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2012年12月30日 (日)

「個」と「共同体」

今では人並みにお雑煮など食べるが、昔のドクシン時代は、お正月とは大きなフランスパンを買っておいてチープワインで流し込み、どこかのお店が開くまで3〜4日堪え忍ぶものであった。昔は、どのお店も、まじめに正月は休みであった。正月は共同体の歴史的行事であり、断固、私という「個」とは無縁なものだった。

このブログや過去稿などで素描を試みている、人類史上初のコミュニケーション学/コミュニケーション理論においては、「共同体」あるいは「旧共同体」という言葉が、重要な概念の一つだ。人間という動物の根深い悪性の資質であるコミュニケーション不能は、長年の共同体生活が、まるでその“生活習慣病”のように育んだものだ。

そして今日(こんにち)の問題点は、ほぼ世界全域的に、共同体から「個」がぼろぼろとこぼれ落ち、共同体が空洞化無力化しつつある現状において、その個が、生活価値観として旧共同体のそれしか持っていないことにある。個は、個たるにふさわしい新しい生活価値観を、まだ一般的には具有していない。

お正月などの年中行事だけではない。戦争も、トレード(〜〜貨幣制度)も、結婚も、葬式も、等々も、そもそも「個」にはもはや、全然なじめないもの、奇怪な骨董品だ。たとえば結婚(婚姻制度)は、個と個と個が形成すべき社会にとっては、阻害要因(==悪)でしかない。

だが現状の個は、上で述べたように、骨董品をリプレースすべきオルタナティブをまだ一般的には持たない。多くの個が、共同体のものである生活価値観を、無反省に自分でも有価値視している。だからこそ、個を個として支えない骨董品環境の中でさまざまな個の悲劇が起きる。政治が、このことを完全に自覚している国も、この惑星上にたぶんまだ一つも存在しない。

個食ならぬ個生活の蔓延の中で、今では元旦から開いている店も多くなった(というか、正月(等)という制度そのものをなくしてほしいが)。老人の世話は、税による行政ルーチンが担うしかない(消費税増税反対の人が多いのは、個のくせにまだまだ共同体幻想に心を支配されている人が多い、ということだ。結婚==至上の善、説の信者がいまだに圧倒的に多いように)。…これらは個の荒野に生えてきた、小さな草の芽だ。学校やクラスが、いじめともっとexplicitに強力に戦えるようになれば、それもまた芽の一つだ*。

〔*: 学校やクラスがいじめ(共同体性の醜い残滓)とexplicitに強力に戦えるようになってこそ、学校は初めて、「個の味方」、「個の時代に真にふさわしい教育機関」と自称他称できるのである。〕

今は、多くの個が、厳寒の夜の強い寒風のふく荒野に、一人立ちつくしている。Screaming in the Darkness, Talking to My Shadow. Voyant氏がコメントの中で言及しているPauline Murrayのアルバムは、YouTubeで全篇(48分12秒)を聴くことができる。彼女が「地」でやっている表現を、MetricのEmily Hainesは完全な「作品」として彫り込んでいる。つまり主観的な表現を、状況の客観的な把握・定位がつねにささえているしたたかさ、強さと力がある。

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2012年12月23日 (日)

thunderbird 迷惑メール 移動しない

メールソフトThunderbirdで、受信トレイ中のメッセージに迷惑メールマークを付けてもそいつが迷惑メールフォルダへ自動的に飛んでいかない、というトラブルを経験した(他人のWindows 7上)。

結論を言うと、まず、設定(Linuxなら「アカウント設定」)で迷惑メールと自動判断されたメールを迷惑メールフォルダへ飛ばす設定はやってあるとする。ならば、以下のようにする:

手動で迷惑メールマークを付けたメールを飛ばすには:
[ツール]→[オプション]→[セキュリティ]→[迷惑メール]で、「迷惑メールフォルダへの移動」にチェックを入れる(□と○の計2箇所)。
Linuxならこれが、[編集]→[設定]→[セキュリティ]→[迷惑メール]、となる。

●Windows版では「設定」とは<アカウント設定>のことだ。
●なおWindows版では、メニューバーがデフォルトでは出ないので、右端上の「三」の字のようなアイコンをクリックして、[オプション]でメニューバーにチェックを入れること。

以上、現状ではGoogle検索の結果中に、この問題へのすっきり明答がないので、記した次第*。
今度からこの記事が、検索結果のトップに出るようになると、よいのだが。
〔*: [ツール]→[オプション]をいじるらしい、というヒントはあったが、内容が古くてしかも英語だった。〕

※:彼らなりに理屈はあるのだろうが、一つの事項(迷惑メール)に関する設定インタフェイスを、二箇所に分散させないでほしいね。ワンストップ、でお願いしたい。

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2012年12月17日 (月)

悪しき選挙区方式

選挙には関心がなくて、これまで投票へ行った回数も片手の指で数えられるぐらいと思うが、今度の自民党のまるでオセロゲームのような一挙大逆転を見て、今の選挙制度の内情をちょっと見た。

これから書くことは読者の90%以上が昔からとっくにご存じかもしれないが、それなら、周知の問題点なのに長年メジャーなアジェンダにならないのはなぜだろう?

