「人間」と「共同体」の乖離
蟻や蜂の生態について全然詳しくないけど、ざっとした印象としては、彼らの生にとっては「共同体」がすべてであり、それぞれの個体において、「自己」とか「個」とか「個の尊厳」という概念はまったくないと思われる。個体は、ときどき戦闘したり戦死したりすることも含めて、共同体維持のための機能をまっとうするのみだ。(違ってたらごめんなさい、蜂さん、蟻さん。)
また、今でも地球上の一部地域では、日常的に頻繁に大量殺人やそれらの結果としての大量死が生じているけど、これまた、いずれの場合も、彼らの一般的な認識としては、「個」に起きている事件ではなく、あくまでも彼らが属する共同体に起きている事件なのではないか。相当古代から人間の生活基盤は共同体であり、そして戦争は共同体が共同体としての自己意識を持つための重要な(ほとんど唯一の)契機だった。
た・だ・し、タイトルに『乖離』と書いたように、そんな共同体的殺し合いにおいても、今では、それをたいへん迷惑と感じている人びと==個が芽生えている人びとが少なからずいるはずだ。実際、中には金と運と縁に恵まれている人たちは、欧米諸国などに亡命したりする。恵まれていない多くの人は、現代世界をもっとも先鋭鮮烈に象徴する存在たる“難民”になる。さて、日本人難民化の危機の土壌を作り出したくてたまらない変態は、どこの誰?
もしかして過去には、全日本人の意識を「皇国共同体」が支配していたのかもしれない。そこで戦死は、本気で、共同体のための死、”お国のための死”として肯定できたのかもしれない。想像で言うにすぎないが。
個の自覚の伸展、意識の共同体離れは、生活のグローバル化の伸展と並行している。
こちとら、世界中のいろんな人と仲良くしなきゃ、食っていけないんだよ、生きていけないんだよ。戦争なんかやってる場合じゃねーや!。
ではなぜ、自民党は旧態依然たる古くさいタカ派が多いのか?
それは、日本各地に暗く蒙く蟄居するノングローバル・イナカモンが、彼らの主たる票田だからだ。
彼らの中では、日本は共同体である、共同体でなければならない、絶対的に!。…いやはや、とんでもないアナクロニズム。オクレテルー!、ズレテルー!。
アメリカでも、議会がときどき共和党多数になったりしがちなのも、日本と同じいわゆる一票の重さの格差により、超ローカル田舎保守が、ゴロゴロ選ばれてくるからだ。都市住民の票が正当な重さを持てば、オバマ氏の党が議会でも多数派になり、国民皆保険はとっくに実現していたはずだ。銃規制は、自分が暗殺されないようにやるのが、難しそうだけど。
(本稿未完)
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コメント
寄らば大樹のかげ。
何かに属することの快感。安心感。
自立&自律できない者たち。
「弱者は群れるから強い」という逆説。
投稿: みなみ | 2013年8月12日 (月) 17時19分
共同体は無意識。
投稿: bad | 2013年8月13日 (火) 13時01分
ほんと、田舎のおっさん達は自民党が好きだからなぁ。
おぼっちゃまの暮らししか知らないハトさんでも困ってしまいますが。。。
投稿: musataro | 2013年8月14日 (水) 08時08分
うろ覚えなのですが、有名なSF小説「日本沈没」で印象に残っている場面があります。
いよいよ日本列島が海に沈むのが確実ということになって、時の総理大臣が政界の長老(安倍ちゃんや麻生ちゃんのお祖父さんクラスの世代のヒト?)におうかがいを立てに行きます。そこで提示されるその後の政治の選択肢の最後のひとつが、(国民を海外へ救出・避難させるような事は)「何もしないほうが良い」というものでした。
日本人ははるか昔からこの小さな弧状列島にへばりついて生きてきた。かつて一度もこの島を離れたことのない日本人が、今更この島から逃れて難民として世界中に散り散りになって生きていくことなど不可能。もし列島が海中に没していくなら、日本人もまた同時に海の藻屑と消えていくべきであり、そのほうが日本人にとって幸福なのだ、と。
