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2014年1月20日 (月)

主格の助詞「が」と「の」

インターネットの上には日本語の文法に関するページやサイトがたくさんあるが、この問題に関する記述は見当たらないので、ここで説明(主にガイジン向け)を試行しておこう。

広告があるビデオ
広告のあるビデオ

上の二つの文で「広告」を動詞「ある」の主格にする格助詞の「が」と「の」の意味の違いは何か?

答(試行):
S+Vが次のnに対する修飾節であるときは、「の」を用いる。“広告があるビデオ”は日本語として間違いではないが、あまり自然な日常的な日本語ではない。

「が」が使われると、ビデオがオブジェクトとして孤立するが、「の」を用いた文では、“広告入りのビデオ”という全体がオブジェクトとして意識中で把握される。

花子が好きな音楽
花子の好きな音楽

等でも、同様である。

もっと面倒な問題は:

花子を好きな男
花子が好きな男
花子の好きな男

のような文における「が」と「の」の曖昧性であるが、これの考察は稿をあらためよう。説明が、む・つ・か・し・い!

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2014年1月10日 (金)

Anna Fedorovaのピアノ

速書きのためURLは省略するけど、YouTubeで検索すればすぐ見つかる。Anna Fedorovaが2010年ショパンコンクールの一次予選で弾いたショパンのエチュード作品25-11イ短調あだ名「木枯し(Winter Wind)」を聴いていただきたい。時間のある人は同じく一次予選のショパンバラード4番ヘ短調作品52も。

このポピュラーなエチュードがこれほどパワフルに弾かれるのを聴いたのは、これが初めてで、びっくりしてしまった。もちろん感動した。しかも、バラードもそうだが、音への気分の入れ方(フレージングの味付け)が…自然に、天性的に…うまいので、聴く人の心を深~くひきつける。

ピアノからものすごい音を出す女性ピアニストとしては、もう一人、日本在住歴10年を超えるIrina Mjouevaがいる。世代はAnnaより一つ上で、音楽の構造的把握/表現がすごいしっかりしている。長年バカにしていたショパンを、まじめに聴けるようになったのは、彼女のおかげだ。

どちらもそもそも、ショパンコンクールの審査員のおじさんおばさんたちのお眼鏡にかなう演奏ではないが、若いFedorovaにとっては、こうやって、自分の名と音楽を世界に知ってもらう好機となっている。

一方男性ピアニストは、戦乱や残酷な似非社会主義革命を経験する中で、それらへのアンチとしての「やさしさ」を純化精錬したWilhelm KempfやAnatoly Vedernikovの系列上にある、Annaと同じくウクライナ出身のVadym Kholedenkoがいる。このやさしさ路線上にはたしかにNobuyuki Tsujiiもいるのだけど、彼の場合まだまだ、自分の中の音楽性の完成度が低い(アホなマスコミ連中や人気便乗興行企画を全部蹴飛ばしてしまえ!!)。他者に自分の何かを伝えたい、という意思がまだ弱いようだ。自分だけで、ピアノを弾いている。

というわけで今回は、Anna Fedorovaのすごいピアノ音/演奏を、みなさまと共有することだけが目的の記事。

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2014年1月 7日 (火)

唯一の正しい経済政策

その前に、なぜ経済に対し政治からのコントロールやマネージメントが必要か? 市場と呼ばれる“見えざる手”に完全にまかせておくのがベストのコントロールでありマネージメントではないのか?

その答えは、経済の動きを自然市場にまかせておくと、貨幣という名の差異差異性が、どんどん、より峻険になり、経済全体を不活にし、やせ細らせるからである。今は地球上に、そんな“政治不能(インポ)国”がとても多い。

で、唯一の正しい、真の、経済政策とは、俗に言うと、「金回りを良くする」ことである。それを、貨幣供給量の増大、と理解すると、それは致命的な誤解である。

なお、どこかの国のバカ総理がやっている、その国の中央銀行の傀儡化→貨幣供給量の操作(量の増大による貨幣価値低下の推進)は、古い、不正な、邪悪な、最終的に負の効果しかもたらさない経済政策であるので、どの国も今や絶対にやってはならない。その国の経済の輸出依存度を高め、国民生活の困窮度を激化させるからである。政治は、貨幣供給量をいじってはならない。

