« 社会主義v.1.0 | トップページ | メガ欺瞞 »

2012年8月29日 (水)

コミュニケーション忌避のつけ

人間という動物の伝統的な…そしてずば抜けて最悪の…資質であるコミュニケーション不能は、心中脳中における他者概念の未確立に起因する。

共同体は他者(他共同体)との接触において、私の知るかぎり地球上の全時空において、コミュニケーションではなく、トレードと戦争を主たる相互的やりとり(トランザクション)の手段とした。

今は、共同体というcocoon(繭、保護皮膜)が破れて「個人」というものが…孵化した蜘蛛の赤ちゃんたちのように…ぞろぞろと現れつつあるが、彼らはまだだいたいの精神基盤として「共同体性の記憶」しか持っていない。が、それは個人の精神基盤としては無効である。

このブログでも、またそれ以前にも、日本人の多くに見られるコミュニケーション忌避~コミュニケーション欺瞞の性向については何度も触れている。あのとんでもない「拉致問題」にしても、あるいは最近騒々しい、近隣海域におけるいくつかの島の「帰属問題」**にしても、それらはすべて≪終戦処理≫と呼ばれるコミュニケーション作業(さらにその後のフォローアップとしての対外国コミュニケーション)をずぼらしてきたことのつけである。いっさいの戦闘・敵対行為の終結とか、領土とその境界の新たな定義とか、そういう重要な問題をめぐるコミュニケーションをテキトーに放置してきた。

コミュニケーションをせず、自分の一方的な自分に都合の良いヌクヌクとした「思いこみ」で、世界が成立しうる、という、とんでもないテツガクをこれまでの日本人(とくに指導的政治家たち)は持ち続けてきた。『私がこう思うんだから、相手もこうこう思うだろう、思うべきだ』、という、むちゃくちゃなテツガク。相手が、自分の思うとおりに思ってくれなかったら、その相手を悪と見なす、とんでもない幼児性*。コミュニケーション忌避怠慢の典型例だ。

拉致被害者の家族は、遡及的に、当時から今日までの日本政府のコミュニケーション怠慢に関し、国を訴えることができるのではないだろうか。

今日願いうるかぎりでの国際司法とか、あるいは適切な第三者立ち会いのもとでの、抜本的なコミュニケーションの再(というより"初”)構築が、今からでも遅くないから、必要だ。もはや、戦争による解決(==非解決!)はありえないのだから。

〔*: かなり若い世代の日本人の中にも、自分が持つ意味体系==普遍的な(唯一正しい)意味体系、と信じ、それに基づいて、平気で、自分以外の者を律したり罰したりする人たちが、たくさんいる。日本はこれからますます、卑小な国になっていくのか…。〕

〔**: 日本語版Wikipediaの記述によれば、尖閣諸島は石垣島などと並んで南西諸島の一員とされている。しかしGoogle Mapsの海底地形図が正しいなら、尖閣諸島は南西諸島がその上に並ぶ稜線上には存在しない。むしろ尖閣諸島は、中国大陸の大陸棚の端っこ(ほぼ南東端)にある。あそこの海底資源を外国に勝手に採掘されたら、中国人としては気分悪いかもしれない。また、同じくWikipediaによると、明治中期に尖閣諸島を日本領土と見なすにあたり、日本政府は中国等とのコミュニケーションをまったく行っていない。島は、「勝手に」日本領とされたにすぎない。ここにもまた、コミュニケーション忌避という日本人の(将来的には致命的な?)悪癖が大手をふっている。

|

« 社会主義v.1.0 | トップページ | メガ欺瞞 »

コメント

私は共同体に属したくても属せなかった人間で、その反動で英語を勉強したり、お薬を飲んだりしていますが、やっぱり孤独なままで、帰属意識みたいなものは低いままです。(でも死ぬ時はだれもがひとり。)でも、そんなひとも多いんだなあ、とネットやってると思います。

何がいいたいかっていうと、欠陥人間の私には、国の戦争を煽るようなひとの気持ちは、やっぱりわからん、ということです。でも、わからんでもいいや、と国際問題にも関わらず相変わらず日本語で戦争を煽ってるような人たちを見ると思ったりもします。強がりですが。

若い人は、いまはあまり余裕がないんですよ、きっと。昨日の日経によると新卒の6%がニートですって。欧米の若い人に比べればぜんぜんましなんだろうけど。思想はよくも悪くも人の支えになるようですから、迷い子達が増えるほど、考えのぶつかりあいも多くなると思います。

ところでRT.comっておもしろいですね。Founderはだれなんでしょう?ロゴマークは赤の反対の緑ですが、なにか裏の意味があるんでしょうかw Julian assange showを解読中です。でもほとんど聞き取れない。ああ、iwataniさんみたいに英語がすらすらわかるようになりたいです!

投稿: 長谷川 | 2012年8月29日 (水) 22時18分

「ただほど高いものは無い」という言葉を死語化させるような社会が新たな社会。

コミュニケーションを忌避しなければ、ただはもちろん最安値。

投稿: 南 | 2012年8月30日 (木) 08時54分

最悪なのは相対することもせずに勝手に相手(他者)の事を自分の価値基準だけで判断しちゃう事です。「やられちゃう」かもしれないけど、飛び込まなかったら本当のコミュニケーションなんてできないと私は思います。

投稿: musataro | 2012年8月30日 (木) 23時01分

 コミュニケーションのなかで、国だの国境だのが意味をなさなくなる。そういう領土交渉ができるか、どうか。
 それを問題にできる土台を築くことこそがコミュニケーション。
 政府とか国家なんて単位ではできませんね。

投稿: 市川智 | 2012年9月 2日 (日) 21時15分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: コミュニケーション忌避のつけ:

« 社会主義v.1.0 | トップページ | メガ欺瞞 »