またまたコミュニケーションレス
このブログのコメントにもそういう人がときどき登場するけど、自分がその脳中心中に持つ意味体系~語感体系に基づいて、自分以外の人の言葉を批判する悪習を、今の日本人の99%が持っているのではないか。しかも、それにやけに自信というか強威をひけらかす背景には、背後には、何らかの(実or仮想)共同体帰属意識がある、と思われる。ピュアに個であれば、その態度はありえないだろう。
自民党の政治家には尊敬も肯定的関心も持てる人は一人もいないけど、「ある一人の人物」と一般化抽象化したうえで言えば、その人の意味体系においては、テロという語の意味は、terrorという英語のいちばんふつうの意味、つまり、恐怖とか、人に恐怖を与えるもの、という意味のようだ。ちなみに私は、時事用語ないし歴史用語としてのテロは、殺害や破壊ないしその意図を伴うものである、という意味体系を持っている。だからWTCの特攻(←旧日本軍用語)破壊も、マララちゃんら下校時の女子生徒への襲撃も、(このところ書いていくときりがないが)、リッパに、私の意味体系ではテロである。たいがいのデモは、殺害に関わらないから、私の意味体系では、武道館で使うようなアンプを使ってスローガンをわめいたとしても、それはテロではない。
しかしその自民党の某議員においては、でっかい声で叫ぶのは(少なくとも自分に対し)恐怖を与えるから、テロの範疇に属するのである。だから、何も問題ないし、批判すべき筋合いもない。ちなみに、私なら、うるさい!とは感じても、恐怖は感じないだろう。でも、恐怖を感じる人がいたって、いるんなら、しょうがない。どっかのおばあちゃんも、大声デモには恐怖を感じるかもしれない。恐怖を感じただけでは、それは私の意味体系(上述)ではテロではない。
ぎゃあぎゃあ批判する人たちは、その某議員が、自分たち(==彼らなりの仮想共同体)と同じ意味体系でテロという言葉を理解し使用している、と勝手に誤解している。自民党も大嫌いだけど、おまえらも大嫌いだ。コミュニケーションレス、コミュニケーション不能のくそったれども。
もちろん、法律の文面などにテロという言葉が登場するときには、審議過程においてその定義を具体的詳細に明らかにしなければならないことは、言うまでもない。武器爆薬兵器等を携行しない、人の体や建物などに危害を与えない/与えようとしない、デモンステレーション行進・集会はテロではない、などと。
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コメント
私自身は、いかなる(実or仮想)共同体にも帰属しないピュアな個人などというものは存在しないと考えますが、特に日本の場合、異なる意味体系を持つローカル共同体どうしを媒介する、さらに上位の神がいないということが、いわゆるタコツボ社会が変化しない主因かと思われます。
意味と意味を突き合わせて優劣を判定する神がいない以上、最終的な決定権を持つのは「声の大きさ」(炎上?)ということになります。今回の与党幹事長も、世論の炎上に負けて発言を撤回した。
もっとも、なにひとつ抵抗もなく粛々と事が進むよりは、たとえ幼稚であっても「炎上」はあったほうが良いと私自身は考えます。
投稿: iris60 | 2013年12月 2日 (月) 21時44分
@iris60
> ピュアな個人などというものは存在しない
肉体的生活的には何らかの共同体に属していても、意識の上では個を維持している人はけっこういます。どちらかというと、女性に多いような気がする(日本にかぎらず)。長年、男性主導共同体の犠牲者だったせいか…。
グローバルに言って、これからの新しい知性と、良質なコミュニケーション能力の基盤となるものは、そのような、‘意識として持つ個’であり、それ以外には、ありえません。
> 発言を撤回した。
これも前から言ってることですが、発言を撤回したり修正したり謝罪したりすることも、相手側のコミュニケーションレスとまったく同レベルの間違いであり、不誠実な、正しくない態度です。
投稿: iwatani | 2013年12月 3日 (火) 08時28分
今日、学んだこと。
ここで話題になっている例で わかること
その、もうひとつは
彼が、テロのことを、はっきりイメージ
出来ていない、ということ。
だって、デモは、示威運動なんだもの
simomitu
投稿: 下光博之 | 2013年12月28日 (土) 19時41分