« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月26日 (月)

貨幣の本質が「差異」であることに目醒めることの重要性

これも、これまで何百遍も言ってきたけど、今の新しい読者が、昔の私の文を見る機会はほとんどないだろう。

最近の番組欄でちらっと見ただけだが、「なぜ格差はなくならないのか」とかある。この場合、格差とは貧富の格差のことだ。

格差はなくならないし、貧困はなくならない。なぜなら、貨幣は稀少財でないと、すなわち、片方に相当大量の"それを持たないこと”が存在しないと、貨幣としての価値を持たないからだ。今のような制度貨幣が発明される前の、実物貨幣のころを想像すれば、それが稀少財であることがよく分かるだろう。

格差がない、という状態を想像してみよう。貨幣が、『空気』のように、あるいは“水と安全はタダである”と言われる某国での『水』のように、その保有にも可利用性にもまったく差がない、つまり“稀少財ではない”と、そんなものを何かと交換に欲しがる人はいない。このことから分かるように、貨幣は、稀少財==貴重財でないと、貨幣と見なされない。

すなわち、貨幣に格差はつきもの。格差がなければ貨幣ではない。(それもぬるい格差ではだめで、相当シビアな、厳しい、峻険な格差である必要がある。)

稀少財、貴重財は、それを持ってることや持ってる人が希少だから稀少財、貴重財と呼ばれる。そして、それを持ってると持ってないの階層は、上に少数の大富豪を、そして下に膨大な数の極貧層を作りだす。(最下層は貨幣ゼロ層だから、貨幣支配の社会ではチャリティによってしか生きられない…福祉を、公共化されたチャリティと呼ぶならば…。

言い換えると、膨大な数の極貧層は、貨幣の貨幣性を支えている、偉大なる存在である(これはもちろん、苦(にが)いジョーク)。彼らがいるからこそ、貨幣のありがたさが存続するのだ。ありがたい→有り難い→有ることや有することがきわめて困難→持ってない人が多い→稀少財貴重財。

貨幣経済という苛酷の克服→世界のコミュニケーション社会化は、もちろん一朝一夕には実現しない。しかしその前に、「貨幣の本質は差異である。だから貨幣経済下では格差(==貧困)はなくならない」ということが世界中の人たちの常識として普及する必要がある。そのためには、マスメディアの役割も大きい*。

*: そしてマスメディアは、「なぜ格差はなくならないのか」などの、愚かしいタイトルの番組や記事を、二度と制作提供しないこと!。

※上のパラグラフ冒頭、<貨幣の克服>という語からリンクされている、このブログの1年前の記事"Liberation from Money"とそれに寄せられているコメントを、「貨幣」と「コミュニケーション」を対置して論ずるこのような議論に初めて接しられた方には一読をおすすめします。

----
[余談]
ところで、ドイツはベンツとかBMWとかフォルクスワーゲンとか、グローバルに貨幣との交換性の強い産品を作っている(そのほか、各種の産業機械も強い)。ギリシャやスペインに何があるか? 必死で思い出そうとしても、何もない(ささやかにワインと観光ぐらいだ)。だからギリシャなどは当面、チャリティ(生活保護)で生きるしかない。問題は、あの国の役人や政治家が長年、チャリティの不正受給をして私富を(スイスの秘密銀行口座に)蓄えたことだ。新規チャリティの追加以前に、ドイツやEU当局としては、それらの完全吐き出しをやらせることが、先決ではないか。

-----
[まったく別件]
この記事の末尾に、おもしろい記事へのリンクをつけました。

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2012年11月19日 (月)

スパム撃退

Ginasteraについて書いた記事で紹介したルーマニアの若手ピアニストMihaela Ursuleasaが8月初旬に孤独死した(脳の血管の破裂)。ルーマニアのもう一人の天才ピアニストDinu Lipattiと奇しくも同じ享年33歳だった。

なぜ才能過剰な音楽家はよく若死にするのだろう? こればかりは、自分が才能過剰な音楽家になってみないと、分からないかもしれない。

Amazon U.S.でCDのリビューなんか書いていたのでメアドが知れたのだと思うが、今月11月はじめに、南フランスのマルセイユの近くに住んでるという人から、Ursuleasaの6歳の女の子のための寄付を募るメールがきた。Ursuleasaのオフィシャルサイトへ行くと、いきなり、寄付の振込先へのリンクのあるポップアップが出る。

彼へのメールの返信で、「悪質なスパムでないことを確認する手段がないので、寄付はできない」と書いた。その後、彼からのメールはぷっつりとない。やはり、スパムだったのだろう。

女の子の生活は、同じ町に祖父母もいるし、父親もどこかにいるはずだから、大丈夫だろう。

しかし、彗星のように現れて彗星のように消えた、という言い方がぴったりの、登場と消え方ぶりだ。彼女は、21世紀(==ロック以降)における、ピアノという楽器からの音の出し方の、ひとつの規範を示したと思う。それだけで、ものすごく重要で新しい価値がある。

〔余計な注記: チョコレート大好きという彼女は、甘い物(砂糖)は脳への猛毒、というコトワザを、たぶん知らなかったんだろうな。〕

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2012年11月12日 (月)

メタ国民意思は育てられるか?

