貨幣の本質が「差異」であることに目醒めることの重要性
これも、これまで何百遍も言ってきたけど、今の新しい読者が、昔の私の文を見る機会はほとんどないだろう。
最近の番組欄でちらっと見ただけだが、「なぜ格差はなくならないのか」とかある。この場合、格差とは貧富の格差のことだ。
格差はなくならないし、貧困はなくならない。なぜなら、貨幣は稀少財でないと、すなわち、片方に相当大量の"それを持たないこと”が存在しないと、貨幣としての価値を持たないからだ。今のような制度貨幣が発明される前の、実物貨幣のころを想像すれば、それが稀少財であることがよく分かるだろう。
格差がない、という状態を想像してみよう。貨幣が、『空気』のように、あるいは“水と安全はタダである”と言われる某国での『水』のように、その保有にも可利用性にもまったく差がない、つまり“稀少財ではない”と、そんなものを何かと交換に欲しがる人はいない。このことから分かるように、貨幣は、稀少財==貴重財でないと、貨幣と見なされない。
すなわち、貨幣に格差はつきもの。格差がなければ貨幣ではない。(それもぬるい格差ではだめで、相当シビアな、厳しい、峻険な格差である必要がある。)
稀少財、貴重財は、それを持ってることや持ってる人が希少だから稀少財、貴重財と呼ばれる。そして、それを持ってると持ってないの階層は、上に少数の大富豪を、そして下に膨大な数の極貧層を作りだす。(最下層は貨幣ゼロ層だから、貨幣支配の社会ではチャリティによってしか生きられない…福祉を、公共化されたチャリティと呼ぶならば…。
言い換えると、膨大な数の極貧層は、貨幣の貨幣性を支えている、偉大なる存在である(これはもちろん、苦(にが)いジョーク)。彼らがいるからこそ、貨幣のありがたさが存続するのだ。ありがたい→有り難い→有ることや有することがきわめて困難→持ってない人が多い→稀少財貴重財。
貨幣経済という苛酷の克服→世界のコミュニケーション社会化は、もちろん一朝一夕には実現しない。しかしその前に、「貨幣の本質は差異である。だから貨幣経済下では格差(==貧困)はなくならない」ということが世界中の人たちの常識として普及する必要がある。そのためには、マスメディアの役割も大きい*。
*: そしてマスメディアは、「なぜ格差はなくならないのか」などの、愚かしいタイトルの番組や記事を、二度と制作提供しないこと!。
※上のパラグラフ冒頭、<貨幣の克服>という語からリンクされている、このブログの1年前の記事"Liberation from Money"とそれに寄せられているコメントを、「貨幣」と「コミュニケーション」を対置して論ずるこのような議論に初めて接しられた方には一読をおすすめします。
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[余談]
ところで、ドイツはベンツとかBMWとかフォルクスワーゲンとか、グローバルに貨幣との交換性の強い産品を作っている(そのほか、各種の産業機械も強い)。ギリシャやスペインに何があるか? 必死で思い出そうとしても、何もない(ささやかにワインと観光ぐらいだ)。だからギリシャなどは当面、チャリティ(生活保護)で生きるしかない。問題は、あの国の役人や政治家が長年、チャリティの不正受給をして私富を(スイスの秘密銀行口座に)蓄えたことだ。新規チャリティの追加以前に、ドイツやEU当局としては、それらの完全吐き出しをやらせることが、先決ではないか。
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[まったく別件]
この記事の末尾に、おもしろい記事へのリンクをつけました。
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