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2014年2月17日 (月)

自由の厳しさ

ほかの生物を、「本能」と呼ばれる無自由、既定性の枠の中で生きていく、と大雑把にとりあえず言ってしまうと、人間のみは自由であり、自らの生を導く既定性がない。

その自由の中にはありとあらゆる自由があり、「間違う自由」もあれば「バカである自由」もある。

当ブログのコメントの常連の一人である南氏は、「人間は幸福になろうと思えばなれるのに、これまで一度も、幸福になろうと思い、そう行動したことがない」という意味の発言を何度かしておられる。

でも人間の幸福とは、その自由が選び取るものであり、本能のように既定性として与えられることはない。
(もちろん、どこかの強権が“強制する幸福”もありえない。)

だから、人間の自由はとても厳しい。

「間違わない自由」や「賢くある自由」は、歴史知から徐々に形成されるかもしれない。しかし、後代は往々にして、遺伝子の主要部分集合が先祖返りしてしまったような人物が集団のリーダーとなって、おめおめと、同じ間違いへ突っ走ってしまうこともある。しかしそうなるのもまた、“自由”なのだ。

10年近く前、庭にユズとカボスの苗木を植えたら、ユズの方は多数のキアゲハの幼虫に葉をすべて食われて死んでしまった。しかし、食い物のなくなった大量の幼虫たちも、サナギ化を迎えることなく全滅した。でもこれは、親キアゲハの「間違える」自由のもたらした結果とは呼べない。

そもそも、「間違える」とは、歴史に属する概念だ。歴史知は(たぶん)人間にしかない。だが、歴史を学ぶ自由とともに、学ばない自由もある。歴史の多様な解釈、と呼ばれる自由もある。

というわけで人間は、自由という、厄介なものに翻弄されながら、これからもしばらくは、惨事の多い凸凹道をドッスンバッタンと歩んでいくのだろう。

自由が選ぶ幸福という王冠の、価値をますます鮮明に高めるために。

[本稿未完]

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コメント

人間とは操作されるものであると謙虚に認識すべき。

他人に、自然に、状況に・・・。

まるで将棋の駒のように・・・。

投稿: 南 | 2014年2月18日 (火) 08時37分

うろ覚えですが、「ピーナッツ」(スヌーピー)のサリーが「どうして私っていつも宙ぶらりんなの?」と自問する場面がありました。この「宙ぶらりん」こそ「自由の刑」なのかもしれません。
兄のチャーリー・ブラウンが素朴に自由の価値を信じているのに対し、サリーは懐疑的なようです。兄のビーチボールが海に流されて行くのを見て、「たった今自由を勝ち取ったわ!」(笑)。
でも自由を信じていないと、スポーツとかは楽しめないかもしれません。ラグビーボールの跳ね方が予測不可能なのを見て、「どこが面白いの?」とも言っています。

投稿: iris60 | 2014年2月18日 (火) 14時02分

サリーちゃんの苦悩。笑
人生って結局色んな場面で「選択」をしながら進んでいくわけですが、別の道を選べばよかったかなぁ。。ってしょっちゅう思い悩んでるんですね。でも、南さんのコメントにあるように、自分で選んでるんじゃなくて、何かわからないチカラが働いて勝手に選ばされてるんだ、って考えたら少し楽かもしれません。
サリーちゃんに「予測不可能な動きをするから面白いんじゃないの!」って上手く教えられたらいいのにな。

投稿: musataro | 2014年2月18日 (火) 23時19分

 最近また、職場でじわじわと疎外感を感じ
るケースが多くなってきている。なんとなく
ツライが、これも疎外感を感じる自由、塞ぎ
こむ自由、それを逃がしてやる自由と色々あ
るんだろう。どれを選ぶかは、自分次第。まぁ、人生の達人なら、流れに身をまかせ~
とやるんでしょうね。

投稿: せいじ しん坊 | 2014年2月18日 (火) 23時58分

すみません、もうひとつ。昔岩谷さんがr oで
書いていた事。「自由なんて浅薄な考えであ
る。自由なんてどこにも連れていってくれな
い。問題は何によって、不自由にさせてもら
っているかだ。」違っているかもしれませ
んが、自分はそう受け取りました。不自由に
なっても(時間をとられても)、それに足る
ものとは、何であるかということ。それを見
つけて実行すること。

投稿: せいじ しん坊 | 2014年2月19日 (水) 00時47分

他の生物は本能が壊れていないから、自然にフィットして生きていて、逆に自由にそして安定している様に見える。

投稿: bad | 2014年2月26日 (水) 17時05分

人間にとって自由は不可避的にあると柄谷行人は言っている(僕もそう考えていた)。

投稿: bad | 2014年7月10日 (木) 07時58分

@bad
どうにも、あんたの文章は短すぎる。変にもったいつけるのが好きなんですか。もっと、破れかぶれに、出て来て欲しい。とにかくもうちょっと、説明してくれなきゃ、何を言いたいのか、知らない圧倒的多数には、単に無意味である。

投稿: ohiya | 2014年7月10日 (木) 21時03分

すいません。何かしらんけど、長文が書けなくなってしまっているのです。努力が足りんのですかね。すいません。

投稿: bad | 2014年7月10日 (木) 22時53分

グウううううううむ。
実は実は実話、私の友達(オオヤではない)にも向精神薬を飲んでいる奴がいるのであります。だからbadさんの様子も、察することができます。悪かった、謝ります。
私も含め、「似たものは集まる。」といいますが、不思議な縁を感じます。それでもbadさんはブログに参加して繋がろうと努力している分、強いと思われます。ほんとに些細な自分の体験ですけど、対面販売をする必要上、私は一人で笑顔を作る練習を、車の中やトイレの中や職場でよくやります。無理やりの笑顔です。これを習慣ずけると、なんだか楽しく心にゆとりが生まれます。言うじゃないですか、「楽しいから笑うんじゃなく、笑っていると楽しくなる。」んだと。顔の表情を変えることによって、脳が全然楽しくなくても、楽しい状況なのだと読み込むそうです。勘違いでもどうでも、読み込んでくれればこっちのものです。badさんも、モノは試しとして、バカな、と思わずに少しずつ少しずつ継続してみることをお薦めします。かるはずみな意見かもしれませんが、私祈ってます。

投稿: ohiya | 2014年7月11日 (金) 02時13分

それと社会の現実にあまり触れていない事や集団の中にいない事もパワー不足の原因でしょうね。

投稿: bad | 2014年7月11日 (金) 09時46分

しかし昔は柄谷行人や浅田彰、岩谷さんぐらいの思考力はあったのに何もなくなってしまった。残念。

投稿: bad | 2014年7月11日 (金) 09時57分

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