マスメディアの大誤解大倒錯
若者の新聞離れとかいうけど、とっくに若者でないわたしらでも、新聞はとっくに読まない。犬猫用の重要資材として、よそからいただいているばかりではわりーから、一つとってるだけだ。たまにその紙面をつくづく見る機会があると、気持ち悪くて吐き気がしてくる。もはやそこには、コミュニケーションのコの字もない。うちの近所の家も、若者ではないけど新聞は土日だけとっている。ラテ欄が目的かな。
テレビはとっくにくだらなくて気持ち悪いけど、長年それが続く(革命革新がまったく起きない)のが気持ち悪さを増幅する。頽落の度合いが、むしろひどい。常連のお笑いタレントしか、番組を番組としてもたせられなくなって、テレビはもはや彼ら専用の草刈り場だ。末期症状。
で、コミュニケーション不能人種の初期誤解初期倒錯は:
マスメディアの物理的製作保有者(1)==コンテンツ制作提供者(2)
という大誤解大倒錯だ。
マスメディアのコンテンツ提供面での利用者は、設備のオーナーではなく、「万人」であるべきなのである。言い換えるとマスメディア機材設備は、公共財である。電力をめぐる最近の議論にも似て、上の(1)と(2)は完全分離すべきものである。
でマスメディア、すなわちブロードキャストのための設備機械は、原則としてof the people, by the people, for the peopleにて利用されるべし。万人の公共財であるから、われわれ下々(しもじも)の者にも、十分な利用機会がなければならない。ニュース報道はどうする、なんて、そんなんインターネットの方がmuch much betterである。
以上をみんなが正しく理解したら、マスメディアは初めて、気持ち悪いものではなくなり、真にわれわれが生きるためのツールへと変身する。タレント、アナウンサー、等々は全員失業となり、世の中すっきりする。
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コメント
そうなればスターの居ない世界が現実化する。
スターの居る世界の方が異常、と言うことに人々が気づく。
やっとジョン・レノンは成仏できる。
投稿: みなみ | 2013年8月23日 (金) 08時14分
マスメディアも貨幣も、その物神性の源泉は媒介性(メディアですな=同義反復でスンマセン。)にあるのですが、マスメディアのほうは、インターネットによって今まさに空洞化が進行しているわけです。
「メディアからコミュニケーションへ!」これはもう、キャッチフレーズ(*)としていささかキマり過ぎな感があるものの、間違いなく、正しいことを言っていると思います。
とはいえ、いわゆる「トンデモ情報」の選別がわれわれ一般人にとって大層困難なこと、さらに言えば、情報というのは何らかの加工を経てはじめて受容可能なものなのだとすれば、そうした選別・加工をする「ジャーナリズム」の役割はむしろ一層重要にならざるを得ません。そこでの「コンテンツ制作提供者」であるジャーナリストは、元来は特定のメディアに属さないフリーランスのほうが格が高かったはずで、今は、そういう本来の状態へ正常化していく過渡期なのでしょう。
(*)国家的ショービニズム、宗教、マスメディア、ロックスター(笑)等々への物神崇拝(フェティシズム)から、そのつど、憑き物が落ちるように覚醒することが大切で、だとすればこのキャッチフレーズは「フェティシズムからコミュニケーションへ!」と一般化されます。でも、日常の、様々な「プチフェティシズム」は、むしろより重大な物神崇拝に陥るのを予防する効果があるのでは? あらゆる「ホビー」がそうですが(笑)。
投稿: iris60 | 2013年8月24日 (土) 11時54分