難民化ほど究極的な個の確立の契機はありません。岩谷さんの「こちとら、世界中のいろんな人と仲良くしなきゃ、食っていけないんだよ、生きていけないんだよ。戦争なんかやってる場合じゃねー」という思想の確固たる基盤は、戦後の引き上げ時の難民体験という「三つ子の魂」にあるのは間違いありません。
さて、そうした究極体験の無い、20年近く年下のヘタレである私の三つ子の魂はなんだろうか? と悩むのですが、ただもう、まったく伝統的共同体のしがらみとは無縁に育ったデラシネであるにもかかわらず、結局自分には「天皇陛下万歳!」しかないのかなぁ、とその共同幻想の力(それがどこから来るのか自分にもわからない!)が、歳ごとに強まるのに驚かされるのです。
アメリカ合衆国は、そもそもが移民(難民)達が作り上げた人工国家なので、移住前の旧大陸での地縁、血縁や宗派を紐帯とする共同体と、連邦を束ねる国家は理念上対抗関係にあります。メイフラワー号共同体(?)の血を引くリバタリアンは連邦政府の干渉を忌避して国民皆保険に反対し、キリスト教保守派は個人が銃で武装する自由を手放しません。「伝統的保守」が先鋭に国家主義と対立するという点で、伝統的共同体とお上を頂点とする階層構造が理念上対立を持たない日本とずいぶん違うなぁという印象です。
日本ではほぼ保守派=国家主義であるか、少なくとも両者の間にアメリカのような対立はありませんし、仮にそのどちらでも無くても、たとえば国民皆保険に反対する声を日本で聞くことはまずありません。国家のパターナリズムにほとんどの人が抵抗感を持たないこうしたメンタリティーが、日本人のグローバル化を阻む要因のひとつであることは確かかと思われます。
実際に日本列島が沈むことはないにせよ、似たような事態は目前に迫っています。人口減少に対する対処法のグローバル・スタンダードは移民の大規模な受け入れですが、日本人が、ついに「社会はコミュニケーションによっては成り立っていない、今後も成り立たない、と信じている」とすれば、この社会は結局、最後まで移民を受け入れないかもしれない。とすれば、3〜4千万の人口で自給自足に近い定常社会=江戸時代2.0に向けて、可能な限り摩擦の少ない移行を可能とする方策を探ることに、努力を傾注するしかないのではないでしょうか?
投稿: iris60 | 2013年8月14日 (水) 08時33分
岩谷様。共同体に固執する人間には氏が指摘されるオクレテル故のタイプとは別に、共同体を維持し続けることによって大変に儲かるということを十分自覚している人達が沢山いて、そしてその彼等こそが本丸で手強いと私は考えていますが、彼等を仮に集団Bとしますが、残念ながらBには氏の批判の矢は届かないと思います。iris様。私には文化による被拘束力は然程強力とは思えません。私はウェーバーも読んでいないしマルクス主義者でもありませんが、当該社会のエンジン部分を担う人々の大部分は大抵のことは金で方がつく、つまり勝ち組になりさえすれば何の問題もない、と考えているのだと思います。お分かりのとおり彼等は前述の集団Bに他なりません。因みに氏が言及された日本人の島国根性の正体は天皇があーたらというよりも単に我々が日本人とされる人間以外には通じない言語しか使えないという、テクニカルな理由に帰着するところが実体により近いと考えます。
投稿: エクセル | 2013年8月14日 (水) 18時12分
@エクセル様
おっしゃることはごもっともで、結局、最終的には弱肉強食・適者生存で片が付いていくほかないのだから、何か文化論のようなことを言っても、それは所詮衒学的なヒマつぶしに過ぎないと言えばその通りなのです。
お説を読んで、ふと35年前の岩谷さんのレコード・レビューを思い出しました。ピンク・フロイドの「アニマルズ」ですが、犬と豚と羊の3曲がはいっており、犬は苦悩するインテリゲンチャ、羊は労働者階級で、豚は強欲な資本家たちというわけ(笑)。
岩谷さんは、「豚に向かってお前たちはブタだ!などと言ったところで、豚の側からすれば、ヘヘンとせせら笑って終わりだろう」というような事を述べておられたように思います。まあ、「共同体を維持することによって利益を得ている」、たとえば規制に守られた既得権者のようなヒトは、いわゆる資本家とは限らないですが…。
あとひとつだけ、日本語というローカル言語の問題ですが、お説の通り、単にテクニカルな問題であることは確かであるにせよ、このテクニカルな壁が、実に、実に克服困難なのであります(笑)。
投稿: iris60 | 2013年8月14日 (水) 19時22分
たくさんレスいただきましたが、とりあえず一つだけ:
> 共同体を維持し続けることによって大変に儲かるということを十分自覚している人達が沢山いて、
正しくは「儲かる」ではなく「儲かった」です。そして今でも儲かると幻想し、その過去状況の再来を期待しています。だから私の言うオクレテル・ズレテル人たちの一員です。集団Bとか言う別物ではありません。
私個人の批判がどうとかよりも、日本においても私の言う「乖離」が、今後どんな力学をたどるか、ですね。唯一重要なissueは、そこだけです。そしてそこに、希望の源泉もあり、短期的には絶望の源泉もあるかもしれません。
投稿: iwatani | 2013年8月14日 (水) 21時14分
iris様。私の言いたいことは冒頭にまとめていただいたとおりです。超然と浮世を眺めそして「それで事足れり」とする姿勢、もし我々にこういったものがあるならこれは我々が克服すべき欠点だと思います。岩谷様。説明いただきお説、より理解できたのではないかと思いますが、半分のみ賛同させていただきます。オクレテル集団Bの欲するモノを金、というコトバから言い換えれば、おそらくそれは(他人に対する)勝利又は自己実現という「夢」ではないのか。冷笑も批判も夢の前には無力です、とりあえず。
投稿: エクセル | 2013年8月17日 (土) 04時18分
@エクセル
えっと、手短に:
> 冷笑も批判も夢の前には
前の私からのレスレスで明言したとおり、このスレッドのmain issueは、批判云々ではありません。それに、旧夢にしがみついている連中も、殺られるタイミングが来たらちゃんと殺られておしまいです(その“殺られ”は、とくに地方レベルでは、すでにかなり進行している)。だから、エクセルさんがいちいち心配してあげる必要はありません。
@iris60
> 戦争なんかやってる場合じゃねー」という思想
これは私個人の思想や発言では全然ありません。共同体からの個人のグローバルな乖離、ということを表す、単なる一般的な説明文です。もちろん私個人の仕事の対象も、もう何年も前からグローバルですが、それはいまどき、そんなに特殊な現象でもありません。
★しかしもしかして、お二人とも、個の共同体性からの乖離ということが、自分自身や、あるいはご家族友人知人などに起きつつある現象として、全然理解できない立場におられるのではないか? どうも、そんな気がしてきた。
この記事自体は、そういう人びとに贈るエールのつもりなのにね…。とんでもない誤解ばっかしされちゃって。
投稿: iwatani | 2013年8月17日 (土) 07時57分
@エクセル様
iwataniさんのレスとかぶる部分もありますが…
「社会のエンジン部分を担う人々の大部分」が Money making のような「(他人に対する)勝利又は自己実現という「夢」」に没頭できるような時代であれば問題ないのです(笑)。でも、そういうアメリカの1920年代のような時代はもうこれから先、来そうもない。(新)自由主義的な主流派の経済学は、規制や法人税の撤廃でかつての Golden years を取り戻すことを目指しますが、これがうまくいきそうもないのは、背景に、資本主義全体がグローバルな「大停滞」の時代に入ったことがあるのではないでしょうか? ようするに、儲からなくなったのですね。
日本全体として見れば、起業を目指す日本の若者はむしろ減少し、海外を目指すことすらなくなってきた。ここからはまた文化論で恐縮ですが、日本人に「資本主義をやれ!」というのは、例えて言うなら、羊を草原に連れて行ってウサギや野ネズミを獲って食え! というようなもの。羊は黙って足元の草を食み始めるほかないわけです。
ミクロで言えば、ユニクロの柳井さんやワタミの渡辺さんのような成功者も続々と出るでしょうが、マクロ的には、むしろ大多数の人々が黙々と草むしりをする勤勉革命型のモデルが長期的に復活していくほかないのではないでしょうか?