真の正しい経済政策には、二本の柱がある。(1)ひとつは、資本アクセスの民主化の増大、そして(2)もうひとつは、フローに回る貨幣量の増大、である。

資本アクセスの民主化の増大には、失敗に寛容な+挑戦を奨励する社会の造成という文化面の施策も伴う必要がある。起業家~起業力育成施策も、もちろん必要だ。

フローの増大は、停滞ストック(==不良ストック)に回ってしまうような貨幣(例:ついに振り込め詐欺の手に渡ってしまうような)の、流動化を促進するのではなく(それはほぼ不可能だから)、そういう不良ストックの発生を防止し、それらのお金が、これまで、決して贅沢とは言えない消費~買い物すらできなかったレベルの者へ行くようにすることだ。いくつかの施策を組み合わせる必要があるが、その一つは、最低賃金(時給など)の底上げである。

#おい、ユニクロさん、最近の貴店の品物、どれもこれもひどいね! 衣類の安物は「安物買いのゼニ失い」の典型になるばかりか、着たときの気分も良くない。性能(例: 防寒性)も悪い。店員だって、安い時給でこき使えば、その質が低め安定して、やがて客がその店を敬遠するようになる。この冬の体験: 「おたくのSサイズって、身長はどれぐらいを想定しているの? 表示はないけど」、店員「……???……」(答えられない)。

私はもう二度と(抜本的アップデートがないかぎり)ユニクロで物を買う気はない。

インフレの激化に悪対応して、ますます安物を売るのではなく、真の良品を妥当な価格で売るのが、真の、長期的、繁盛策である。そしてもちろん、そこには、真の良品を平気で買える程度の額の時給の保証も伴う。

なんだっけ、そう、国の経済政策も、貨幣供給量をいじる邪悪な小手先細工は絶対に禁物。唯一しかない、真の王道を歩んでほしい。この記事に刺激されて、次期日本国総理になる人には。

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2014年1月 6日 (月)

人間の脳の構造と動作パターン(という永遠幽閉)が作り出しているもの

巨大加速器は(それ以上大きな加速器は現実的に作れないので)廃墟と化し、今のエジプトのピラミッドように観光資源にすらならないだろう。

という、現代物理学==同一パターンの無限繰り返し==“悪無限”説を書こうと思っているけど、いまだに、勉強のためのひまができない。誰か、私以外に、適任者がいるのでは、とも思うが。

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バッファリングという難問/コード評論家の必要性

Chromecastは、大小いろいろな問題や難点があるが、ずばぬけて最大のそれは、先行バッファリングをまじめにやらないので、数時間もするとその皺寄せがたまって“途切れ途切れストリーミング”になってしまうことだ。実用レベルでの、完成製品とは呼べない。

Webブラウザのレベルでも、バッファリング技術の差が顕著にでる。Mosaic → Netscapeの歴史を背負う最古の老舗Mozilla(Firefox)と、新人のくせにえらく評判の良いGoogle Chromeを比べると、我がやの「貧乏人のためのFTTH」(1本の光ケーブルラインを十数世帯で共用する)の上でも、先行バッファリングを上手にやるFirefox上では、ストリーミングの途切れ途切れ現象は起きない。Chromeの上では、頻繁に起きる。

*: Mozillaは、今日的Webブラウザの元祖Mosaicと、人気の日本映画Godzillaからの造語だ。

先行バッファリングとは、単純化して言うと、バッファAの内容を画面やオーディオ回路へ送り出している間に、並列処理~バックグラウンド処理として、その次の部分をバッファBに読み込み、そしてバッファBの内容を出力している間には、次のコンテンツをバッファAに読み込むのだ。言葉で書くと簡単だが、実際には面倒な問題がいろいろある。複数のバッファを一つのコンテンツが利用するときの、つながりのスムースさ、とか。

で先行バッファリング技術では、FirefoxとChromeのあいだに、人間国宝職人と昨日弟子入りしたばかりのガキぐらいの差がある。そして、それぐらい激しい、実用性を大きく左右する技術的大差が、Chrome WebブラウザとChromecastとの間にあるのだ。言い換えると、かなりひどいChromeブラウザよりも、Chromecastはさらにさらにひどい。安いとはいえ、有料商品でこれはない。

