« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

2013年4月29日 (月)

四島返還/日露平和条約という大馬鹿

だいたい、沖縄のすごさを筆頭に、日本各地を米軍基地用地として提供していながら、北方四島を返せはない。なんでロシアが返すんや。ありえない。そんなの、子どもにも分かる理屈だ。もちろん、”平和”条約もありえない。

尖閣諸島も然り。あそこは本格的な空軍/海軍基地は無理でも、「高性能ミサイル基地」ぐらいなら十分に作れる。オキナワをねらいやすい場所にある。しかも、あの群島(?)が日本領であるという根拠は、かつてこのブログにも書いたが、相当にアヤシイ。日本の一部の人たちの、一方的な勝手な思いこみくさい。

自衛隊と日米安保、この二大欺瞞により、世界史において画期的な平和憲法はすでに空文化しているが、それらを憲法違反ではないものにしてしまうための憲法改悪。それをやりやすくするための96条改悪。で、なおさらロシアも中国も態度が硬化するに決まっている。子どもにでも分かる理屈だ。四島返還どころか、いよいよ四島ロシア基地化だ。

日本「やめてください」。
ロシア「じゃあ沖縄等の米軍基地をゼロにしろ」。
子どもにでも分かる口げんか。ロシアの完勝だ。

で日本の選択肢は:
(1)ゾンビ政治家を国会議員にし、ついに首相(日本には大統領がない)にまでしちまった、脳天気なおっさんおばはんがさらに増えて、見事に憲法改悪が成立する。

(2)頭と心のまともな人が増えて、二大欺瞞を廃棄し、平和憲法を守り、もしくはさらに頑強化し、仕切り直しで、本当の平和国家を築く。北方領土問題は、ここらが現実的な落としどころだろう。そもそも、あそこは、その自然状態は、日本領ではない。

(3)このままずるずる行って、日米安保とあらゆる意味で同格な、日露安保と日中安保を締結し、今沖縄をアメリカに提供しているように、四島はロシアに、尖閣などは中国に、基地用地として使わせる。まるで、漫画のような全方向外交だ!!。

なお、(1)の憲法改悪路線では、“基地用地として使わせる"ではなく、“彼らが基地用地として使ってしまう”となる。だから(3)は、(1)よりはa little bit betterだ。

もちろん私は、(2)になってほしいと切に願う。

両肩にさまざまな火器を誇らしげにぶら下げたやつが目の前に現れたとき、そいつと「平和条約」を締結する気になる国が世界中のどこにあるか。日本の政治家は、なぜそこまで大馬鹿であり続けたのか。やはり”他者不在”の”コミュニケーション不能”につきるのだ。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2013年4月25日 (木)

再びGrace Potterについて

声がすごくいいだけじゃなくて、歌詞も感動的なんだ。すごく利口で、頭がいい。ただし、アメリカの日常口語的な英語が主だから、かえってノンネイティブには難解に感じる。

バンド名と同名のアルバムの最後の曲Things I Never Neededのリフは、

Maybe then I would have realized
I'm the only one who's bleeding
For the things I never needed
The things I never needed

というんだ。これは本来なら必要ないことなのだ、というオーディエンスへの語りかけだ。これまで、ステージの最後に、「必要ないことなんだ」と歌ったロックシンガーがいただろうか?

男性の良い声・歌(リード、フェリー、ボウイー、ボラン、メール兄弟、サーキャンプ、etc.)がむしろやや抽象的に思えてくるほど、すごい、より一段と直接的だ。ほんまに、感動した(この曲だけじゃないが)。

重要なメッセージや想いの込められたリフ的なところも、強く、そして力があまり減衰しない長〜〜く伸びる声で歌いきるのだが、ただしその歌唱は冷静で淡々としていて、冷淡な突き放し感がある。つまり、歌うことが客観化されていて、即自的な自己表現ではないものになっているのだ。つまりメッセージ全体が客観的オブジェクト的に…射手(いて)の矢のように射手(しゃしゅ)の弾倉のように…コントロールされ、自己から普遍(みんなの各自のもの)へと昇華している。これからの音楽は、そうでなければならないことを、本能的に自覚している。


| | コメント (3) | トラックバック (0)

なぜゾンビ政治家がのさばるのか

要するに、XXXXさんの息子じゃけん、YYYYYさんの孫じゃけん、という素朴で原始的で愚かな(==反政治的、反民主的)地域エゴ。単純な地域血縁信仰で、おっさんおばはんたちは無根拠に安心してしまう。むしろ、安心してる場合じゃないのに。

(今の自民党も、人がいない、有能な政治家、総理になれる器の人がいない烏合の衆だから、安易な血縁信仰に相乗りしてしまう。それしか、手がないという政治的貧困。)

そういう、滅ぶべき古い物に支えられている現政権は、本当は、たいへんヤバイかもしれない。
(あの安倍という人は、発言を聞いていると、どーしょーもない大馬鹿であることが分かる。)

ヒトラーナチスを強大にした、かつてのドイツ選挙民・愚民にも似て…。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2013年4月23日 (火)