@iwatani
これから先、グローバル化が進むことはあっても後退することはありえないのは確かです。でもそれは個々人にとって、否応無く、逃れようもなく降りかかってくるものであって、「エールを贈る」と言われても困ってしまうのではないでしょうか?
投稿: iris60 | 2013年8月17日 (土) 11時09分
@iris60
例によって手短に:
1.もう、「日本人が」(なになに人が)資本主義をやる、という時代ではないです。全員が、グローバルコンプライアンスを身につけていかざるをえない。オリンパス流儀は、二度と許されない。
2.エールを贈るのは、そういう事態を前向きに、肯定的に、未来的に意義あることとして、お互い、生きていかなくてはならないからです。インターネットは、気持ちをshareする場です。
投稿: iwatani | 2013年8月17日 (土) 14時05分
iris様、岩谷様。沢山お話しにお付き合いいただきありがとうございます。私からはこれで最後にします。iris様。侵略は一般に被侵略者がそれを望まなくとも勝手に向こうからやってくるので草を食んでいる方が向いていようがいまいが関係ありません。それとフロンティアは既に存在しないという認識は誤りだと私は考えます。cf.インド、中国、アフリカetc.。岩谷様。個の共同体からの乖離等ということが黙っていても進行していくなら何も苦労はありません。私が危惧しているのは共同体による包摂、端的にファシズムです。★私からみるとお二人は楽天的に思われます。私のレスもそのようなものになっているかと思います。しかし今後とも此方にお邪魔して勉強をさせていただきたいと思っておりますので宜しくお願いします。
投稿: エクセル | 2013年8月17日 (土) 20時00分
@エクセル
> 私からはこれで最後にします。
そうですか。ほっとしました(笑)。
> 私からみるとお二人は楽天的に思われます。
何度も何度も、あなた独特の乱暴な誤読。このスレッドは、起点において、現代の世界では乖離者が往々にして移民や難民(~亡命者)になることを指摘し、日本人にも将来的にその危機がありうる、と述べています。またコメントのレスでは、「乖離者は希望の源泉ではあるが、短期的には絶望の源泉であるかも」と書いています。言い換えると私は、このissueに関して、楽天的の対極にある人間です。どこからエクセルさんのそんな、途方もない誤読が出てくるのか、不可解です。要するに、頭もココロもザツにできてるんだね、あなたは。
ここがコミュニケーション大学なら、エクセルさんは最初の1年ぐらい、補習科でしごいてあげたい。残念ながらそんな場もひまもないので、せめて、これやこれでも読んで、よくお考えください。前回の、マルクス的な論理は倒錯…のときも、エクセルさんのコメントはひどかったなぁ。
投稿: iwatani | 2013年8月18日 (日) 13時39分
統合失調症のドーパミン仮説というのがあるが、ドーパミンを薬で抑えて患者をアホにしているだけじゃないか。何しろドーパミンは、学習と意欲に非常に関連してるからねえ。
投稿: bad | 2013年8月23日 (金) 22時13分
そして、精神病院とは共同体から排除された人が入る所だ。中には20年も入っている人や、薬で発狂した人もいる。
投稿: bad | 2013年8月26日 (月) 00時02分