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2013年1月 1日 (火)

「個」と「共同体」(補遺1)

前編で挙げた、旧共同体のメインの、ないしコアの慣行の共通項は、それらがすべて、反コミュニケーション的(アンチコミュニケーション的)であることだ。

> お正月などの年中行事だけではない。戦争も、トレード(〜〜貨幣制度)も、結婚も、葬式も、等々も、そもそも「個」にはもはや、全然なじめないもの、奇怪な骨董品だ。

・戦争…コミュニケーション不能の慢性的反復的劇症(参考記事)。
・トレード(〜貨幣制度)…"利益==差異”を求める不等価交換*(参考記事)。

〔*: 貨幣の本質、貨幣に人が感じる価値の実体は「差異」(持てるvs持たざるの差異)ですから、貨幣経済下では(マルクス等が言う)「搾取」(と呼ばれる現象)は絶対に解消しない。貨幣経済下での平等は、ちょうど、完全に水平なスキーのジャンプ台と同じで、経済にそこで滑れ飛べといっても、滑れないし飛べない。差異があるからこそ、貨幣経済は動く。そして多大なる犠牲者を生み出し続ける。したがって、きわめてgenericな意味でのソーシャリズムは、生産や流通の動因を貨幣からコミュニケーションに切り替えないかぎり、実現しえない。〕

・結婚…特定他者の恣意的排他的囲み込み(参考記事(1)、(2)、(3))。
・葬式…自然と個魂の共同体私物化(参考記事(1)、(2)、より本質的には(3))。

そして、こうして見てくると、コミュニケーション不能の本質が「他者の(恣意的)自己化」であることが分かる。言い換えるとそれは、自己忘却(自己疎外)が結果している他己疎外(阻害)だ。

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コメント

他者がイヤでイヤでしょうがないのでしょう。

自分は(自分の生命は)他者である
という地点から始めなければ。

たとえば、老いというものは他者です。

投稿: | 2013年1月 4日 (金) 08時44分

「結婚」、即ち「婚姻」は、諸悪の根源の一つである。また、「貨幣」と「婚姻」の番は、最も質の悪い徒党の一種である。

「婚姻」とは、極々自然に広く行き渡り、より開放されるべき『愛』を、より閉鎖的にし、恰も、牢獄の一室に無理強いに閉じ込めておくかの様な惨憺たる慣習の一つである。彼等の多くは、「婚姻」によって、発生〜派生し得る様々な悲惨な不幸を、知らず知らずの内に暗黙に無意識的に他者に波及させている事に気付かないでいる点で、既に重大な犯罪を犯している。

”家庭”や”家族”を守る為だったら、何を仕出かしても、何を遣らかしても善しとする妄信・迷信たる世相・風潮は、間違い無く、粗方万人に蔓延っており、何故か、’美徳’の究極であるかの如く、誤認・錯認されている。実際にはそれは、’悪徳’か’悪弊’に他ならないにも関わらず…。例えば、あれだけ甚大な事故を引き起こしておきながら、原発事業者・原発従事者、また、政治家・関連企業等々、それらの取り巻き連中らが、未だに原発推進に固執・執着しようするその根底や背後で悪しく醜く揺らめいている物が、「貨幣」であり、「婚姻」であり、延いては、それらに固着・粘着し、附随・附帯しているのが、”家庭”であり、”家族”だろう。

一夫多妻(Polygamy)、また、その逆の一妻多夫(Polyandry)等が、何の偏見も無く、自然視・普通視され、そして、現行蔓延している”短絡的排他排斥愛”から”錯綜的開放愛”への完全移行が必須であろう。また、その過程で、自分が精魂を傾けて実際に育てている子供が、果たして自分の子供なのか、他人の子供なのか、全く分からなくする様な仕組みの創出も必要であろう。

周りを観ていて経験的にも常々感じているが、思想的にも哲学的にも何の疑念や疑問を持たずに、好き好んで簡単に結婚する族には、全然興味も好奇心も湧かない、無粋で格好悪い奴、また、詰まらない碌でも無い奴が圧倒的に多い。そうして形成〜構築された”家庭”や”家族”を端で観るにつけ、薄ら寒い吐き気を催すのは、私だけであろうか…?「貨幣」と「婚姻」の結託〜共謀によって、日々益々不本意に加速され得る、”家庭”・”家族”の孤立と孤独(Family isolation)。Nothing but the blues there….

投稿: Voyant | 2013年1月12日 (土) 22時24分

うん。
そういうのになるたけ絡めとられないように
また、うまい具合に繋がれるように
成りたいものです

simomitu

投稿: 下光博之 | 2013年1月18日 (金) 15時35分

@voyant
>自分が精魂を傾けて実際に育てている子供が、果たして自分の子供なのか、他人の子供なのか、全く分からなくする様な仕組みの創出も必要であろう。
かっ過激。結婚・家庭制度には反対している私ですけど、そこまではどうかと。男性はともかく、女性が賛成するとは到底思えないんだが。
だけどそこまでやって初めて、平等と幸福な社会が成り立つのだろうか。だけどそこまでやらなければ得られない人類とは、救いがたいバカなんだろうなと思う。

投稿: ohiya | 2014年9月28日 (日) 01時58分

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