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2013年9月21日 (土)

格差社会

すでに何度も何度も言ってきたことだが、貨幣の本質、貨幣が持つとされる価値の正体は格差なので、貨幣を否定しないかぎり格差社会はなくならない。貨幣が価値を持つためには、大きな、悲惨な格差が、そのベースに(==ローカル&グローバル社会の底辺に)必要である。

人間社会は貨幣を捨て、コミュニケーションと、相互協力と、「あるところ」から「ないところ」への無償提供によって、われわれは社会を構成維持しなければならない。

(同じことを何度も書くのは、言い方の違いで分かる人が増える可能性があるから。)

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対象知

対象知のまずいところは、「対象」というものが実は存在しないことにある。対象的存在と思われているものはすべて、人間の影である。これからの正しい知は、人間が人間の本性を知る知でなければならない。そこから、自然科学の倒錯が明らかになり、また、その倒錯を人間に適用しようとする、倒錯の倒錯、たとえば「科学的ABC」「科学的XYZ」などなどの悲惨とその原因も明らかとなる。

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2013年9月19日 (木)

蜘蛛

生物のそれぞれの種を作った神々の中で、最高の天才、“異才”とも呼べるほどにユニークな天才は、蜘蛛を設計した神様である。とにかくあれは、凡人、いや凡神の頭には絶対に浮かばない不思議な生物形だ。それに対して、もっとも劣悪な鈍才神の第二位は(第一位は戦争と差異(a.k.a.貨幣)という二大悪の大好きなヒト科オトコ目という生き物を作った超悪質変態神)、蚊を設計した神様だ。温血動物の血液を少々いただくために、提供者に不快なかゆみや病原菌、病原虫を与える合理的な理由は、どこにもない。その第二位鈍才神は、悪意に満ちた悪戯神だ。wicked prankster.

このところの急激な秋寒となると、蚊は寒さに弱いので大挙して人間の居室に避難してくる。

ある日の夕方、洗濯機の横の小窓に、そのような蚊が数匹とまっている。うちは猫も多数いるし、その食べ物もあるので殺虫剤はほとんど使わないが、それまで手や足をさんざん食われてかゆくて不快だったため、噴霧式の殺虫剤を、それらの蚊に対してちょいと噴射した。

それまで私の視界になかった、草色の小さな蜘蛛が、窓枠上部から、自らの糸を使ってゆっくり降りてきた。

このあたりは、植物や昆虫の種類が多いだけでなく、蜘蛛の種類も、大小さまざま、とても多い。外だけでなく、家の中にも大から小まで、いろんな種類がいる。

そしてその小さな草色の蜘蛛は、しばらくもがいていたが、やがて死んだ。

とても後味の悪い殺虫剤噴霧行為となってしまった。

そのときは、私の脳に、救済策は何もひらめかなかった。今考えると、スプーンですくって、水を張ったボールに入れて、全身を洗ってやれば、もしかして…。いや、だめか…。

無辜の幼い人畜無害な魂(一個の立派な“自己”)を、無意味に殺してしまったことは、本当に後味悪い。しかも、取り返しがつかない。

ほかには、何も言えない。


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2013年9月18日 (水)

マスメディアの大誤解大倒錯(続々)

なんか毎日忙しすぎて、あっという間に寝るべき時間がきて、寝た気がしないうちに起きるべき時間が来る、という毎日を繰り返している。ブログの更新などの余裕がない。死期が近いと思われる要介護老犬のせいも、あると思われる(短い記事の翻訳をやっていても短時間で次々とインタラプトが入る、夜中におしっこのリクエストで何度も起こされる)。

で、未来のコミュニケーション有能人種から見て、彼らがいちばんあきれけーる今日のコミュニケーション不能人類の現象が、メディアの使い方だろう。その使い方は全然、メディア、すなわちコミュニケーションの媒介機能になっていない。むしろ彼らはコミュニケーションへの封印を毎日大量生産している。

なぜ、「番組」という名の封印が毎日量産されるのかというと、今の人類はコミュニケーションが怖いのだ。だから、抑え込んでおきたい。必死で抑え込む。べったりと。おかげで、メディアという巨象はいまだに、自分の力で立ち上がり、歩き、走ったことがない。永遠の抑え込まれ状態の中にいる。

インターネットは、原理的にはpeopleにpowerを与えたと言われるが、しかし今の支配的な使われ方は、このブログなどで何度も批判してきたように、巨大サーバがのさばる、それまでのマスメディアの類同形だ。

巨大、おっと、強力サーバは、各個人が一台ずつ、原則として全人類が持てば、それで十分だ。その上で超汎用的なpeer to peerの通信~コミュニケーションプログラムが常時動いていればよい。各人の、脳の延長として。

しかしawarenessの向上を導くものは広義の教育だ。
こんなブログ記事を細々と書いていても、らちあかないなぁ、と最近はつくづく思う。
とにかく、なんか、もっとましな展開を考えないといけない。
まだ妙案はちっとも浮かばないが。

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