上手: Firefox > Chrome > Chromecast : 下手

Chromecastは、機体サイズがとても小さいから、メモリ搭載量の限界も、低いのかもしれない。

先行バッファリングが不要なぐらい、高品質なブロードバンド回線を独占利用している大金持ちなら、Chromecastを問題なく使えるだろう。

話は、もっと重要な話題に移るが、そろそろ

コードの評論家というものが、いてもよい。今、重要なソフトウェアの多くがオープンソースだから、たとえばこのChromeとFirefoxの先行バッファリング技術の問題も、そういう評論家が解析して、その結果を、ひまも能力もないわれわれに報告してほしい(もちろんGoogleの技術陣に対しても)。まじめな話、次の時代の有望職業のひとつが、コード評論家ですぞ。

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またまた同じ出発点へ

そもそも、当時のドイツ国民の多くは、ヒトラーに対して、「??この男はなんか、おかしいぞ、ヘンだぞ??」とは感じていなかった。むしろ、単純に賛美していた。

IOCの連中たちに、福島原発の今後の危険性について、「完全に制御されている…under control」と宣言したとき、一部のインテリ層ではなく一般国民のレベルで「こいつ、おかしいんじゃない?」とは誰も思わなかった。だいたい、同じ職場の国会議員や自民党員すら、変だ、とは感じていない。まやかし経済政策を、賛美したりしている。

当時は、真珠湾攻撃に始まって緒戦の好調ぶりを、日本国民は賛美し、戦争を肯定していた。たまたま悲惨な負け方をしたから、その反応で一時的な反戦家になってただけだ。

日米安保や警察予備隊→自衛隊という欺瞞の推移、そして沖縄にまたまた、軍事的理由で大きな犠牲を強いていること。これらに関し今の日本国民は、強く否定し批判する意思を持っていない。みんな、平気な気持ちでいる。

中国や朝鮮半島に対して、本当にやるべきことに、気づこうとしない。短絡的に、「拉致問題解決」と、ありえぬことをほざいているだけ。いつまでもいつまでも。

短期的な気分でしかない反戦は、当人の思想にすらなり得ない。なんの力にもならない。

元の木阿弥。円環が、また出発点に戻った。

今度はいわゆる“南方”や“北方”ではなく、日本列島上各地で、みなさん、大量惨殺/虐殺されるがよろしかろう。で、その後また、「気分としてのそれにすぎない反戦(非)思想」を、ほんのしばらくのあいだだけ、持つんだろうね。

永遠の、反復アホやわ、おまえら。
そう言われてくやしかったら、まず、国民総意としての反安保で、立ち上がってみろ!


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オトコ性の否定

サーカンプなどまでも含む、広義のいわゆるグラムロックの系列は、その後、今日において、どうなっているのでしょうか? というか、今出てくるとしたら、彼らとは全然違うスタイルで出てこないと、注目されないでしょうね。

もちろん、形式は音楽やステージパフォーマンスに限定されないけど。

むしろ、ボウイーやボランなどなどは、女性たちにパワーを与えたのかな?

それらは、一部の、新しい、ウーマンパワーへ転化したのだ、という気がしないでもない。
(バカ総理らを駆逐する力も、そのへんから出てくるかな?)

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2014年1月 3日 (金)

モバイル地獄

Nexus 10を買ったのはたぶん半年あまり前で、それはAmazonのeブックを読むために買ったKindleというデバイスが、それを“コンピュータとして”見た場合にはあまりにも不具なので、タブレットなら一応立派にコンピュータだろう、と想定したからだ。そこにKindleアプリ(無料)をインストールすれば、ebookは読める※。

※: だいたいそもそも、US Amazonは、パソコンの上のふつうのWebブラウザ上でKindleのebook(もちろん自分が買ったやつ)を読めるWebサービスをかなり前から提供している。日本Amazonは、何度リクエストしても未だに無対応だ。パソコン上~Web上で読めりゃ、まったく問題ないのに。ちなみに、私の買ったKindleハードウェアはAmazonに返品した。

