犬猫失敗話(2)日本の地域コミュニティは遠い
この話は、前にも書いたことがある。いまのところに住んで20年近くになるが、未だに、両隣などご近所の家の家族の、「姓」は分かるが「名」は知らない。お互いにそうだ。だからアメリカの地域コミュニティのように、お互い日常的に、「ハーイ、ジェーン!」とか「ハイ、トム!」という具合にいかない。フレンドリーな日常関係のない日本の地域社会は、冷凍庫の中のようにしーんと凍結している。
だから日本では、地域で誰かが動物愛護活動など始めても、そこらの主婦や高校生などが自然に手伝うようになり、コミュニティの活動になっていく、ということがない。むしろ、近隣社会の中で孤立して、依怙地になってやっているようなところが多いのではないか。これまで、隣近所からの関わりといえば、うるさいとか臭いとかで、市役所、警察、保健所などに匿名でクレームするやつは何人(or何回)かいた。そのたびに、理解を求める文面を印刷して、あたり数十軒の郵便受けに配布したが、そのおかげかどうか、フィジカルな嫌がらせとか脅しなどはない。少なくとも、これまでは。
でもこれは、こっちから積極的に助けを求める、という筋合いの話ではないので、個人の活動を地域の活動に変えていくためのノウハウは、未だによく分からない。もっとみんな、(精神年齢が)若くて、知的水準も高くて、人生経験や意識が国際化グローバル化していれば、日本でもうまく行くのか、という気がしないでもないが、うまく行っている例を、私は知らない(横浜磯子区の「地域猫」活動は、いわゆる保護活動とは少し違う)。
しかし日本を動物愛護先進国(殺処分廃止、ペット業者の標準事業形式の確立遵守、ほか)にしていくためには、もっともっと、全国各地の地域が充実し、アクティブにならないとだめではないか。われわれの次の世代では、冷凍庫がせめて冷蔵庫ぐらいに温度アップすることを期待したい。
動物愛護は、動物だけの問題ではなくて、人間とその社会のクォリティの問題(〜〜ひいては経済の多様な活性化)の問題でもあるのだ。社会が、冷血動物から温血動物に変わっていくこと。
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