なぜ他者不在になるのか

以前、テツガクの大罪とテツガクの大革命で書いたように、われわれが今コミュニケーション論の視座で言っている「他者」なるものは、旧人類・コミュニケーション不能人類の粗末な脳においては、単一存在/単一宇宙内の、あまたある「存在物」のひとつ、その一種類でしかない。だから、「他者」はどこにもいない。

だからとくに脳が狭小で永久に未発達なゾンビ政治家たちにおいては、一人の死せる兵士たりとも、犯すべからざる劃然たる独立の人格である、という認識が持てない。彼らの他者不在視野においては、国家のために死んだその他大勢の兵隊たちの一人、という「存在物」でしかない。

猫もただ、かわいい猫として見ればそれは、私の視界に開ける単一宇宙内の「存在物」の一つでしかないが、つくづく見れば、やはり単独の独立の自立しているひとつの人格であり、一個の立派な「他者」である。キーボードの上に乗ったりその上で寝たりするのを防止するためには、キーボードを立てておくという対策しかないのである。叱るという行為は、霊たちの夜須邦仁蛇<祀封>(==国営動物園)などと同じ一種の"同一視”であり、"他者視”ではない。叱る/祀るという自己の基準は、他者には通じない。

なぜ、コミュニケーション不能旧人類はトレードに妄執するのか(とりわけ人の労働力のトレード==雇用)。それは、人が他者というコミュニケーションのパートナーではなく、トレードの相手のone ofという存在物にすぎないからだ。言い換えると、人は人にとって「物」である。人にとって人は、物性の厚いカーテンの向こうにかろうじて、顔も何もかも不明なまま、でくのぼうのように存在する、無人称無表情な物であるにすぎない。その利害の解決は、戦争とトレードという二種類の武器しかない。

他者不在の脳には、トレード関係がすべてであり、すべてになんかなれないのに、むりやり、すべてである。そこに悲惨の根因がある。トレードという苛酷な差異関係ではなく、コミュニケーションという平等公平関係を、追求することを彼らの脳はイメージできない。


| | コメント (8) | トラックバック (0)

2013年4月22日 (月)

靖国神社==霊の国営動物園

まあ今の自民党の二代目三代目(だけじゃないが)ゾンビ政治家たちは、(精神中における)他者不在のかたまりだよね。動物園が、露骨な他者不在の結晶--他者に対する無神経な失礼--であるのと似て、かつての日本軍兵士軍人の霊を祀る靖国神社は、彼らにとって霊の動物園だ。戦争に行かされて死んだこと自体腹立たしいのに、死んだあとにも国家が作った動物園へ入れられ、頼んでもいないのに参拝される。他者に対する、ものすごく無神経で無礼な態度。今となっても、兵士たちが国家のもの、と思いこんでいるとんでもない許し難い無礼失礼。

せめて、国営霊動物園には霊は一個もいない、参拝は無駄、と思うのが、最低限の…他者に対しての…礼儀だろう。

きたねえ手で、なれなれしく、勝手に私にさわりに来るな!! 他者不在の、無礼者!!

国のため兵士として死ぬことを肯定する「参拝」を、平気でできる無神経。二代目三代目ゾンビ。日本の未来の危険のタネ、かもしれない(遅きに失しないうちに政治権力の座から下野してもらえればよいが…)。

テロは悪いに決まってるが、あちこちにテロがあって当然のような(怒りを喚起してやまない)欺瞞と、そこへ至り付く無神経な搾取の歴史が近代の主流部にある。しかもゾンビたちは、それを繰り返すことが国の政治家の仕事だと大誤解している。私が兵士の霊なら、彼らの頬骨が粉々に修復不可能に複雑骨折するぐらい、一発なぐってやりたいと思うだろう。孫たちの命を、またまた国家の名のもとに勝手に搾取されてたまるか!

おなじN人死ぬのでも、戦死はみじめできたならしい不名誉の死だけど、自主的自発的平和死は、太陽大のダイヤモンドほどに誇らしく輝かしい、その人の巨大な名誉だ。霊たちにも、ノーベル平和賞を。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2013年4月18日 (木)

サッチャー

あのころ(まで)と今とでは、「できる女」のタイプが全然違う。

当時は、男どもに互し、ときには勝つために、男勝りとか男顔負けなどの言葉に見られるように、男以上に男でなければならなかった。小さな島の領有権をめぐって、若い兵士100数十名の命を投ずるなんて意思決定は、それでなきゃできない。彼女のやったことで、のちのイギリスにとって良かったこと、今ますます花咲き実を結んでいるものが、何かあるか? ない、と思うのだが。むしろ、今のイギリス社会には、部分的にすら、明るさがない。まあ、マララちゃんの命を救ってくれた高度な(軍事的?)医療技術はありがたいけど。

