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2013年3月 4日 (月)

コミュニケーション視座からの自然科学の解体脱構築(II)

コミュニケーション視座からの自然科学の解体脱構築が必要である理由は、自然科学の言語が実在を記述できないことにある。自然科学の言語は、一般化され、(原理的に)いくらでも代替可能な存在物を記述するが、真の実在は、意識主体を持つ生物にかぎらず、あらゆるものが、一般化不可能で代替のありえないものである。自然科学は真の実在、すなわち「それはそれしかない」ものを記述できないから、実在知でばなく、したがって完全に反コミュニケーション的である。自然科学は非実在、すなわち、この宇宙のどこにもないもの…一般的で代替可能なもの(==欲望の対象、対象知が作る像)…を追究し記述している(ムナシー!)。とりわけ人間は、その頭と心が、自然科学的になってはいけない。コミュニケーション有能な人類への進化のためには。

また前回は、それは外的実在ではなく固有の脳内現象にすぎない*、と書いた。その愚かで硬直的な脳内現象がたとえば、そのうち、全宇宙サイズの加速器や衝突器の必要性をうったえるだろう。ビッグバンという愚説も、同じくその脳内現象の帰結にすぎない。だから昔、某オルターナティブサイエンスの日本人の方(お名前を失念!)が主張したように、無機物から生命体を構築〜記述する(それは、実は、不可能)ではなく、その逆、生命を始原として万物を構成〜記述していく『真の知』がコミュニケーションの基盤として必要とされるのである。

*: 固有の脳内現象==が作りだす恣意的概念。

(この稿未完)

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コメント

科学としての(??)経済学も現在、猛毒をまき散らしていますね。

欲望の出発点の方向が間違っている。

投稿: 南 | 2013年3月 5日 (火) 09時05分

経済学が学として成立するのか、疑問なんだけど。

投稿: bad | 2013年3月 7日 (木) 10時03分

ウーン!惜しい、悔しい。
その、オルターナィブサイエンスの方、
知りたい!
多分、其が正しい。直感だけど・・・

だってさあ、どんなもの混ぜ合わせたって
条件考えたって、命はつくれません。
もしそうなら、とっくの昔につくれてる筈

なんて考えてしまいました

失念とは。

その当時、岩谷さんも、とんでも、と
感じたのかな?

それにしても、そう主張するに至った先人が
日本人だったとは・・・

希望は知性から生まれる

simomitu

投稿: 下光博之 | 2013年3月13日 (水) 19時17分

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