しかしNexus 10もタブレットとしては大型でも、画面はパソコンに比べるとうんと小さいし、音楽の音質はお粗末だ。YouTubeなどの上の音楽ビデオを良い音質/画面で聴きたい/見たいときは、Nexus 10をHDMIケーブルでテレビにつなぐ手がある。今はまだ、インターネットテレビの普及前夜だし。

いちいちケーブルでつなぐのは面倒だが、最近はChromecastという便利なものがある。アメリカの雑誌等の一部では、2013年のハードウェアガジェット製品の最高傑作とも評価されている。USBメモリスティックより一回り大きい程度の小型デバイスで、そいつをテレビのHDMI端子に差し込んでおく。すると、ケーブル不要でNexus 10など、スマートフォンやタブレットからのコンテンツをテレビに送れる#。つまり、ふつうのテレビがインターネットテレビに変身する。それ自身は、インターネット接続なしで。

やっとそろそろ、この記事の本題に入れるが、Chromecastをテレビの背中に挿入すると、2~3のセットアップ作業がある。そのためにAndroidアプリを使う。セットアップ作業の一環として、そいつが今後使うネットワークを指定する。うちも含めほとんどの場合それは、自分ちが使っているWiFiルータ(WiFiアクセスポイント)だ。

ほんで、多くの場合、タブレットのキーボードは画面上に表示される仮想キーボードだ。タブレット上のChromecast設定用Androidアプリを使って、WiFiルータのアクセスパスワードをChromecastに教えてやるためには、当然、その仮想キーボードを使う。パスワードは、アルファベットと数字から成り立っている(うちのBuffalo製のルータはパスワードでなく、KEYと呼んでいる)。

話を分かりやすくするために、そのパスワードが:

a1b2c3

だったとしよう。仮想キーボードは、携帯電話~スマートフォン的なマルチキートップと、ふつうのQWERTYのどちらかを使える。携帯的キートップはあまりにもわずらわしいので後者を選んだが、それでもなお、かなりマルチキートップ的だ。

キーボードの左下に[あA1]と書かれたキーがあり、これで仮名漢字、アルファベット、数字を切り替える。しかし数字は、アルファベットキーを長時間押すことによるマルチキートップでも入力できる。

で、ここが問題:数字まじりのパスワードが正しく入力されるためには、[あA1]選択方式で数字を入力するとだめ。正しい数字が入力されない。アルファベット状態のままで、マルチキートップを利用して数字を入力すると、正しく入力される。目で見て、両者の違いは分からない。このことが分かるまでに、午前中の3時間を無駄に浪費し、ルータの側面ラベルを何度も見直すなど、苦労した。目にはまったく同じに見える、アルファベットキーからの数字と、テンキー的仮想キーボードからの数字のデータとしての違いは、そうやって作ったファイルの文字コードを調べれば分かるけど、そもそもモバイル機器(携帯、スマートフォン、タブレット)上では“ファイルの作成と保存”という、もっとも基本的なコンピュータ作業ができない。

手もとにあるNexux 10をはじめ、モバイルにあまり近づきたくないのは、それらが一般的に、文字、言葉、テキストというものを虐待しているからだ。いくら今の女子高生が“親指入力が得意”とは言っても、それでマルチキートップを駆使して長文をすらすらと作成することは不可能に近いだろう。

さて、やっと使えるようになったChromecastだが、これにも問題がある。その話はまたの機会に。

#: “スマートフォンやタブレットからのコンテンツをテレビに送れる”、と上で書いたが、Chromecastの動作の説明としては間違っている。スマートフォンやタブレットがChromecastに対してしてやることは、コンテンツのメタ情報(アドレス、タイトル、など)を教えてやることだけである。あとはChromecastがYouTubeなど各サービスのAPIを呼び出してコンテンツをテレビへストリーミングする。だからそのためのアプリケーションが今Chromecast内にあるコンテンツサービスしか、利用できない(その中には現状、日本ではだめなのもある)。タブレットなどのコンテンツアプリ(YouTubeアプリなど)から、停止、再生、音量などのコントロールはできるが、上に書いた事情から、アプリを閉じてしまってもChromecast→テレビへのストリーミングは、なにごともなかったかのように続く。

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