« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2014年3月30日 (日)

MetricのSoft Rock Starの意味

Metricの歌詞はだいたいどれも難解である。非常に“非直接的”で、暗示的暗喩的な言葉遣いが多く、すべてが象徴詩といってもいいが、何を象徴しているのか、ネイティブの人にも分かりにくいらしい。

Soft Rock Star(アルバムGrow Up And Blow Away)は好きな曲の一つだが、例によって歌詞はわかりづらい。

こんな歌詞だ。

思いあまって、["Soft Rock Star" meaning]でググってみた。

すると、こんなのがありました。読んでみた。なぁるほど!!

-----
ついでにもうひとつ、ネットねたを。

Francesca Temporinというイタリアのヴァイオリニストの3年前(14歳)のときのモーツァルトのコンチェルト5番(YouTube上)がすごい。3楽章が。その中間部が。21世紀的という陳腐な形容詞は何も伝えないが、なにしろ、ヴァイオリンという楽器がパーカッションであることに、私は21世紀の今日になって初めて開眼させていただいた。 (もちろん、パガニーニなどなどは昔から聴かされているが、そういう意味では全然ない。)

終始、無表情で弾いているのだが*、その中間部を弾き終えたとき、ちらと指揮者の方を見て、ほんの一瞬だけ微笑む。達成感が、聴く者視る者にも伝わってくる一瞬だ。

女性だけど、いわゆる女らしいとか、女性的という音では全然ない。もちろん、男性的というのとも違うが。とにかく、しめっぽくない、そして有機的な、良い音。〔*: だいたいヴァイオリニスト、とくに女性ヴァイオリニストは、演奏中に体、顔、首が動いたり、表情が音楽に合わせていかにもそれらしく変わる人が多い。そういう人はおおむね、音が“対象化”されていない人である。それのまったくないFrancescaは、将来、大物になるかもしれない。〕

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2014年3月23日 (日)

あらためて「貨幣が差異であると認識することの重要性」について

前にも書いたけれども、貨幣をコミュニケーションのイシューとして考える(という人類史上初めての取り組み)ためには、貨幣が、差異~差異の階層という猛毒の劇物であることを、まず基本認識として共有する必要がある。

このレベルが共有されていれば、このブログに参加するテキストに、一生、コミュニケーションのコの字についてすら考えたこともない人びとの、まったくirrelevantな言説が引用されることもないだろうし、この前、市川智氏が指摘しておられた“オトコのゲス(下司)な発想”丸出しで、『「オレッチ、疲れているから5日ほど休むし、あと頼むねー」的な外科医者』なんて、あっと驚くびっくり仰天の例示が出てきたりはしないだろう。

差異の猛毒性を現時点で理解できない人は、1か月ぐらい、東南アジア~南アジア~アフリカなどの激貧地帯をつぶさに見てくるとよいかもしれない。その、大規模化している劣悪な生活が、ここ数百年どころか、ここ数十年の生成であることを、知るべきだ。すなわち、貨幣経済の全面的浸透。

貨幣は、差異の階層がなければ、貨幣でありえない。

貨幣が持つとされる価値の本質が差異であることの発見、ないし気づきは、私という自己が人間として産み落とされ、まがりなりにもここまで生きつづけることができたことの、唯一の意義、唯一の存在理由である。なぜなら、この気づきによって、これまでの、貨幣に対してもっぱらへっぴり腰(+日和見的)であった人びとの思想がゴミ箱に放り込まれ、今のすさまじく劣悪苛酷な似非社会主義国家の廃棄の契機となりえるからだ。

あえて神話的に書くなら、戦中戦後のひどい状況の中で苦労して子どもを育てた親たちの霊も、この発見・気づきがあったことでやっと安堵し納得できるだろう。「子どもを戦禍と貧困の中で育てて、むしろ良かった」と思っているかもしれない。それどころか、途中、父親はとんでもない貨幣的事故に巻き込まれてしまったのだが。

支配範囲のあまりにも強大なあの劇物は、みんなの貨幣理解が深まることによって、ASAP、無化される必要がある。そのための伝播役(社会教育役)の増加も、もちろん期待される。

愚劣なコメントばっか、書いてる場合じゃないぜ、ほんま。貨幣はぜったい必要じゃあ、と頭の芯で思い込んでしまったら、すべてそれをベースとする発想(例:金がないと仕事を怠ける医者)になってしまうんだよ。それを、自縄自縛の滑稽、と言う。そんな愚に、まともにつきあってるヒマはない。


| | コメント (7) | トラックバック (0)

2014年3月21日 (金)

贈与社会(贈与経済)

うーん、インターネットを贈与社会進展のトリガに、と考えている人もおられるのだなぁ。

これまた女性。21世紀は、「エライ人はみんな女性」の世紀か?! 逆に、オトコはますます、バカばかり目立つが。

かつて、Linuxオペレーティングシステムの生成と分有(共有)のあり方を、贈与経済の部分的復活、と呼んだ経済学者がいました。名前は忘れたけど。

インターネットも、巨大サーバ企業に牛耳られている状況が終わらんと、どもならんね。

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2014年3月12日 (水)

都知事選で女性候補がいなかった理由

前回の記事でご紹介した高橋秀実さんは、「東京が女性に見限られた」と書いておられるが、魂の70%が…厳しい自己鍛錬により!…女性である私から言わせると、都知事になりたくないのは、これまでのphallocentric都知事が乱暴にたくさん放り込んだ火中の栗を、拾いたくないからである。それらの栗を迅速に排除する権限が都知事にあるのかも、よく分からないからである。ここでは例を二つ挙げる:

●オリンピック
その招致は、原発事故後に関するバカ総理の嘘と、時代遅れで(絶対必要な)冗長性に乏しい過密的都市インフラを隠蔽している。

●築地市場移転
食品を扱う、しかも大規模な卸売市場を、なぜか(?アヤシイ!)強引に汚染土壌の上に建てようとしている。その固執の根拠が、語られない。

火中の栗はもっともっとたくさんあると思うが、詳細は都政通におまかせしよう。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2014年3月10日 (月)

やっと別のところから「オトコ批判」が現れた。

この記事は、(運が悪ければ)会員登録(無料)をしなければ読めない。また、新聞サイトの記事は寿命が短い傾向があるので、読むなら今のうちに。(万一のために取ったコピーは、無断では公開できないでしょう。)

### きっぱりさっぱりと、原発ゼロを早々に決めてしまった国のトップは、女性だもんなぁ。ものすごーく優秀な女性だけど。###

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2014年3月 9日 (日)

ボタンのかけ違え

ボタンのかけ違えは、最初を間違えたら最後まで間違う、途中で手直しはできない、全部チャラにして最初から正しくやりなおすしかないことを、比喩している。

また、多くの日本人の論理性の弱さ・幼稚さは、こんな記事でも、指摘している。

で、最近のこの記事の、4つめのコメントにこんなのがある:

---ふと思ったんですが、手術をして人命を救う仕事と飲食店でヤキソバを作る仕事が、等価なのでしょうか。貨幣(差異)をなくすとしたらそういうことでしょ。それは自分も含めて多くの人が認めないんじゃないかと思う。---

これの、致命的なボタンのかけ違えは、「貨幣==差異をなくす」という地平に、「等価」という貨幣概念差異概念(==交換価値概念)を持ち込んでいるところにある。正しくは、貨幣概念がないのなら、等価か等価でないかという視点も存在しないのである。もちろん、「多くの人が認めないんじゃ」にも同様に、そこにはすでにないはずの、交換価値概念がイナカモン的堂々的に持ち込まれている。

禁酒同好会へのおみやげに、大好きな焼酎を持ち込むように…。

共和制(天皇制の廃止)について議論する席で、国家における現人神(あらひとがみ)の絶対的必要性を論ずるように…。さしずめ彼なら、「天皇がいない社会なんて、多くの人が認めないんじゃ」、と言うのだろう。

このコメントは、したがって、単純な論理ルール違反(ニッポンのイナカモン)であり、まともに応ずると自らもボタンのかけ違えに加担してしまうのである。

このコメントを書いた人が、貨幣大好き、差異大好き、交換価値大好き派の人であることは、よーく分かったが、今の世、そんな人だらけだから、別に驚きはしない。

コミュニケーションがその人の真剣な問題意識にならないかぎり、貨幣が人間社会にもたらしている大規模な悲惨さに気づくこともない。

なお、脱貨幣(交換価値非依存)コミュニケーション化社会におけるリソースの共有方式は、きわめてテクニカルな話題であると同時に、それこそがまさに、コミュニケーションの重要課題のひとつである。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2014年3月 3日 (月)

毎度おなじみオトコの光景

北朝鮮被拉致者日本人を、自衛隊に奪還させるというアイデアがあるらしい。

出典(言い出しっぺ)は、今のバカ総理らと並ぶ、あのへんにこのごろ、ぞろぞろ生(は)えてきているバカオトコ族の一人らしい。

このアイデアは、北朝鮮と戦争する、というアイデアである。

戦争ともなれば、被拉致者日本人たちやその親族は実に都合よく、戦争の人質へと昇格ないし降格してしまう。おおっぴらに、むごいことをされてしまう可能性も大きい。どんなことでも、するだろう。

しかも連中はミサイルを持っているし、どこかに核弾頭を隠匿しているかもしれない。

中国は静観しないし、アメリカは助けてくれない。

…こういう、脳足りんの正真正銘のおバカが、こないだの都知事選ではかなりの票数を取るんだから、本当におそろしいのはこっちの方かもしれない。

遠回りのように見えようとも、真の解は、朝鮮半島再統一しかない。

あの、ヒトラーの100倍の大悪党とも呼ばれる悪党が、ごりおしででっち上げた、おそろしく無理で不自然な既成制度(“新しい国家”など)は、今後の国際社会が一致協力してすべて完全にリセットすべきである。そこにはもっと一般的に、似非社会主義国家たちとその権力構造の廃絶という、より大枠の問題も絡むが。

が、あんな…悪い意味で人工的な…国をいっちょまえの国家と遇することは、そろそれ止(や)めなければならない。あの国、あの半島に住む人たちの、ふつうの幸福のためにも。そのための、国際世論を喚起しつつ。そしてもちろん、日本は平和国家、不戦国家により強固に徹しつつ。

以下に、「オトコの光景(再度)」から要約的に引用しておこう:

諸問題に対するオトコのソリューションはforce(力、武力、暴力、金力、権力、威力、etc.)と、その行使の仕方の、いくつかの既成パターンに依存している(例: 武力なら戦争)。(中略)。forceによる一見単純明解なソリューションは、実は全然、その問題の解にはなっていない。力ずくで排除や押さえ込みや隠蔽をやってるだけで、問題そのものは往々にして、その後さらに悪質化して再燃する。その悲惨な例は、小さなスケール(家族など)から大きなスケール(国家、民族、対自然、など)までの各段階において、今日なお、ありすぎるぐらいある。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2014年3月 2日 (日)

クッションがなくなったコンクリートむき出し貨幣経済(==差異)社会

今回はこの記事を共有しよう。この前の「コミュニケーションで蘇生した会社」もそうだったが、これもライターは女性だ。ここで扱われている映画やその原作小説そのものよりも、ライターとしての視点や視角のクォリティが高い。

児童虐待は悪いに決まってるけど、その原因もやはり、むき出し社会における、限界ライン以下の貧困だからな。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »