、あの元航空幕僚長氏が当選してしまうのでは? と、結構悲壮感を持って投票所に行き、下馬評でも本命とされた候補に投票しました。ご自身での介護経験があるという一点に賭けたのです。
これから世の中の多くの人は、「介護される人」と「する人」に分かれます。どちらにも属さない人には「生を楽しんでネ!」と祈るばかりです。

投稿: iris60 | 2014年3月 5日 (水) 11時04分

乾き切った大地に、いくらバカオトコ族が大量の水をぶちまけた(force)としても、そんなもんは一日で蒸発してしまう。

投稿: musataro | 2014年3月 7日 (金) 09時41分

オトコが硬直するとロクな事しかしないし考えない。

投稿: bad | 2014年3月25日 (火) 17時56分

今日は最高の秋祭り日よりだった。ド快晴。気温25度、さあ、そんな日に我が町内会では獅子舞を敢行、やりとがれたのである。しぇしぇ。そして今はその打ち上げ後の、べろんべろん状態の中に書いている。文句あるかバカヤロー状態である。はっはっはっはっである。申しわけない。しかしこんな状態でしか、書けないこともあるだろう。
町内の秋祭りとは、獅子舞である。それも加賀藩は太刀とか薙刀を持っての、獅子退治を趣旨とした獅子舞である。そうなると勢いで演舞者(太刀で獅子退治をするもの)に対して「切れ、切れー」とか「殺せ、殺せー」とか声援・野次が飛ぶ・飛ばすのである。おれも一生懸命飛ばしていた。盛り上がるのだからしょうがない。いくのである。
闘争本能、これもオトコの本能なんだろうか。あらがえない本能だろうか。しょうがない。オトコに生まれた宿命なのかとも、思う。さて、ヒワ氏が嫌悪するオトコの光景。闘争も本能がなせる技なら、オトコも可哀想ではないか。いっぽうてきnい避難されても、オトコにも立つ瀬がないんじゃないだろうか。オトコにとって、殺るか殺られるかの技の競い合いは楽しい。どうしようもない本能ではないか。本能を発揮できない、忘れた社会は楽しいだろうか。このこともわすれるべきではないのではないだろうか。難しいが幸せへのばらんすを忘れるべきではないし、考えたい。ありがとう。

投稿: ohiya | 2014年9月14日 (日) 21時44分

自己も巨大な自然の一部である。とすれば本能とは一番、ナマの自然に近い性質ではなかろうか。食欲、性欲、睡眠欲に加え、播種本能、母性本能、闘争本能、他にも何があったっけ。防衛本能?。とにかく自然の一部であると認めるなら本能も全て、平等に認め肯定すべきじゃないか。そうでないと、不自然(ムリ)が生じる。そして人に生まれたならそれを、平和・幸福のためにいかに制御・調和させるかを、考えるべきである。それがコミュニケーションの土台である。
そして、一人ひとりがそれに強く努めようとするとき、自然を超えた、仏に近づくことができるのだと思う。

投稿: ohiya | 2014年9月16日 (火) 06時23分

そうそう、自然てのは「ありのまま、そのままの状態」と見ることもできるのではないだろうか。つまり抑制できない、抑制が効かない状態。せっかく人間として生まれたなら、その上を目指したいではないか。
そして問題は、どの方向へ上を目指すかである。私利私欲を優先させるか、調和を優先させるか。調和といっても、自分を殺しての調和ではない、他と自分を生かしての調和である。そのためのコミュニケーションの発展充実。バランス感覚の鍛錬。そのために、結婚、貨幣、自己と他者について考察する。
なんか、基本的なことをいってるなぁー。

投稿: ohiya | 2014年9月17日 (水) 04時16分

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