今のできる女は、むしろ、女性の女性らしさをフルに発揮して、硬くて古くて狭いオトコにはできない発想と行動とコミュニケーションができる人たちだ。インターネットの上で数名思い浮かぶが、ここでは、誰もが挙げそうなeBayやFlickrのおばちゃんたちでなく、若きハードウェア屋さんを挙げておこう。やってることがすべて、地に足が付いているというか、その辺のいかにも女性らしさがすてきだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年4月11日 (木)

貨幣==差異、シミュレーション

いつも私ばかり率先して書いてても退屈だから、今回は「貨幣利益が得られると、どこかに同額以上の損失が発生している」ことの証明を、ひまな人、やる気のある人にコメントで書いてもらおうと思う。コンピュータのプログラムを書ける人は、その現象を表すシミュレーションプログラムを書くのもおもしろいだろう。

貨幣の本質である差異を、マルクスは浅く表面的に、視野狭窄的に、(貨幣を温存しつつ直/治せる問題としての)「搾取」と完全誤解していた。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2013年4月 8日 (月)

Emily HanesとGrace Potterの共通点

朝4-7時の動物お世話タイムは、テレビのニュース天気予報番組をつけているが、夕3-6時(==夏の場合の時間)のお世話タイムでは、uwall.tvとかtubalrでindiesをランダムに流している(クラシック気分のときはAVROやD-Durなど)。次々とランダムに曲が流れていくとき、たまに、「おやっ!」と耳と心にひっかかる音がある。アーチスト名などを、確認したくなる。

そうやって知ったのが、Metricであり、最近ではGrace Potter and the Nocturnalsだ。前者はわりと正統派ハードロックだけど、後者は古典的ブルースロック(例: ジャニス・ジョプリン)をからっと乾燥させ、強力かつ肯定的にしたような音。

そして両バンドのボーカル(Emily HanesとGrace Potter)に共通しているのが、声の中にあるナチュラルさだ。人混みの中で、子どもでも老人でもいいが、ふっと、"人間らしい、その人らしい”ナチュラルな声や喋りが聞こえて、おやっ、とその人を探すときがある。そういう、異様感。

うまい表現は思いつかないが、曲を音楽として歌う自分と、ただの人間としての自分が同時並列している。これは20世紀のロックやブルースシンガー(の名人、プロたち)の歌唱にはない。

しかも、両人ともリッパにアラサーのお姉ちゃん、おばはんだが、その場合の声は「子どもの声」なのだ。だからこっちも、ぎくっとして、気になる。なんだろう? これは、ネオテニーの一種か?

それは、もしかして、「自己」というものの顕現なのか?

なんか、全然書き足らないけど、現時点ではうまい書き方が浮かばない。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

不戦憲法は守れるか

一昔前までのコンテンツは長い、一つのものが人の時間を奪いすぎる、と書こうと思っていた※。映画、小説、芝居、音楽、テレビドラマ、どれもこれも長い。今の人間(とくにこの私)の毎日の時間は細切れに分断されていて、長いものとつきあう時間がとれないことが多い。本はパラパラ読みになり、要点読みになり、インターネット上で多数の小さな情報片やコンテンツ片に接することが多くなっている。

〔※: とにかく長い古典コンテンツ。その共通のもっともネガティブな特徴は、対話性の欠如。作り手も受けても成長しない。〕

そしてブログの更新も、かなりの時間を奪いすぎる。毎日が大量の細切れ時間の累積だと、そのための"長い時間”もなかなかとれないのだ。まあ、うちは、扶養家族ならぬ扶養動物が多すぎて、扶養担当者が極少のせいもあるけど。

以上が、長期ごぶさたの言い訳。

私のコミュニケーション論の一環として、実効ある平和憲法のためにはその定常的な『実装努力』が必要、と言い続けている。しかし国家レベルの実装が<警察予備隊>となって以来、反平和憲法の実装ばかりが持続累積して今日に至っている。

どうするのか。顔までアサドに似ている某世襲総理の言うように、この欺瞞を「右」へ解決するのか。それともより本物の平和憲法へと、「左」へ解決できるのか。

東京地裁は安保条約に基づく米軍駐留が憲法9条に反するとして59年3月に全員を無罪としたが、
---毎日jp「ことば:砂川事件」より---

上のように、半世紀前には、司法が日米安保を憲法違反と裁定した例もある。が、この裁定は最高裁で覆された。そのときの日本の司法とアメリカとの秘かな野合を、今日、布川玲子氏があばいている。※

〔※: 不戦憲法よりも再軍備〜安保の方が、何億倍も悪質なアメリカの意思介入だ!〕

ふつう、サードパーティから政治家になる者は「何かのために」政治家になり、その何かが何であるかは最初から情報としてオープンになる。世襲政治家は「政治家になるために」政治家になるから、公共的でオープンでパブリックなアジェンダがない。世襲政治家は、グローバルに禁ずるべきだ。(今の中国政府も実質、世襲集団だ。)

平和の実装努力とは、定常的なコミュニケーション努力だ。ちっぽけな島の領有問題でも、お互いギャーギャー言ってないでちゃんと正規のコミュニケーション努力を開始&継続すべきである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »