不戦憲法は守れるか
一昔前までのコンテンツは長い、一つのものが人の時間を奪いすぎる、と書こうと思っていた※。映画、小説、芝居、音楽、テレビドラマ、どれもこれも長い。今の人間(とくにこの私)の毎日の時間は細切れに分断されていて、長いものとつきあう時間がとれないことが多い。本はパラパラ読みになり、要点読みになり、インターネット上で多数の小さな情報片やコンテンツ片に接することが多くなっている。
〔※: とにかく長い古典コンテンツ。その共通のもっともネガティブな特徴は、対話性の欠如。作り手も受けても成長しない。〕
そしてブログの更新も、かなりの時間を奪いすぎる。毎日が大量の細切れ時間の累積だと、そのための"長い時間”もなかなかとれないのだ。まあ、うちは、扶養家族ならぬ扶養動物が多すぎて、扶養担当者が極少のせいもあるけど。
以上が、長期ごぶさたの言い訳。
私のコミュニケーション論の一環として、実効ある平和憲法のためにはその定常的な『実装努力』が必要、と言い続けている。しかし国家レベルの実装が<警察予備隊>となって以来、反平和憲法の実装ばかりが持続累積して今日に至っている。
どうするのか。顔までアサドに似ている某世襲総理の言うように、この欺瞞を「右」へ解決するのか。それともより本物の平和憲法へと、「左」へ解決できるのか。
東京地裁は安保条約に基づく米軍駐留が憲法9条に反するとして59年3月に全員を無罪としたが、
---毎日jp「ことば:砂川事件」より---
上のように、半世紀前には、司法が日米安保を憲法違反と裁定した例もある。が、この裁定は最高裁で覆された。そのときの日本の司法とアメリカとの秘かな野合を、今日、布川玲子氏があばいている。※
〔※: 不戦憲法よりも再軍備〜安保の方が、何億倍も悪質なアメリカの意思介入だ!〕
ふつう、サードパーティから政治家になる者は「何かのために」政治家になり、その何かが何であるかは最初から情報としてオープンになる。世襲政治家は「政治家になるために」政治家になるから、公共的でオープンでパブリックなアジェンダがない。世襲政治家は、グローバルに禁ずるべきだ。(今の中国政府も実質、世襲集団だ。)
平和の実装努力とは、定常的なコミュニケーション努力だ。ちっぽけな島の領有問題でも、お互いギャーギャー言ってないでちゃんと正規のコミュニケーション努力を開始&継続すべきである。
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コメント
おはようございます!
時間の細切れ、そうそう、と思いました。
新年に決意したパソコン導入までの電子工作
「指先パーカッション」で止まってるのも
言い訳としては、同じようなモノ。もっとも
こちらは、仕事、でですが
今の、憲法をどうにかしようという動きには
警戒してます。理由は、徴兵制が可能になりそう
だから。
今の僕たちは、民主主義の本質を学び直さないと
いけないのでしょう、つまり
「民主主義というのは、自分の代表者を選ぶこと
ではなくて、選んだその人たちを監視し続ける
こと」なんだと。
「日本の春」はまだ来ていないみたいですし
紹介されているニュースには、僕も手が止まり
ました。
最高法規には個人の人権を保障しててもらいたい
ですよね
では、今日も夜勤なので、もう一眠り。
おやすみなさい
simomitu
投稿: 下光博之 | 2013年4月 9日 (火) 06時37分
「参議院はいらない」橋下徹
に賛成だが
「衆議院もいらない」「そもそも政治家(屋)はいらない」
と言うべき。
何をやるべきか?やる事があるのか?
その後どうする?
投稿: 南 | 2013年4月10日 (水) 08時16分