Facebook, Twitter, etc. == 糞
今のいわゆるソーシャルネットワークと呼ばれるネットワーク利用形式には、本質的な違和感と本質的な批判を感じてやまないが、ここではFacebookのfriends(友だち)について:
ネットワーク上で遭遇する人は、対話的関係の有無にかかわらず、デフォルトでは原則として全員が、友だちじゃ。
そう覚悟してなきゃ、健全で主体的で前向きで発展性のあるネットワーキング生活は送れない。
分かったか! くそったれども!
Twitterのフォロワー/フォロイー関係についても、ほぼ同様。※
古い俗世間世界の、友だちである・ないの区別概念を、そのままオープングローバルネットワークに持ち込むなんて、アホの骨頂じゃ。
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このテーマと直接の関係はないが、この記事、やはりこれも、他者(ここでは犬(そして生物的自然))と自己との関係を誤解している人の談話だよな。
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グローバルネットワーク、グローバルコミュニケーションはこわいという、ネットワーキング不適性矮小人間が矮小なまま利用できるのが売り。それが、ソーシャルネットワークの正体。すなわち、ネットワークそのものの矮小化。だから、アホな小人(しょうじん)どもに、受ける。そうではなく自己とは、一人で大宇宙と相対(あいたい)している、それ自身がまた大宇宙なのである。だからこそ、みんなが、誰もが、友だちである。SNSが作り出す閉鎖的小集団は、不健康そのものだ。
完全オープンである点では、昔のフォーラム(掲示板)の方が、オープングローバルネットワークの利用形式としては健全だ。
※FacebookやTwitterでは、たとえば名もなきz国の名もなきaさん(ら)が、重要な問題を世界中の人に訴えたいとき、どーすればいいのだ? なんもできないではないか、友だち、フォロワー/フォロイーの枠内でしかコミュニケーションできないのでは。だからこれらは、糞だ、としか言いようがない。現状は糞まみれの、オープン(でない)グローバル(でない)ネットワーク(でない)、インターネット。
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