・比例代表制は、既存の政党、しかもある程度勢力(選挙力)のある政党しかゲームに参加できない。
・小選挙区制は、各区トップ一人しか当選しない。…これぞ、今回の自民党圧勝の根因だ。

しかし、トップ一人しか当選しないと、「おもしろいひと」や「あたらしい(感覚等の)ひと」が、ほぼ絶対に当選しない。逆に、ローカルな因縁などで二代目三代目の「おバカちゃん議員」がころころ安易に生まれる。世襲リーダーは多くの場合、国家の地獄への道だ。

で、今の制度では、「おもしろいひと」や「あたらしいひと」は、やる前から落選確実だから立候補しない。何かの間違いで立候補したとしても、投票者は自分が投票したって落選確実と見るので、投票に行かない。投票率が慢性的に低め安定する。

そして、議員が多様化現代化しないから、政策決定過程の議論が平板浅薄に終始する。政治はますます、「つまんねぇ」ものになっていく。これが、危険。いわゆる、右傾化を辿りがち。

まあ、一選挙区3〜10人ぐらい当選する、たとえば都道府県単位とかにすればいいけど、今の制度で当選した議員たちは、絶対にそういう改革をしない。

今回の自民党の総得票率を、投票者と、有権者全員ベースと両方で見れば、ものすごく非現実的(==国民の意思や感情の現実を反映していない)な地滑り勝利であることが、誰にも分かるはずだ。

これを、今後も確実に、だあれも改革しないんだから、ほんま、やばいよなぁ。

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2012年12月10日 (月)

思想としての売春婦人生

今後真犯人が上がる可能性は限りなく低いと思われるが、ネット上の資料サイトの中には"東電福島第一原発事故が起きたのは、渡邊泰子さんの怨念だと考えられます”という記述もある。

私は怨念よりも、ヒトの魂の特殊な存在仕様と自然との共鳴〜共振現象としての大地震〜大津波〜原発破壊(メルトダウン)をシナリオの軸とすれば、大スペクタクル大感動大コマーシャル大興業収入映画が作れるのでは、とかねてから考えている。

大地震を起こした地殻のひずみ==当時の東電の思想的(非)人間的ひずみ、である。

まず、原発推進派が主流である当時の東京電力(実名がまずければ東都電力とでもするか)の役員や上級管理職を全員「悪」として描く。役員の一人は泰子さん(当時は処女)を強姦し、その後も性的関係の持続を迫る。そこで日常的売春行為は、いまわしい性からの"癒し”であり”浄め”である*。そして地熱発電推進派の論客である泰子さんは若くして窓際族にさせられ、定常的売春行為がばれたあと、東電と腐れ縁のある暴力団によって殺される。殺しを指図したのは、強姦犯の役員である。〔*: 自己が置かれてしまった状況への対抗策としての"自己強化策”、”理論武装”という側面も強く感じられます。〕

問題は、ヒロインを演じていただく女優さんを誰にするか、だ。

最近の新聞(「○○は新聞やドードー鳥の道を歩むのではないか」と書けば、○○はもうすぐ滅ぶという意味だ)は、バーゲンが日常化している広告収入を稼ぐために、本紙以外の余計なオマケがものすごく多い。うちは犬猫飼養の資材として新聞紙が要るので一紙とっている。テレビでは、民放各局のBSが、まさに、広告稼ぎのための余計物になっている。そこで先日、昔のテレビドラマ「愛の流刑地」をやっていた。

これは、ヘンテコなドラマではあるが、論理的骨格だけをシンプルに書くと、「健全なふつうの体制的男女関係(結婚、所帯、家庭、家族)は砂を噛むようであるが、不倫には人間対人間の純粋さがみなぎっていて楽しい」というもの。しかしその純粋さを長期的安定的に貫く方法がないので、ヒロインは(結果的にまずい方法で)自死する。泰子さんも、ふつうの健全な性関係に、完全な無意味性、あるいは欺瞞性、汚穢性をおぼえていたはずだ。

で、私が構想、というか妄想している地球大暴れ大スペクタクル映画のヒロインは、テレビドラマのヒロインを演じた高岡早紀さんが現状より10〜15歳若ければ、もしかしてぴったりではないか、と感じた。映画版は寺島しのぶさんだが、こっちは泰子さん役には合わないだろう。

かわいそうな、孤独な、思想*的売春婦をヒロインとするこの妄想映画と、コミュニケーション学/コミュニケーション理論と何の関係があるのか。それは、もちろん、大ありである。このブログ初めての人は、これも読むべし(ついでにこれも)。〔*: 間違えてはいけない。本物の思想とは、その人の生き様(いきざま)そのものである。〕

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