トレード絶対普遍思想から醒めることの重要性
この件はこれまでも何百遍も言ってるけど、でもこのブログを読むのは今回が初めて、という人や、コミュニケーション学/コミュニケーション理論という視点の存在を初めて知る人もいるかもしれない。
トレード(交易、有価交換、〜〜〜→最終的に貨幣経済)を、普遍的ではあり得ない、そして絶対視してはいけない、人間の営みとして脳中で相対化できることは、真のコミュニケーション理論においてもっとも重要な課題の一つだ。
典型的な例として、2008年のときも両候補がしきりと訴えていたと思うが、今回2012年もまた二人の米大統領候補は「雇用の創出」を大命題として力説している。いや、アメリカばかりではない、今や世界中至るところ、世界の工場と言われた中国のようなところも含めて、人びとが、そして政治家など指導的立場の人たちが、『トレード絶対普遍思想』というobsessionに、脳がどっぷりと浸されているかぎり、大量失業の解消、大規模な雇用創出は、最重要な課題として痛切に感じられている。
でも、どんな財に関しても、トレードの成立規模には波があるのが当然だ。波がなく、コンスタントに常時、盛大にかつ高価に売れ続ける財は、ありえない。労働力という財も、然りである。ある交換財の、需要より供給が相当大きいことは、異状でもなければ、悪でもない。それは「正常」の一状態だ。
ただし、売れないキャベツと違って売れない人間労働力は、廃棄できないし、廃棄すべきでもない。それらは、呼び方を変えれば"労働力予備軍”だから。(add 121107: )この"在庫”は、つねに最高の状態でメンテしていくことが、国益にも、資本〜企業の利益にも、そして世界全体の利益にも資する。職のない人を超貧乏状態に放置することは、したがって無知怠慢政治家たちによる間違った国政である。
労働力という交換財が、定常的に、あるレベル以上の価格で、売れていなければ人間生きていけない。これこそが異状であり、錯誤的な認識である。人類全体がこの錯誤から醒めることが、絶対的に必要である。たまたま自己の労働力が売れていない者が、引け目を感じる社会を解消する必要がある。売れてないことも常態の一つだから、引け目を感じる必要はまったくない。
そもそも貨幣経済下における政治の必要性とは、「所得再配分」の必要性である。貧富の差の急斜面を、緩斜面に均すことだ※。それが必要ないのであれば、貨幣経済に関しては無政府主義、アナーキズムでいっこうにかまわない。ちなみに米共和党やその支持者らは、この種のアナーキズムを志向しているように見える。〔※: 参考記事: 「年金を廃止せよ」。〕
「雇用を増やします」、なんて、できもしないことを無責任に言う政治から、「雇用は多くたって少なくたってかまわないのです。Don't worry about that!」と言える政治に、できるだけ早く変わる必要がある。
そして、地球社会を支えるものは、今の意味の「エコノミー」ではなく、本来の意味の「オイコノモス」でなければならない。でないと、人類社会の悲惨と環境に対する虐待は、いつまでも終わらない。
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コメント
人間を目的としてではなく手段として見る
という大錯誤。
狂気だとおもう。
投稿: 南 | 2012年11月 6日 (火) 14時47分
政治の必要性として貧富の格差の急斜面をせめて緩斜面に均することというのは本当にその通りだと思います。実現させるには個人の質(コミュニケーション能力)を高めることの必要性もあるでしょう。国にしても個人にしても「綺麗事」を言っていても、詰まる所は「自分さえ良ければ・・」「自分に対立するところは悪である・・」という一極にいきついてしまっているように思います。お金はコミュニケーション下手をごまかすための手段なのですね。「あれこれ話すの面倒臭いし、なにいってるかわかんないからお金と交換でいいじゃん。簡単だし」ここに落とし穴がある。
投稿: musataro | 2012年11月 7日 (水) 08時58分
"(I) don't need your fee, do recycle recycle."
この記事読んでからdevin townsend の earth dayを聞いてたらこう聞こえました。歌詞を調べたら本当はdon't eat your beets. recycle recycle.でした。どういう意味なんでしょうね。
でも勘違いの聞き取りの方が今はより好きかな、
「お金はいりません、リサイクルしていただけるのならば」
投稿: 長谷川 | 2012年11月 7日 (水) 21時19分
「労働力予備軍」として、最高の状態で
メンテナンスしておくことが大事。
という箇所が、一番いいな
と思いました、今回は。
自分の一日を考えても、出掛けるとき
いい状態で「いってきます」
にしないとね。
いつも感じますが、元気のでる文書です!
ありがとう
simomitu
投稿: 下光博之 | 2012年11月25日 (日) 17時53分
日本における起業は、US等と比較したら全然盛んではない。文化的・慣習的・歴史的にも、多くの日本人は、Too conservativeな側面が異様に強い為、起業は一般的になりづらいのかもしれないが、一種の可笑しな迷信として、有名大企業等に帰属・従属している方が、経済的にも安心・安泰であるし、世間体的にも見栄えが良い事もその要因の一つかもしれない。日本の場合、会社の同僚や自分の親族等々、身近な人間が起業したりしても、褒められるどころか、未だに蔑視・差別視されるケースが大半であろう。
インターネット等の通信を巻き込んだコンピューティングが益々進行して行くと、多くの古典的ビジネスにおける諸々のオペレーションの大方が不要となり、それに伴い、関連した人手が要らなくなってしまうのは必然的である。これは、21世紀に突入した現時点でもそうであるが、今後も更に加速される事必至である。しかし、反面、IT関連、即ちインターネットとコンピューティング双方を上手く利用〜活用した新規ビジネスも多く出現し、中には、目立って台頭して来ている新興企業が多くなって来ている事も、言う迄も無い周知の事実である。
USには、数人(もしくは、一人)で運営している様な、独自性を有した優秀で勝れたIT企業、即ちスタート・アップが非常に多い。それらの多くは、老若男女問わず、各種企業をスピン・アウトした有志が集まり起業したものである。起業には当然ながら、然るべき土壌が必要であるが、US、特にIT企業が集結しているCAやTXには、それに加え、インキュベーター(Incubator)と言う確固たる存在がある。これらは、その州が政治の一環として、率先して主導しているものである。
(以前にも、本ブログの某所で簡単にコメントさせて戴いたが、)日本には、目下、新興企業がもっともっと簡単に栄える様な土壌とインキュベーション(Incubation)が必要である。それは、US等、海外の物真似ではなく、日本ならではのそれがベストである。大体、日本に根ざしたインキュベーターの存在何て、全然聞いた事が無いし、そもそも起業の土壌が無いから致し方無いとは思うが、それらを最初に創るのは政治以外の何物でも無い。今の日本の政治は、(実は、ありもしないし、出来もしない)「雇用の創出」とかよりも、「起業のフォロー・アップ(Follow-up)」を政策の一つとして明確に提示するべきである。日本でも、年配で技術・スキル・経験・ノウハウ、また、その方面のリレーションが豊富な方々は、若者諸氏が起業した後のインキュベーターになれば良いのである。
投稿: Voyant | 2012年11月26日 (月) 07時11分