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2013年8月 8日 (木)

My Hiroshima

父親の転勤で引越のやたら多い子どもだったが、小学校4年生から中学1年までは広島にいた。ちなみに、転校が多いために、学校におけるいじめの本質をいち早く経験的に知った数少ない日本人の一人になれた、と思っている。えっと、それで、広島だけど、今は広島市の一部だが、当時は広島市の隣町のそのまた隣町で、ただしバスで広島市の中心街などへ行くのは簡単だった。ちなみにその隣接隣町の国道沿いには「東洋削岩機」という大きな工場があって、炭鉱夫が石炭を掘るための削岩機を作っていた。それがやがて、自動車メーカー「マツダ」になった。

で、広島市で休日などに頻繁に訪れたのが、原爆記念公園(a.k.a.平和記念公園)内にある、完成直後の児童図書館だ。

[工事中]
Koujichuu

[外観1]
Gaiken1

[外観2]
Gaiken2

[外観3]
Gaiken3

[内部1]
Naka1

[内部2]
Naka2

[内部3]
Naka3

それで、今回の話題は、当時は「平和記念公園」という希薄な響きの言葉はなかった。みんな、「原爆記念公園」と呼んでいた。行政の正式名称は何だったか、知らないけど。

それから児童図書館は当時はみんな、「原爆のキノコ雲の形を模したデザイン」と呼んでいた。マスコミもそう書いていたと思う。それが、今ではそう呼ぶことが暗黙のタブーになっている。美しい建物を、早期に解体撤去しちゃったことも、すごーくアヤシイ!(下に添付した資料参照)。

広島は今も、当時と変わらず「悲の町」だ。空気全体が、悲しみ色をしている。それが、子どもたちの心を包んでくれていた。私も包まれて、読書を楽しんだ。

広島(など)の大量死という高いコストで作られた、世界初の平和憲法、不戦憲法を、いまさらコケにするようなおバカ政治家は、絶対に許せない!

平和記念公園、ではない。原爆記念公園だ。
朝顔の花のデザインではない。原爆のキノコ雲の下で子どもたちが読書にふける場所だったのだ。

<<参考資料>>
JICA横浜 海外移住資料館 研究紀要第4 号(2010年3月発行)
<研究ノート>
広島の戦後復興支援 ― 南加広島県人会の活動を中心に ―
長谷川寿美(東海大学・非常勤講師)

丹下健三の設計により完成した児童図書館は「人々の意表を突く形状」で、初代館長の田淵実夫の表現を借りれば、「じょうご型の筒柱を中心とする総体ガラス張りの円筒型館屋」で「巨大な、朝顔の花をすっぽりとコップにはめ込んだような館屋」であった。

 図書館は第1 期工事が完成した後、1952 年12 月4 日に開館した。

 広島児童図書館はその後30 余年間、子どもたちの夢や知恵を育む場所として活躍した後、建物の
老朽化により1980 年に新しい図書館に建て替えられた。
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広島市立子ども図書館の2階ロビーに置いてあった建築模型。漏斗のようなシェル構造で、外壁は透明感のあるガラスカーテンウォール。何とわかりやすい形態なんだろうと覗き込むと、旧広島市児童図書館とある。設計は丹下健三、構造は坪井善勝、というゴールデンコンビ。1953年竣工、1978年解体とある。 こんなにも素敵な建物があったことを、不覚にも全く知らなかった。1978年は、僕は大学2年生だったが、まだ建築の話題に十分アンテナを張ってなかったかも。それにしても、建物の寿命が短すぎる。解体されてあらたにできたのが、今の建物だとしたら、それも残念。

山に登るさかな(賢築楽会)名古屋市立大学芸術工学部鈴木賢一研究室のメンバーによるブログです。
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広島市児童図書館は、昭和27年12月に開館、全体が完成した翌年12月に落成式が行われました。この建設費用の大部分である400万円は、昭和25年(1950年)にロサンゼルス市の南加広島県人会から児童図書館建設費として寄贈された浄財でした。丹下健三氏の設計による建物は、キノコ形・朝顔形の図書館として親しまれましたが、老朽化などのため昭和53年に閉館・解体されました。現在の広島市こども図書館は昭和55年に開館しています。

メールマガジン「ひろしまファンクラブ」のバックナンバー
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<<参考資料終わり>>

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コメント

コメントつけられずごめんなさい
家族が入院してしまうと、それも複数だと
仕事を含めると、一人の活動は
ほとんどのなくなってしまいます

さて、原爆記念公園
そう呼びたいですね

私は広島県の人ですが、平和公園と
言っちゃいますから。反省しました
「悲の街」
そうですね。

こんな素敵な図書館でゆっくり読書
したいものです。
そんな穏やかな日々、来るかな?

ひき続き平和の方へ向いて行こう

simomitu

投稿: 下光博之 | 2013年8月 9日 (金) 08時08分

いつのまにか名前が変わっちゃうことってありますよね。
私(1960年生まれ)の子供の頃は「主権在民」「戦争放棄」と習うことが多かったですが、ここ40年くらいは「国民主権」「平和主義」と、水で薄めた表現になってるしょうか(笑)。

投稿: iris60 | 2013年8月 9日 (金) 08時24分

百歩譲って「志願兵・傭兵だけが死ぬ戦争」ならば許そう。

子供を死なせることは一人として許さぬ。

当たり前じゃないか。

投稿: 南 | 2013年8月 9日 (金) 08時26分

東京大空襲も、酷いものだったらしいが。

投稿: bad | 2013年8月15日 (木) 22時38分

物心ついてない子供の頃、この図書館に連れて行ってもらったことがあります。丸い空間がガラスで明るくて本がたくさんあった。すがすがしくてわくわくする空間だった印象。子供心にすごく居心地がよかった。
大人になって探してももうないはず。解体されたんですね。
なんか頭が良くなるような空間だったですよ。今のと違って。
やっぱり建築家の造ったものは、さすが違いますなあ。

投稿: | 2020年8月31日 (月) 16時26分

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