だいたい、「あのとき国民多数がもっと賢明であれば…」という、後悔先に立たずの長期的悲惨化過程が、日本の場合、多いのではないか。言い換えると、間に合う早期に、メタな世論が育たないこと。

ヘリ/プロペラ機ハイブリッドの配備を嫌がる沖縄、住宅地の騒音被害を嫌がる横田基地周辺など、住民や地元政治家たちは、「日米安全保障条約」というメタにあるissueを、まったく考えないのか? 安保はいいけど、うちの近くだけは静かでありたいという、単なる地域エゴか?

安保のおかげ、アメリカの核の傘で日本が守られているという愚な主張。むしろ、逆に、危険なのに。たかだか原発一つの比較的軽微な事故で、あれだけたいへんなことになる。核戦争の取り返しの付かぬ悲惨を、想像できない愚。終戦後でありながら、こんな被爆事件もある。

地域エゴ(?)と安保の問題は、一つの例にすぎない。国民のあいだに、メタ意識メタ関心が育たないと、またまた日本はおかしなことを招来してしまうのではないか。マスメディアも政治も、浅い々々日常的ルーチンばかりやっていて、メタが育つ部分がない。つまり、深耕が生起しない。

中国に対しては、ほかの国々と協力して、民主化圧力をかけていくのが、第一のプライオリティのはず。韓国に対しては、朝鮮半島再統一の誘導と支援。あそこの人びとのためだけでなく、遠回りのようだが唯一効果的な拉致問題解決策のはずだ。そしてこれらも、軍事力を背景としてやらないからこそ、効果があり得るのではないか。

日本近海、あるいはどこかの"安保港”で、アメリカの核弾頭へのピンポイント攻撃が成功してから、後悔したのでは遅すぎる。

名案はなく、不安が解消しない。

*安保に見る、対アメリカつきあいの欺瞞性。参考記事


| | コメント (4) | トラックバック (0)

2012年11月 5日 (月)

トレード絶対普遍思想から醒めることの重要性

この件はこれまでも何百遍も言ってるけど、でもこのブログを読むのは今回が初めて、という人や、コミュニケーション学/コミュニケーション理論という視点の存在を初めて知る人もいるかもしれない。

トレード(交易、有価交換、〜〜〜→最終的に貨幣経済)を、普遍的ではあり得ない、そして絶対視してはいけない、人間の営みとして脳中で相対化できることは、真のコミュニケーション理論においてもっとも重要な課題の一つだ。

典型的な例として、2008年のときも両候補がしきりと訴えていたと思うが、今回2012年もまた二人の米大統領候補は「雇用の創出」を大命題として力説している。いや、アメリカばかりではない、今や世界中至るところ、世界の工場と言われた中国のようなところも含めて、人びとが、そして政治家など指導的立場の人たちが、『トレード絶対普遍思想』というobsessionに、脳がどっぷりと浸されているかぎり、大量失業の解消、大規模な雇用創出は、最重要な課題として痛切に感じられている。

でも、どんな財に関しても、トレードの成立規模には波があるのが当然だ。波がなく、コンスタントに常時、盛大にかつ高価に売れ続ける財は、ありえない。労働力という財も、然りである。ある交換財の、需要より供給が相当大きいことは、異状でもなければ、悪でもない。それは「正常」の一状態だ。

ただし、売れないキャベツと違って売れない人間労働力は、廃棄できないし、廃棄すべきでもない。それらは、呼び方を変えれば"労働力予備軍”だから。(add 121107: )この"在庫”は、つねに最高の状態でメンテしていくことが、国益にも、資本〜企業の利益にも、そして世界全体の利益にも資する。職のない人を超貧乏状態に放置することは、したがって無知怠慢政治家たちによる間違った国政である。

労働力という交換財が、定常的に、あるレベル以上の価格で、売れていなければ人間生きていけない。これこそが異状であり、錯誤的な認識である。人類全体がこの錯誤から醒めることが、絶対的に必要である。たまたま自己の労働力が売れていない者が、引け目を感じる社会を解消する必要がある。売れてないことも常態の一つだから、引け目を感じる必要はまったくない。

そもそも貨幣経済下における政治の必要性とは、「所得再配分」の必要性である。貧富の差の急斜面を、緩斜面に均すことだ※。それが必要ないのであれば、貨幣経済に関しては無政府主義、アナーキズムでいっこうにかまわない。ちなみに米共和党やその支持者らは、この種のアナーキズムを志向しているように見える。〔※: 参考記事: 「年金を廃止せよ」。〕

「雇用を増やします」、なんて、できもしないことを無責任に言う政治から、「雇用は多くたって少なくたってかまわないのです。Don't worry about that!」と言える政治に、できるだけ早く変わる必要がある。

そして、地球社会を支えるものは、今の意味の「エコノミー」ではなく、本来の意味の「オイコノモス」でなければならない。でないと、人類社会の悲惨と環境に対する虐待は、いつまでも終わらない。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »