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2014年1月 6日 (月)

またまた同じ出発点へ

そもそも、当時のドイツ国民の多くは、ヒトラーに対して、「??この男はなんか、おかしいぞ、ヘンだぞ??」とは感じていなかった。むしろ、単純に賛美していた。

IOCの連中たちに、福島原発の今後の危険性について、「完全に制御されている…under control」と宣言したとき、一部のインテリ層ではなく一般国民のレベルで「こいつ、おかしいんじゃない?」とは誰も思わなかった。だいたい、同じ職場の国会議員や自民党員すら、変だ、とは感じていない。まやかし経済政策を、賛美したりしている。

当時は、真珠湾攻撃に始まって緒戦の好調ぶりを、日本国民は賛美し、戦争を肯定していた。たまたま悲惨な負け方をしたから、その反応で一時的な反戦家になってただけだ。

日米安保や警察予備隊→自衛隊という欺瞞の推移、そして沖縄にまたまた、軍事的理由で大きな犠牲を強いていること。これらに関し今の日本国民は、強く否定し批判する意思を持っていない。みんな、平気な気持ちでいる。

中国や朝鮮半島に対して、本当にやるべきことに、気づこうとしない。短絡的に、「拉致問題解決」と、ありえぬことをほざいているだけ。いつまでもいつまでも。

短期的な気分でしかない反戦は、当人の思想にすらなり得ない。なんの力にもならない。

元の木阿弥。円環が、また出発点に戻った。

今度はいわゆる“南方”や“北方”ではなく、日本列島上各地で、みなさん、大量惨殺/虐殺されるがよろしかろう。で、その後また、「気分としてのそれにすぎない反戦(非)思想」を、ほんのしばらくのあいだだけ、持つんだろうね。

永遠の、反復アホやわ、おまえら。
そう言われてくやしかったら、まず、国民総意としての反安保で、立ち上がってみろ!


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コメント

どこかで死に対する恐怖があったんじゃないですかねぇ。当時のドイツや日本の国民は。本当の気持ちを言ったら殺されるという。

投稿: musataro | 2014年1月 8日 (水) 16時26分

原発をやめないのは、核兵器を持ちたいからだ。

投稿: bad | 2014年1月14日 (火) 20時05分

核兵器持ちたがるのは弱虫の証拠。丸腰で話して欲しい。それを言うと、すぐ「青臭い」とか言う。違うだろ。それが大人だろ。いつまでたっても戦争好きの男の世界は終わらない、、、と思います。

投稿: musataro | 2014年1月19日 (日) 00時47分

なんだろう、今日も底の浅い軽々しいバカ騒ぎが早朝テレビ放送を席巻していた。錦織圭の全米オープンテニス決勝直前だからだ。終わってもいないのにもう勝ったかのように、浮かれちぎっていた。バッカじゃなかろうか。錦織選手自体は、全然悪くはない。試合後の敗戦インタビューでは、素晴らしいコメントを残していると思った。上村愛子並に良かった。
どうもテレビメディアは、うさんくさい。戦争初期のラジオ放送もあんな調子だったんだろう。どうなんだろう、日本人ってあんなにお調子もんなのだろうか。恥ずかしいし情けない。最初の頃は、戦争もイケイケドンドンだったのだろう。そのほうが景気も良くなるし、戦争歓迎派が多かったのだろう。
ちょうどNHKの朝ドラも、戦争初期の日本を描いているが見事に今朝の調子とダブってしまった。なんか勢いのあるものの尻馬に乗って、美味い汁を、景気を良くしようという魂胆が見え見えである。もう一度言おう。貨幣経済下、景気がどんなに良くなろうとも幸せにはなれないのである。こっちが良くなれば、必然的に向こうは悪くなるのだから。逆に向こうが良くなれば、こっちは必然的に悪くなるのだから。
貨幣経済下なら、永遠に自由も平等もないのである。貨幣経済を乗り越えられない私たちはRAT RAceを走っているオロカである。

投稿: ohiya | 2014年9月 9日 (火) 23時42分

[変更]
自由も平等もないのである。→自由も平等も愛も誇りも、無いのである。

投稿: ohiya | 2014年9月 9日 (火) 23時57分

[追加]
底の浅い軽々しいバカ騒ぎ→なぜなら試合が終わった夕方のテレビには、なんとも寂しい放送量。バカか。だから軽薄と言うんだ。なんで勝つと決めつけた放送しか考えられないのか。これまでの試合内容とか錦織の説明とかあるだろう。もっともしっかり流して欲しかった、敗戦インタビューなんかどこも流してなかったのではないか。
そのインタビュー、なにが良かったか。やはり清々しかったのである。正直に、こだわりなく本当の感想をのべていたと思う。
とにかく朝あんなに浮かれて放送していたなら、その落とし前もしっかりつけて意味のあるトピックにして欲しかった。負けたとたん、無かったかのようにフェードアウトとは情けないし、うさん臭い。ケッ!

投稿: ohiya | 2014年9月10日 (水) 07時24分

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